社員の7割が知的障害者。「日本理化学工業」が教えてくれたこと

 

「徹底的に障害者雇用にこだわる」

しかし、この50年間の歩みは平坦なものではなかった。「私たちが面倒をみますよ」と言ってくれた社員ばかりのうちは良かったが、やがて後から入ってきた人たちは不満が募った。「自分たちの方が仕事をしているのに、なぜ給料が変わらないのか」と訴えるようになった。

また社員旅行や忘年会をしても、健常者の社員は、障害者の世話をしなければならないと思うと、存分に楽しむことができない。障害者の方も普段と違うリズムの時間を過ごさなければならない。

大山社長は、健常者と障害者のどちらに軸足をおいた経営をするのか、はっきりさせなければならない、と思った。

障害者中心にいきたい、と腹は決まっていた。しかし、当時の経営状態は決して良くはなかった。障害者雇用に反対する株主もいた。障害者を「お手伝い」ではなく、主力にして、本当に品質・生産量を維持できるのだろうか。

一生懸命働いてくれている障害者の姿を見ながら、大山社長は迷った。その迷いを振り切って、「徹底的に障害者雇用にこだわる」という結論に辿り着くのには、時間がかかった。しかし、この時に徹底して自分を問い詰めたことが、現在に至るまでに障害者雇用をぶれることなく続けてこられた「礎(いしずえ)」になった。

「世界のモデルとなるような知的障害者の工場を作ってやろう」

その後、大山さんはアメリカを視察して、この世界一の先進国でも、身体障害者をたくさん雇っている企業はあっても、知的障害者を雇用する民間企業は見あたらないことを知った。大山さんは発憤した。

よし、日本で、世界のモデルとなるような知的障害者の工場を作ってやろう。それも、純然たる民間企業として成立させてやるんだ。
(『働く幸せ 仕事でいちばん大切なこと』大山泰弘・著/WAVE出版)

帰国してから、大山さんは知的障害者だけで稼働する生産ラインを作ることに没頭した。しかし、いくつもの壁が立ちはだかった。ダストレス・チョークづくりには、知的障害者には難しい工程がいくつもあったからだ。

たとえば材料の配合では、それぞれの色のチョークに使用する材料の種類を間違えずに、重量をきっちり量らなければならない。これが知的障害者には難しい。

ある材料を100g混入しなければならない時には、秤の片側に100gのおもりを置き、それに釣り合うように材料を乗せる。しかし知的障害者は数字が苦手なので、そもそも「100g」ということを理解できない。

どうすればよいのだろう。毎日毎日、考え続けた。そして、ふと思いついたのが交通信号だった。知的障害者たちは、駅の改札を出てから会社の門をくぐるまで、一人で歩いてくる。その途中にはいくつかの信号がある。

「そうか!」とひらめいた。彼らは文字や数字は理解できなくとも、色の識別はできるのだ。材料の配合を数字で教えようとするから、難しくなる。色だけで識別すればよい。赤い容器に入っている材料は、赤いおもりをのせて量る。そう準備して、知的障害者にやらせてみたら、ちゃんと量ることができた。

今までは、健常者向けのやり方を障害者に押しつけようとしていたのだ。彼らができなかったのではなく自分たちの工夫が足りなかっただけなのだ。これをヒントに、大山さんは全工程を子細に観察して、知的作業者のやれる方法に変えていった。

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