手塚治虫の代名詞「スター・システム」をあえて採用しなかった名作『きりひと讃歌』を今こそ読むべき理由

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iPhoneのCMで『ミッドナイト』のオリジナルムービーが人気を博し、代表作のひとつ『ブラック・ジャック』は大規模な展覧会が催されたり未発表作品集が刊行されたりと、今も絶大な人気を誇る漫画家、手塚治虫。そんな手塚が遺した作品に関連した、対照的な2冊の書籍が4月に刊行されます。『手塚治虫キャラクター名鑑』『きりひと讃歌 オリジナル版』はそれぞれ、現代の私たちに何を問いかけるのでしょうか。フリージャーナリストの長浜淳之介さんが、両本の監修者であるアンソロジスト濱田髙志さんへの取材から見えた新たな「手塚像」を考察しています。

プロフィール:長浜淳之介(ながはま・じゅんのすけ)
兵庫県出身。同志社大学法学部卒業。業界紙記者、ビジネス雑誌編集者を経て、角川春樹事務所編集者より1997年にフリーとなる。ビジネス、IT、飲食、流通、歴史、街歩き、サブカルなど多彩な方面で、執筆、編集を行っている。共著に『図解ICタグビジネスのすべて』(日本能率協会マネジメントセンター)、『バカ売れ法則大全』(SBクリエイティブ、行列研究所名儀)など。

「真逆のコンセプト」を持つ書籍がほぼ同時に刊行される“偶然”

誰もが知る、“漫画の神様”とまで呼ばれた巨匠、手塚治虫(1928~1989)。没後35年が経過しても、手塚漫画は熱心なファンにより読み継がれているが、今春手塚ファンなら必読の2冊の本が出版される。

1冊は、『手塚治虫キャラクター名鑑(玄光社)4,400円、4月16日発売。

『手塚治虫キャラクター名鑑』(玄光舎) ©️TEZUKA PRODUCTIONS

『手塚治虫キャラクター名鑑』(玄光社) ©️TEZUKA PRODUCTIONS

本書では、埼玉県新座市の約8万枚もの遺稿が眠っているスタジオから、十余年にわたって手塚作品の発掘と復刻を手掛けてきたアンソロジストの濱田髙志氏が創作ノートをもとに、改めて手塚漫画のキャラクターがどの作品に登場したか、ビジュアル中心にまとめられている。なお、執筆は手塚作品にまつわる著作もある小説家の二階堂黎人氏、手塚漫画のアンソロジーの編纂にも関わる黒沢哲哉氏、手塚プロダクション資料室の田中創氏と、前述の濱田氏の4人が担当している。

もう1冊は、手塚治虫作の医療漫画『きりひと讃歌 オリジナル版』(立東舎)13,200円、4月19日発売。

『きりひと讃歌 オリジナル版』(立東舎) ©️TEZUKA PRODUCTIONS

『きりひと讃歌 オリジナル版』(立東舎) ©️TEZUKA PRODUCTIONS

分厚いのでⅠとⅡに分冊されている。大阪大学附属医学専門部卒業で医学博士の学位を持つ手塚ならではの、権威主義的な医学界の闇を描き、医療のあるべき姿を訴えるヒューマンタッチな作品である。

両作品は、時代を超えて、何を現代に問いかけているのだろうか。

幼児、少年少女から大人まで。全ての世代に代表作がある稀有な漫画家

手塚漫画は代表作の『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『マグマ大使』『リボンの騎士』『ブラック・ジャック』『火の鳥』『ふしぎなメルモ』『三つ目がとおる』『バンパイヤ』『どろろ』『アドルフに告ぐ』『ブッダ』等々の作品が今も読まている。

『手塚治虫キャラクター名鑑』(玄光舎)より、手塚作品のキャラを紹介するページ ©️TEZUKA PRODUCTIONS

『手塚治虫キャラクター名鑑』(玄光社)より、手塚作品のキャラを紹介するページ ©️TEZUKA PRODUCTIONS

手塚は、一説には約700と言われる膨大な作品を残しており、非常に多作の漫画家であった。

代表作と言われる作品も多く、ジャンルも少年漫画もあれば青年漫画、少女漫画、歴史漫画等々と多彩。主人公も医者、王族、ロボット、動物、超生命体等々とバラエティに富んでいる。ここまであらゆる種類の漫画とキャラクターを描き分けた漫画家は、他になかなか思い浮かばない。

国民的漫画と言われる幾つかの作品があるが、それを生み出した漫画家の代表作は1作から、せいぜい3作くらいしかないケースが多い。

『サザエさん』の作者、長谷川町子は『いじわるばあさん』『エプロンおばさん』も描いたが、一般に代表作とされるのはこの3作だ。『ちびまる子ちゃん』の作者、さくらももこは『コジコジ』『神のちから』などの作品の評価も高いが、一般には『ちびまる子ちゃん』のみが圧倒的知名度を誇っている。『ONE PIECE』の作者、尾田栄一郎は若い頃の習作と見られる作品を除き、ほぼ『ONE PIECE』のみをもっぱら描き続けている。

手塚漫画の真骨頂「スター・システム」とは?

手塚が数多くの作品を量産し、膨大な数のキャラクターを生み出し得た理由には、独特の「スター・システム」があったからではないだろうか。

「スター・システム」とは、作品の中に出てくるキャラクターを、俳優に見立てて、ある時は主人公として、別の時には全く違った人格で脇役やちょい役として、使うという手法だ。手塚以外の漫画家には、まず見ることができない。

別の言い方をすれば、映画のハリウッドの「スターシステム」の世界を、1人の漫画家が具現化したとも言える。手塚はあたかも映画監督のように、創造した幾多のキャラクターを、作品ごとに適切な配役を演じさせることで、自在に操ったのだ。

「特に手塚先生のデビュー30周年記念作でもあった『ブラック・ジャック』は、これまで手塚漫画の主役を務めていたキャラクターが物語の進行に重要な脇役として次々と登場する、キャラクターのオンパレードです。アトムが人間の役で出てきたり、『リボンの騎士』のサファイアが看護師や患者などで何度か出てきたりします。お茶の水博士は『鉄腕アトム』では正義の科学者だったのが、『ブラック・ジャック』では医師の役で出てくるシーンもあります」(前出・濱田氏)。

『ブラック・ジャック』の連載が『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)で始まった1973年当時の漫画界は、よりリアルタッチに表現する「劇画」がブームとなっており、手塚漫画はもう古いとみなされる風潮が強かった。

劇画というと、さいとう・たかを『ゴルゴ13』、白土三平『カムイ伝』、上村一夫『同棲時代』などが思い浮かぶが、川崎のぼる『巨人の星』も画風は劇画的だった。『カムイ伝』を連載していた『月刊漫画ガロ』(青林堂)は、新人育成にも力を入れ、劇画ブームを象徴する雑誌とされた。

濱田氏によれば「秋田書店の壁村耐三編集長は、漫画家としての手塚先生の“死に水を取る”つもりで、『ブラック・ジャック』の連載を依頼したと言われています。ところが、これまでなかった医療系の漫画ということもあって人気作となりました。発表期間も10年と長期にわたったので、スターシステムが最も有効的に採用された作品となっています」と語る。

最も重要な手塚キャラ「ヒゲオヤジ」

さて、このたび出版される『手塚治虫キャラクター名鑑』だが、これまでも手塚漫画のキャラクターを解説した本はいくつも存在したが大抵は文章で綴ってあり、今回、ビジュアルを中心に各キャラクターの出演作をまとめた本は初めての試みだという。

しかも、『手塚治虫キャラクター名鑑』には、新座のスタジオで保管されてきた、手塚自身の手書きによる、漫画の配役、所属するプロダクション、出演料、キャラクターの役者としての評価までが記されたメモ書きが、出版物として初めて収録されている。

恐らくは誰に見せるでもなく、自ら生み出した「スター・システム」の世界を楽しんでいたと思われるが、手塚漫画の本質、手塚の思考法を知る、大きな手掛かりとなるだろう。

また、『手塚治虫キャラクター名鑑』のもう1つの読みどころは、これまで単行本にも収録されていなかった、ヒゲオヤジこと、伴俊作を主人公とした作品『伴俊作まかり通る』が掲載されていることだ。手塚ファンの間では、幻の作品と言われている。

『手塚治虫キャラクター名鑑』(玄光舎)より、ヒゲオヤジを主人公にした幻の漫画作品『伴俊作まかり通る』 ©️TEZUKA PRODUCTIONS

『手塚治虫キャラクター名鑑』(玄光社)より、ヒゲオヤジを主人公にした幻の漫画作品『伴俊作まかり通る』 ©️TEZUKA PRODUCTIONS

これは、伴俊作の名を冠した唯一の作品で、1961年に発表された。連載していた『中学生画報』(秋田書店)が3号で休刊となってしまったため、不完全燃焼のまま終わっている。第1回のグラビアページでは手塚自ら伴俊作に扮して登場しており、やる気を見せていただけに残念だ。

漫画家デビューの頃から晩年の作品まで、折に触れて登場させてきた、手塚にとって最も愛着のあるキャラクターであるヒゲオヤジの、意外に不遇な一面が垣間見えると共に、トップスターとして活躍するヒゲオヤジの雄姿が楽しめる。

葛藤する研究者の苦悩を描いた『きりひと讃歌』

一方で、『きりひと讃歌 オリジナル版』は、1970年から71年にかけて、『ビッグコミック』(小学館)で連載された。『ブラック・ジャック』の少し前に発表されており、医学界の権力争い、力を持った教授の前では科学的な真実を曲げてでも、黒いものを白いと言わなければならない研究者の苦悩が描かれている。

『きりひと讃歌 オリジナル版』(立東舎)外函 ©️TEZUKA PRODUCTIONS

『きりひと讃歌 オリジナル版』(立東舎)外函 ©️TEZUKA PRODUCTIONS

65年に刊行された、山崎豊子のベストセラー小説『白い巨塔』(新潮社)でも、大阪大学医学部がモデルとされており、類似点が指摘されることもある。大阪大学附属医学専門部の卒業生である手塚自身は、医学界の封建的な対人関係を抜きには物語がつくれないと考えていた。

「本書の出版を企画した時は、ちょうどコロナ禍の最中で、未知の病に対する恐怖という点では今日性を感じました。ルッキズムの観点や今も医学界の権威主義が変わっていない点でも、今こそ読まれる作品だと思っています」(濱田氏)。

新型コロナウイルスが蔓延し始めた、2020から21年の頃には、コロナ罹患を恐れるあまり、東京、大阪のような大都会に住む親族が、地方の実家から、「お盆やお正月に帰省するな」と言い渡された人も多かった。

電車に乗っていて咳払いしただけで、隣に座っていた人が「コロナなら車両を移動しろ」と言い放ち、口論、甚だしきは暴力沙汰に発展したケースもあったという。

コロナに罹患して自宅療養していた人が、周囲の人に迷惑をかけるのを苦にして、自殺に至ったこともあった。

本作品『きりひと讃歌』では、未知の病「モンモウ病」にかかった場合に顔面をはじめ風貌が醜化する変容を伴うが、容姿が変化しなくても、かかっていそうと思われただけで、人から差別され、耐えがたい精神的苦痛に追い込まれることがあり得ることを、私たちはコロナ禍から学んだ。

また、醜い風貌に対する過剰な嫌悪は、見かけだけで価値判断するルッキズムの裏返しである。今の若い人たちは、写真映えする風景や食べ物を好み、SNSに投稿するが、特に女性では醜形恐怖のあまり整形モンスターとなってしまう人も増加傾向にあるという。中身を磨くことより、外面が重視されると人心が荒廃するということへの警鐘が、本作品にはあるように読める。

さらに、パレスチナで医療行為にあたる主人公・小山内桐人の行動は、イスラエルとガザ地区の戦争が泥沼化している現状、誰もができることではないが、彼のような人がいれば、まさに現代のキリストなのではないかと思う。50年経っても、パレスチナ問題が解決されるどころか、むしろ悪化しているとは、手塚も考えなかったと思うが。

あえて封印された「スター・システム」

「『きりひと讃歌』では、手塚先生はスター・システムを封印し、この作品のみに登場するキャラクターだけで、シリアスな物語が進行します。普段なら、シリアスな場面でお茶の水博士やヒゲオヤジが出てきそうですが、一切ありません。その意味では今回、偶然ではありますが、スター・システムを扱った本と、スター・システムを封印した本を、ほぼ時を同じくして出すことになります」(濱田氏)。

『きりひと讃歌』では、手塚が得意とする「スター・システム」を敢えて使わず、医学界の闇へとストレートに迫っていく。そこに手塚の覚悟を見るが、今もこの物語がリアリティを持ってしまうところに、権威を作り出す体制の強固さを感じてしまう。

なお、手塚は雑誌の掲載が終了して単行本化する際に作品を描き直して、場合によっては結末が全く変わってしまうケースがある。雑誌では半ページ、1ページを使って描かれていた迫力あるシーンが、単行本ではページ数の関係などで縮小された尺に収まることもある。

「手塚先生は連載を単行本化する時に編集し、さらに再版や全集に収録する際にまた描き直したり結末を変えたりしています。その意味では、現在普通に読める単行本がディレクターズカットなのですが、初出版は雑誌連載時のオリジナルならではの良さがあります。今回出版される『きりひと讃歌』は雑誌で掲載されたオリジナル版なので、単行本、全集で読んだ人も、新鮮な印象を持たれるのではないでしょうか」(濱田氏)。

きりひと讃歌 オリジナル版』の巻末には、詩人の最果タヒ氏が特別寄稿し、手塚の推敲の意図について分析をおこなっている。手塚作品の理解を深めるヒントが詰まった内容となっているので、一読されたい。

「スター・システム」を楽しみながら映画監督のようにキャラクターを駆使する手塚と、「スター・システム」を封印し覚悟を決めて粛々と物語を構築する手塚。作品によって、臨機応変に手法を変える手塚漫画の魅力を再発見できる2冊となっている。(長浜淳之介)

【関連書籍紹介】

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手塚治虫キャラクター名鑑

出版社 ‏ : ‎ 玄光社
発売日 ‏ : ‎ 2024/4/16
単行本 ‏ : ‎ 240ページ
定価:4,400円
購入はコチラから

 

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きりひと讃歌 オリジナル版

出版社 : ‎立東舎
発売日 : ‎2024/4/19
単行本 ‏: ‎876ページ(函入り全2巻 *分売不可)
定価:13,200円
購入はコチラから

 

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長浜淳之介

プロフィール:長浜淳之介(ながはま・じゅんのすけ)

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兵庫県出身。同志社大学法学部卒業。業界紙記者、ビジネス雑誌編集者を経て、角川春樹事務所編集者より1997年にフリーとなる。ビジネス、IT、飲食、流通、歴史、街歩き、サブカルなど多彩な方面で、執筆、編集を行っている。共著に『図解ICタグビジネスのすべて』(日本能率協会マネジメントセンター)など。

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