台湾は日本に救われた。命がけで「伝染病」を根絶した日本人医師

 

そのほかにも、台湾人を苦しめていた伝染病はありました。台湾マラリアです。これは、木下嘉七郎羽島重郎小泉舟森下薫らの努力によって撲滅されました。

あらゆる瘴癘がはびこる島台湾で、もっとも恐れられていたのはマラリアで、明治44(1911)年以前の台湾における最大の死亡原因はマラリアとなっていました。統計によれば、少ないときで年間死亡者数は数千、多いときには万を超えていました。たとえば、大正4年の台湾の人口は331万人で、マラリアによる死亡者は1万3,350人でした。

言うまでもなく、これは台湾に限らず亜熱帯地方共有の風土病であり、古代ローマ帝国衰亡の一因だともいわれているほど恐ろしい伝染病です。牡丹社事件に端を発した、明治7年の日本軍台湾討伐の際や、明治17年の清仏戦争の際のフランス軍台湾北部上陸、明治28年の日本軍台湾出兵の際など、台湾に足を踏み入れるあらゆる外敵を、この「台湾熱」は襲いました。

もちろん、台湾熱が襲うのは外敵だけではありません。原住民たちもさんざん悩まされてきました。原住民たちは、熱が出て悪寒が走る症状から、「寒熱病」や「悪魔病」などと称して恐れ、悪魔のたたりだと考えていました。また、マラリアは「気」から人体に侵入したものと考える者もあり、「瘴気」とも呼ばれたのです。

日本の台湾出兵当初は、日本軍もマラリアにはなす術もなく、病死者を多く出しました。台北城内に「台北兵站病院」をつくり、病患兵士を収容しようとしましたが収まりきらず、寺院の天后宮に「第一分室」を設けたほどでした。

やっと、マラリアが蚊によって感染することが発見されたのは明治30年のことでした。イギリス人駐インド軍医で、熱帯病研究者でもあったロス氏が事実を確認し、2年後にマンソンが人体実験で実証したのです。ロスは、この発見によって、ノーベル医学賞を受賞しています。

台湾のマラリア蚊は、全11種、変種も加えると16種にもなります。ロスがマラリア蚊を発見した2年後、マラリア蚊の研究を進めていた木下嘉七郎は台湾で最初にマラリア蚊の存在を論文で発表しています。

木下は、その4年後に研究のためドイツへ渡りますが、台湾マラリアについて多大な貢献を果たした彼も36歳の若さで亡くなっています。そのころ、羽島重郎も台北地域でマラリア蚊の研究・調査を進めており、マラリア蚊の新種を発見し、「台湾マラリア蚊」と名付けました。

小泉舟もまた、台湾のマラリア蚊の種類と生態について研究していた研究者です。そして、マラリア蚊類の隆盛期が毎年5月と10月で、衰退期が3月と8月であることを指摘。マラリアは感染した体内に約2週間潜伏し、感染者は1、2カ月以内には死亡することを確認しました。

小泉の助手であった森下薫(後の台北帝大医学部衛生学教授)は、台湾をあまねく走破してマラリア蚊の分布と脾臓腫との関係を調査しました。これら研究者の功績を受けて、昭和4(1929)年4月、中央研究所は「マラリア治療実験所」を設立。そこで小田定文菅原初男並河汪石岡兵らが、台湾の風土病撲滅のため、心血を注いで貢献したのでした。

こうして日本人医師の努力によりマラリアは絶滅、さまざまな瘴癘も次第に退治され、台湾は清潔で住みやすい島へと変わっていきました。

マラリアや天然痘は今や撲滅されましたが、替わってデング熱や新たな感染症が登場しています。日本では今、海外からもたらされた毒を持つアリ「ヒアリ」も話題になっています。暑い夏、感染症や夏特有の病気には十分注意して楽しい夏をお迎え下さい。

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