恋愛、結婚、仕事、人間関係、お金、病気…などなど、行きている限り数えたらキリがないほどの悩みが生じますよね。その苦しみから解放されるために、仏教では「執着を捨てよ」と説いているようですが、正直なところ、どうしたらいいのかよくわかりません。今回の無料メルマガ『1日1粒!「幸せのタネ」』では著者の須田將昭さんが、自身が聞いた最もわかりやすかったという講話を紹介しながら、「執着の捨て方」について考察しています。
仏さまの教え
私が通っていた高校は、京都の東寺の中にありました。東寺は弘法大師空海が開いたお寺です。空海は遣唐使として中国に渡り、真言密教を学んで帰ってきました。帰国後はその密教の教えを伝えつつ多くの衆生を救いました。
そのご遺徳を偲び、入定された「21日」に、東寺の御影堂で「御影供」という法要が行われるようになりました。人が集まればお店が出ます。お店が出ればまた賑わい、賑わえばまたお店が増えます。
そうして毎月21日には「弘法さん」と呼ばれる市が開かれるようになりました。東寺の境内は古道具を始め、たくさんの露店が並びます。人もたくさん集まってきます。もう授業なんてやってられない状態になるので、毎月21日は、校長先生のご講話を聞いて、月1回の反省文を書いて午前中で終わり…という日でした。
校長先生のご講話も、もちろん仏教のお話です。お釈迦様はどのような方だったのか。どのような修行をされて、どのように悟りを開かれたのか。悟りとは何か。仏の教えとは何か。そういったお話を聞いておりました。
日本の仏教に限らず、今ある「仏教」の姿は、お釈迦様が最初に説かれたものとはずいぶん形が違います。それぞれの地域の宗教と混ざり合ったり、習慣を取り入れたり、その時代、その地域に適した形で姿を変えています。
そもそものお釈迦様の願いはなんだったのでしょうか? これはどの宗教でも同じだと思いますが、今、生きている中でのさまざまな苦しみからの解放です。仏教では「四苦」ということがあります。「生老病死」、つまり「生まれること」「老いること」「病気になること」「死ぬこと」の四つの苦しみです。
これらの苦しみから逃れるにはどうしたらいいのでしょう。ものすごく、ものすごく、簡単に言ってしまうと「執着を捨てましょう」ということです。もう本当にえらいお坊さんから怒られそうな乱暴なまとめですが、でもそれしかありません。
なかなか執着を手放せないから悟れないのです。わかってるのにたどり着けないから苦しいのです。だからこそ、少しずつ歩めばいいんだよ、というのが教えなのです。
講話で聞いた中で今でも覚えているのは
もし君が1万円、落としたとする。辛いな。なんとかして捜し出したいと思うよな。でも見つからない。いくら探してももう見つからない。
どうしたらいいか。諦めるしかない。でも諦められない。諦められないのはどうしてか? それが1万円だと思うからだ。1万円と思わなければ、1万円じゃないのだから、諦められる。
当時は「なんちゅうむちゃくちゃな」と思ったのですが、それが「執着を捨てる」ということです。落とした1万円は戻ってこないんだから、1万円であることを忘れろ、というのです。なるほど…ですね。難しい話です。
え? 私? 500円硬貨でも探し回りますよ。
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