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獣医師が提言、怒りをコントロールできない人は動物を師匠に持て

全国で多発するロードレイジやキレる老人が引き起こす暴行事件。湧き上がる怒りの感情をコントロールする手立てはないのでしょうか。今回の無料メルマガ『生きる!活きる!『臨床力』』では著者で獣医師と臨床心理士の資格を持ち、大学で教鞭も執られている渡邊力生さんが、「動物の生き方に学ぶのもひとつの手」という大胆な提言を記しています。

動物を師匠に持つのも良いかもしれない

先日とある駐車場にて。目の前に歩行者がいて、雨も降ってるので視界も悪ければ、歩行者の方も傘で周りをみる余裕もあまりなく、行動が読みづらい雰囲気でした。

後ろから車が迫っているのが見えたのですが、ここは焦ってはならぬと歩行者の方のコマンドが決定するまで待っていました。そして僕の車が右に寄ったあと…、後ろの車が長いクラクションを鳴らしたまま、横を猛スピードで走り抜けていきました。輩による煽り運転、恐ろしいですね~、怖いですね~。

僕はこんなことは日常茶飯事ですので別段腹が立つこともないのですが、もし僕も煽り運転をするような奴で、しかもこわ~い人だったらどうするんでしょうね。降りていったり追いかけていったりして、車も人もボコボコにされていたかもしれませんよ。尤も、相手は僕の車がミニバンであることを確認し、しかも運転してる奴が弱々しく見えたからふっかけてきたのかもしれませんが。

と言いつつ、僕も車の中でイライラしてクラクション鳴らしてしまうことがあるので、人のことを偉そうに言える資格は全くありません。最近は本当に極力控えるようにしていますが、それでもごく一部の大阪のメチャクチャなタクシーなどには本当にイライラさせられてしまうことがあります。

でもこれが、子どもが自分の車に同乗している時だったら、やっぱり警戒しますよね。もし挑発的な態度と取られて相手の車から降りてきた人がうちの子どもを傷つけたりしたら…。ありえない話ではありません。

そんな自分をどう躾けたらいいのか。

そんなことをその時も考えていたのですが、その後テレビで、生物の身体の仕組みを技術に応用するという内容のニュース番組の特集を目にしました。その時「これだ!」と思いました。

生物の身体の仕組みを生かした技術。みなさんは何かご存知でしょうか。その時番組で取り扱っていたのが、水鳥の嘴の形をヒントに競技用のカヌーの形を水の抵抗を受けにくいように改良するというものであったり、水に浮いている蓮の葉の性質を利用して、裏面にヨーグルトがつきにくい蓋を作ったり、ミミズの動きをヒントに、狭い住宅用ダクトの中を掃除するロボットを開発したりというものでした。有名なところでいくと、新幹線のパンタグラフでしたかね、騒音を減らすために鳥の風切り羽の構造を応用した構造が取られています。

動物に関わる仕事をしていますが、こういう分野に関してはほとんど知識がありませんでしたので、「ほえ~」と感心しながら見ていました。

その時ふと思ったのが「動物の身体のことだけではなく、生き方にも学べることがあるんじゃないか?」ということです。

たとえば百獣の王と呼ばれるライオン。常に狩をしてはいません。百発百中成功しているわけでもない。ましてや、たとえば自分より何倍も大きい像に喧嘩を売ったり、麻酔銃を持った人間に襲いかかってくることもありません。自分たちの力を過信して自分の身を危険に晒すようなことはしませんし自分の力を無意味に周囲にひけらかすようなこともしません

クマもそうですよね。クマが逃げる人を襲うという報道がされていますが、それの何倍何十倍も、我々が気づいていないだけでクマのほうが逃げているはず。特に子どもと一緒にいる母グマならば、わざわざ喧嘩を売って自分の子どもを危険に晒すようなことは絶対しません。ただし、自分の子どもに不可避な危険が迫っていたら…、その時は当然牙をむいてくるでしょう。

変なプライドや虚栄心、自己顕示欲というものを持ってしまった人間だけなのかもしれません。自分や自分の大切な者たちに対してリスクがあるような無駄な争いを起こそうとするのは。

自然界に生きる生物たちの身体の仕組みは非常に合理的であるため、人間はそこから合理性の極みである科学技術を生み出してきました。そういった生物たちが自然淘汰をくぐり抜けて生き残ってきたからには、外側にある合理性だけではなく、生存していくための本能の部分にある合理性にも目を向けるべきなのではないか、ということを今日はお伝えしたかったのです。

動物たちは自分の力を誇示するためだけに争ったりしません。気にくわないヤツがいたとしても、そいつが自分の縄張りを侵犯したり家族を傷つけようとしない限りは報復行為をしようとはしないでしょう。逃げるが勝ちと判断すれば躊躇することなく“勇気ある撤退”を行います。生き抜くためには非常に理にかなっています。まさに合理的です

合理性の極みである技術を駆使して生き残ってきた人類は、動物の身体の合理性には目を向けて真似をしていますが、かつては自分たちも持っていたはずの、動物たちが持つ生存のための本能には注目していないと言えます。

人間関係に悩んだ場合は、ここに立ち返ってみたら良いかもしれません。イライラしても、それが自分の生存を脅かすほどのものなのかどうか。ここで喧嘩を売ったり買ったりすることが本当に意味があるのかどうなのか。そもそもイライラすることで認知能力、脳内メモリを奪われてしまうような状況が、新たな危険を招いてしまうとも言えるのではないでしょうか。

そんなふうな言葉を自分の中で回していますと、相手を挑発するようなクラクションを鳴らすなんて本当に無意味だと思えてきませんか?

我々が生物たちから学ぶことがもっともっとある。無尽蔵にあるはず。

これはアニマルセラピーにおいても言えることだろうなと思います。

もっと壮大な話に転換するならば、地球における生物の多様性を守るということは、我々がこれからも生物から勉強させてもらえる機会を守るとも言えます。そういった意味で、動物がいる生活に関わる仕事をさせてもらえるのは面白いし、楽しいなと心から思いました。

それではまた。Ci vediamo!

image by: Shutterstock.com

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