森友学園側とのいわゆる「交渉記録」を廃棄したと言い張って隠し続けたのも、随所に昭恵夫人の名が登場するからに違いない。
今回の財務省報告には、次のように「廃棄」の経緯が書かれている。
▽平成29年2月24日の衆議院予算委員会で、本省理財局長は「昨年6月の売買契約にいたるまでの交渉記録につき確認したところ、交渉記録はありませんでした」「平成28年6月の売買契約締結をもちまして事案が終了しており、記録が残っておりません」と答弁した。
▽理財局の総務課長と国有財産審理室長は応接録が実際には残っていることを認識していた。
▽理財局長から総務課長に対して、「財務省行政文書管理規則」どおりに対応している旨を答弁したことを踏まえ、文書管理の徹底について念押しがあり、総務課長は、残っている応接録を廃棄するよう指示されたと受け止めた。紙媒体のほか電子ファイルの廃棄も進められたが、個々の職員の判断で、手控えとして残された応接録もあった。
財務省の言い分では、交渉記録の保管期間は1年未満で、事案終了または年度末には廃棄されることになっている。佐川理財局長がこの「財務省行政文書管理規則」を徹底するよう念押ししたことで、総務課長は廃棄を指示されたと受け止めたというのである。
報告書には、「一連の問題行為の目的等」として次のように書かれている。
応接録の廃棄や決裁文書の改ざんは、国会審議において森友学園案件が大きく取り上げられる中で、更なる質問につながりうる材料を極力少なくすることが主たる目的だったと認められる。…連日の国会審議への対応のほか、説明要求や資料要求への対応に職員が疲弊しており、それ以上、議論の対象を増やしたくなかった
たしかに、国会が紛糾したさいの担当部局の忙しさは殺人的かもしれない。多忙とストレスの地獄から逃れたい気持ちはわかる。だが、そのために、犯罪的行為に及ぶとはとうてい考えられない。
問題は、官邸の顔色によって右往左往するほど弱体化した財務省の惨状である。残念ながら、それを生み出したのは悪しき官邸主導といわざるを得ない。
予算編成力をフル活用し、自民党族議員と組んで、政権さえ動かしたかつての財務省の姿に戻れということではない。国民の側に立つ政治家が主導し、官僚の能力を生かして政治を進めるのが理想である。その意味での政治主導はいい。
だが、安倍政権のように、私的に権力を用い、極端な思想と組み、財界の利益を偏重する政治主導は、国民をないがしろにする独裁制に近い。財務省は内閣人事局を窓口とする官邸の官僚統制におさえられてしまっている。
森友問題における財務省の愚行は、処分された佐川氏ら20人の問題に矮小化されるべきものではない。
財務省を再生しようと本気で考えるのなら、省を国民の公僕から首相の下僕のようにしてしまった官邸の改革を先に進めるべきである。