なぜ「冷たいしつけ」しかされない子供は考える事を放棄するのか

shutterstock_654525385
 

電車の中で騒ぐ我が子。そんな時、あなたはどんなふうに「しつけ」をしますか? 今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役小学校教諭の松尾英明さんが、親御さんが勘違いしがちな「しつけの温度」について紹介しています。

温かくしつける

赤坂真二先生からの学び。温かくしつけるということについて。

しつけるというと、厳しいイメージがある。厳しいの対義語は甘い。しつけが甘くては意味がない。となると、やはりしつけは厳しくするものといえる。

しかし、厳しいと冷たいを混同しがちでないか。二つは別の次元である。冷たいの対義語は温かい。

冷たいしつけになってないか。

温かいしつけになっているか。

厳しくも温かいしつけは存在する。しかし、厳しく冷たいしつけが多くなっていないか。二つはどう違うのか、冒頭の言葉を聞いて考えてみた。

電車で騒いで動きまわってる2、3歳ぐらいの子どもがいる。

スマホをいじりながら「じっとしてろって言ってんだろと睨む母親。

抱き寄せてじっと目をみて電車では騒がないのよと諭す母親。

言ってること自体はあまり変わらない。しかし、明らかに効果は変わる。子どもの思考の働きが全く異なる。

前者は、本能的な恐怖によるしつけである。怒られる恐怖による統制。思考の働きは不要である。

後者は、理解と愛情によるしつけである。なぜそう言われるのか、考える余地もある。

また、動機も温かさと冷たさに関わる子どものためを思っているのか。単に、自分が周りの目を気にしているのか

学級でもそのまま適用できる話である。教師のための学級経営は冷たい。教師の見栄のための公開授業も冷たい。子どものためと言葉だけで偽っているのは最も冷たい。

しつけは「躾」と書く。身を美しくするものである。生き方を美しくするものといえる。子どもの人生を思ってなされるものである。

それは、冷たいか、温かいか。言動一つ一つに対し、時々自省していきたい。

image by: Shutterstock.com

松尾英明この著者の記事一覧

『まぐまぐ大賞2014[無料部門]教育・研究』の大賞受賞メルマガ。実践例を通して、教育観を磨きながら、具体的な手法にもふれていきます。「教育を志事にする」を信条に、真に役立つ実践的な情報だけを厳選してお伝えします。教育関係者を中心に、子どもに関わる全ての方々に向けて発信します。登録・解除ともにすぐできますので、ご一読よろしくお願いいたします。

無料メルマガ好評配信中

この記事が気に入ったら登録!しよう 『 「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術 』

【著者】 松尾英明 【発行周期】 2日に1回ずつ発行します。

print
いま読まれてます

  • なぜ「冷たいしつけ」しかされない子供は考える事を放棄するのか
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け