電車の中で騒ぐ我が子。そんな時、あなたはどんなふうに「しつけ」をしますか? 今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役小学校教諭の松尾英明さんが、親御さんが勘違いしがちな「しつけの温度」について紹介しています。
温かくしつける
赤坂真二先生からの学び。温かくしつけるということについて。
しつけるというと、厳しいイメージがある。厳しいの対義語は甘い。しつけが甘くては意味がない。となると、やはりしつけは厳しくするものといえる。
しかし、厳しいと冷たいを混同しがちでないか。二つは別の次元である。冷たいの対義語は温かい。
冷たいしつけになってないか。
温かいしつけになっているか。
厳しくも温かいしつけは存在する。しかし、厳しく冷たいしつけが多くなっていないか。二つはどう違うのか、冒頭の言葉を聞いて考えてみた。
電車で騒いで動きまわってる2、3歳ぐらいの子どもがいる。
スマホをいじりながら「じっとしてろって言ってんだろ」と睨む母親。
抱き寄せてじっと目をみて「電車では騒がないのよ」と諭す母親。
言ってること自体はあまり変わらない。しかし、明らかに効果は変わる。子どもの思考の働きが全く異なる。
前者は、本能的な恐怖によるしつけである。怒られる恐怖による統制。思考の働きは不要である。
後者は、理解と愛情によるしつけである。なぜそう言われるのか、考える余地もある。
また、動機も温かさと冷たさに関わる。子どものためを思っているのか。単に、自分が周りの目を気にしているのか。
学級でもそのまま適用できる話である。教師のための学級経営は冷たい。教師の見栄のための公開授業も冷たい。子どものためと言葉だけで偽っているのは最も冷たい。
しつけは「躾」と書く。身を美しくするものである。生き方を美しくするものといえる。子どもの人生を思ってなされるものである。
それは、冷たいか、温かいか。言動一つ一つに対し、時々自省していきたい。
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