「今の若い世代は年金を受け取れたとしても微々たる金額」などとまことしやかに語られますが、はたして事実なのでしょうか。今回の無料メルマガ『年金アドバイザーが教える!楽しく学ぶ公的年金講座』では著者のhirokiさんが、「年金を廃止しろ」という声に対し、もし廃止となれば私的な負担がどれだけ増えるか、年金の歴史とともに詳しく紹介しています。
なんだかんだ言っても、老後もしくは万が一の時の大切な資金である公的年金
60歳に近くなってくると、段々「私の年金は貰えるの? 貰えるとしたらいくらだろうか?」と心配になってくる人は多くなってきます。いくら、年金だけじゃやっていけないからといっても、やはりなんだかんだ言いながら気になってくるものです。
現代ではよく、何歳までに何千万とか何億の貯蓄が必要! というような本のタイトルをしたものが人気だったりしますけど、もしそれが本当なら一体どの程度の人が生き残れる国なんだろうか? と疑問に思う事があります。
現在も高齢者世帯の所得の65%ほどは公的年金が占め、所得が公的年金だけという世帯は55%ほどもあります。老後は年金だけに頼るという生活設計をしてる人がそれだけ多い事が分かります。
しかしながら、もともと公的年金というのは創設された当初からそれだけで生活のすべてを賄うようにはできておらず、あくまで生活資金の一部であります。それでも、何とかやりくりされてるという事ですね。
とはいえ、相談において多くの年金額を見てきましたが、この年金額でどうやって生活してるのだろうか…と考えてしまう金額の人もやはり多かったですね。見慣れてくるとそれが当たり前になってきたりしますが…(苦笑)。
それは納めた保険料や期間によって人それぞれ金額は違うという社会保険方式なので仕方ないというのもあります。だからといって、無下に年金なんか廃止すればいいとか、もう年金は貰えなくなるんです! とか不安を煽る人達もいますがもしそうなれば、年金保険料を支払うという負担は無くなります。目先の負担は無くなるでしょう。
「さあ、年金が無くなりました。皆さんご自身で貯蓄したりしてこれから頑張ってください。あと、もう皆さんのご両親や祖父母、もしくは家族を失った方への遺族年金や障害をお持ちの方への障害年金は支払いません」
…そうなると誰がそういう人達の収入を支えるのか。そう。その子や孫、もしくは親族の方になりますよね。赤の他人にお金を出してもらうわけにもいきません。
毎月国民年金保険料であれば16,340円支払わなければならなかったものが、自分自身でご両親や祖父母の方の生活を支えるために最低そうですね…毎月10万円くらいは支出してもらわなければなりません。そんな事ができる人がこの日本に一体どの程度いるんでしょうか。
生活保護? いやー、生活保護でそんな事したらこの国の財政はそれこそ破綻しますよ(笑)。余程の事が無い限り、そんな事には頼らず自分自身の努力で貯蓄したり保険を掛けてきたもので収入を確保したいのではないでしょうか。
年金は現役世代全体で年金受給者を扶養する世代間扶養の仕組みだからこそ、その程度の保険料負担で済んでるというのもあります(それでも2万円近い負担は大きいですけどね^^;厚生年金とかは給料に比例して保険料も変わるから人によっては毎月5万円以上の支払いをしてる人もいます)。
前も何回か言いましたけど、公的年金が無くなれば私的な負担が増えるに過ぎない。年金保険料の数倍の負担。
年金制度から高齢になった親御さんや祖父母の方へ年金が支払われるから、若い人は自分の好きなように夢を目指し、好きな場所へ行き好きな仕事をすることができる。自分だけ、もしくはその家族(配偶者と子供)の生活に集中していればいい。お父さんお母さんやおじいちゃんおばあちゃんの生活は各自でお願いしますねと。
ひと昔前は、親子三世代の大家族で、高齢になった親御さんの面倒はその子供が見るという時代だった。少子化が進み、そういう大家族の機能が働かなくなったし、核家族化も進んで、子は大人になれば上京していくし老後への不安が高まっていきました。昭和34年に国民年金ができたのも(昭和36年4月から今のように保険料支払うタイプの国民年金が始まった)、そういう老後の不安が高まってきたから。
今ではだいぶ年金は嫌われ者ですが、昭和36年4月に国民年金がなぜできたかというと国民が年金を作ってほしいという要望が凄く高まってきたため。国民が年金を望んだんです。
昭和33年の総選挙の時には当時の与党だった自民党と、野党の社会党の両党ともに「国民年金創設」が最大の選挙公約でありました。投票率がほぼ80%(79.99%)に至り、自民党が社会党に勝利して早速その翌年の昭和34年には国民年金ができた。未だかつてこんなに投票率が高かったことは無い。あの旧民主党が政権交代した時でさえ69%くらいだった。
さて、昔の人は自分で自分の配偶者や子供の収入だけでなく両親の生活の負担も見ていたけども、段々そういう私的な負担(自分の収入で親の面倒を見る)が時代の変化と共に公的な負担(公的年金)へと変わっていった。
昔の人は少ない保険料しか納めてないのに貰える年金は多くて、今の若い世代は保険料は高くて貰える年金は少ないというのは不公平だ! って時々話題になる事がありますよね。しかし、時代の変化と共にそういう私的な負担から公的な負担へ変わっていった事を考えればこういう世代間不公平論は全くの誤り。
そもそも、年金は老齢という長生きするリスクに備えた保険であるために、損得論というのがあまり意味をなさない。一応参考程度に損益分岐点を記事に書いたりはしますが、「結局、だから何なんだろうね…」という気持ちになります。
で、長生きって良い事なんですが、保険としてはリスクなんですよ。年を取ると収入を得る体力が無くなっていきますし、雇用もされなくなっていく。病気がちにもなる。
また、年金というのは制度に加入してから年金受給を終えるまでの平均60年とか70年という超長期間における様々なリスクに対応する機能を持っています。まず第一に遺族年金や障害年金という若い世代にも起こりうる所得が喪失してしまうリスクに対応しています。年金は高齢にならないと貰えないものというイメージが根強いですがそうじゃない。
第二に、物価(物価スライド)や賃金変動率が上がればその分年金を引き上げたりすることで、不確実な社会経済変動にも対応できる仕組みになってる(今は少子高齢化に対応するために、給付を抑えていくための仕組みだからなかなか年金は上がらないですが…)。
第三に何歳まで生きるのかわからないという不確実な要因にも対応できるように終身保障です。
こういうリスクや不確実な事に対応している機能も併せて考えると、誤った世代間不公平論は有害無益な議論でしかない。
世の中は、年金に対する不安や心配は誰もが程度の差こそあれ持ってると思いますが、ある程度年金の事を知っておく事はいざという時に後悔しないためにも必須だと考えます。
公的年金には毎年11兆円くらいの税金も入ってるし、知らなかったでは大損してしまいかねないからですね。
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