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連投の球児を「美しい」と称える、スポーツ後進国ニッポンの実態

「パワハラ問題」など暗いニュースが続くスポーツ界に、爽やかな風を吹かせた夏の甲子園「金足農業」の大健闘。しかし、ジャーナリストの高野孟さんは自身のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』で、同校のエース吉田輝星投手の連投をはじめ、日本のスポーツ界に蔓延する「苦痛に耐える姿の美しさ」を讃える傾向こそが、日本をスポーツ後進国にしていると鋭く指摘しています。

※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2018年9月3日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール高野孟たかのはじめ
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

金農をそんなに持ち上げていいのか?──明治から150年を貫く「体育」と「スポーツ」の矛盾

暗い話ばかりの暑苦しい夏に、秋田の金足農業高校の甲子園での大健闘は珍しく爽やかな話題で、私も、最初は「農業高校頑張れ!」という単純な理由で応援し始め、そのうちエース吉田輝星の華麗な投球や高橋佑輔内野手の渾身の打撃にすっかり魅入られてしまった口である

〔注〕だから余り偉そうなことは言えないのだが、『週刊朝日』9月7日号のように「レギュラー9人で決勝まで進んだ姿に……懐かしき昭和の香りを感じた」などと、金農野球を過剰に持ち上げる風潮はいかがなものだろうか。

〔注〕私は夏の甲子園に関しては、1回戦から毎日ずっと観ている訳にもいかないし、時間のある時に何となく散発的に観ても何も面白くないので、初期段階で直感に従ってテーマを決めてそのチームを応援しながら観ることにしている。特に目新しいテーマが見つからない場合は、必ず沖縄代表を応援する。

吉田投手は潰れる寸前だった?

県大会から甲子園まで、全試合を吉田投手はじめ9人のレギュラーを固定して戦ったことについて、中泉一豊監督は「試合に出場させる選手がいれば起用するが、そうではないので、9人で戦っている」と語っている。確かに、全国から金に飽かせては選手を集めている野球専門私立高校とは違って全員が地元中学出身であるような公立高校では、1つも取りこぼしが許されないトーナメント方式の中で勝ち残ろうとすれば、そのように潔く割り切った戦略をとるしかなく、その意味では“美談”なのかもしれない。

しかし、他の8人はともかく投手にとってこれは過酷なことで、まさか決勝まで進むとは思わないからこそ採用できる歪んだ戦略である。実際、吉田投手は、下半身を柔軟に大きく使う優れた投球フォーム、相手によって緩急を3段階に切り替えられるという巧みな省エネ的マウンド術などによって、決勝戦途中まで投げ続けることが出来たけれども、さすがに股関節に力が入らなくなって自ら申し出て降板した。これが多くの高校投手と同じように、主として腕に頼って力投を続けるタイプであればここまで辿り着くこともなしに肩か肘を壊していたのではないか

思い出すのは、2013年夏の甲子園木更津総合の2年生エース=千葉貴央が引き起こした「山なりボール事件である。県大会の準決勝と決勝だけでも計300 球以上を投げ、甲子園の1回戦でも138 球を投げて完投した千葉投手は、2回戦の対西脇工業戦でも先発し、1回裏にマウンドに上がったものの、もはやまともにボールを投げることができず、6球続けて山なりの超スローボールを投げ、観客席がざわめく中、それでも第1打者から三振を奪ったものの、それが限界で、壊れた右肩を抱くようにして降板した。しかし、それでも木更津はその試合に勝ち、試合後の会見で同校の五島卓道監督は、

千葉がいなければ甲子園に来ることはできなかったので、起用にこだわりました。交代させるのが少し遅かったかなと思います。捕手が降板したほうがいいと言ってきたので交代させましたけれど、僕は続投させるつもりでいました。

と言い放った。もちろんそこまでさせた五島に、当時、世間の非難は集中した。しかし後に千葉は「監督さんが周りから批判を受けていることが一番辛かったです。監督さんが僕を無理やりに登板させたわけではなく、自分からわがままを言って投げていたのに」と、子どもが大人をかばうようなことを言っている(氏原英明『甲子園という病』新潮新書、18年8月刊)。

悲劇は防げるはずなのに

千葉は、そのような心情になるのは「甲子園が魅力的すぎる」からだと説明している。小学生の時から肩の痛みに苦しみ、高校では痛み止めの注射を打ちながら連投した。その時には「将来」の二文字は消えていて、仮にプロ野球のスター選手として活躍する人生を棒に振ることになろうとも「今、目の前の仲間たちと甲子園で戦いたいと思いました。怪我をしたから自分だけが出場を放棄するという選択はなかったです」とも(同上)。

となると、これは、玉砕覚悟で特攻に出撃した戦時中の若者たちと同じことにならないか。ここで自分だけが抜ける訳にいかない、花と散ろうという切羽詰まった心境に17~18歳の若者がのめり込んでいくのを、本人が止められるはずもなく、止められるとすれば大人の指導者しかいないが、その大人が逆に若者を自殺行為に追い込んだのである。

昔から言われていることだが、このようにして高校野球は多くの優れた人材を使い潰してきた。幸運にも途中で潰れずに好成績を収めた若者がヒーロー扱いされてプロでもてはやされ、その中からは米メジャーで活躍する者も出ているけれども、投手の場合は肘の靱帯損傷などの怪我で悩む場合が多い。松坂大輔、ダルビッシュ有、田中将大、大谷翔平など皆そうで、その原因として「ジュニア期の登板過多が問題視されている。黒田博樹は高校時代に三番手投手で、練習試合にしか登板しなかったので、メジャーに行っても壊れないで帰って来たと言われている。

このことが日米にまたがって議論になってからの米国の対応は機敏かつ徹底していて、メージャーリーグ機構と米国野球連盟が2014年に18歳以下のアマチュア投手を対象にしたガイドラインピッチ・スマートを作成した。これは、

  1. 1日の投球数は17~18歳で最多105球
  2. 31~45球を投げた場合は中1日、76球を超えると最低でも中4日の休養
  3. 試合に登板しない期間を年間4カ月以上設け、そのうち2~3カ月は投球練習もしない

──など、まことに厳しいもので、小学生でも毎日300 球の投げ込み練習をやらされる場合がある日本の現実からは、かけ離れたものである。

米国ほど厳格でなくとも、例えば単純に「2試合連続登板禁止」としただけでも、各チームは最低限2人のエース級投手を育てなければならない訳で、吉田や千葉のような目には遭わなくて済む。苦痛に耐えて連投する高校生投手を「美しい」と称えるような甲子園のありようを見た米メジャーリーグのスカウトが「児童虐待だ」と言ったのは有名な話だが、それがスポーツ後進国=日本の赤裸々な実態である。

野球を楽しむという気風の欠如

高野連も、今大会からタイブレーク制度を甲子園に適用するようになった。これは、延長戦の末に引き分け再試合となるのを防ぐために、延長に入ると人為的に走者を塁上に置いてスタートさせるという制度で、選手の健康面への配慮というよりも、大会の日程運営上の面倒を避けるという側面のほうが強い。

それよりも、「選手ファーストで米国並みに投球回数や球数を制限することなどを本格的に検討しなければならないはずだが、それがなかなか進まないのは、野球に限らずこの国のスポーツの軍国主義的歪曲という根源的な問題があるからである。日本では明治以来、欧米から受容した「スポーツ」がすべからく学校「体育」として始まった。玉木正之は『続・スポーツ解体新書』(ザイテンブックス、10年刊)で書いていた。

明治時代文明開化で欧米の文物が一気に日本に流れ込んだとき、その受け入れの窓口となったのは大学だった。スポーツも例外ではない。

 

まず大学生が、欧米から伝播したスポーツと取り組んだ。そして彼らが教師となり、全国の高等学校、中学校へと野球を広げた。残念ながら、そこで、ボタンの掛け違いが起こった。「スポーツ体育と混同されてしまったのだ。

 

教育機関で行われる身体運動は、すべて「体育」である。「知育」「徳育」と並び、若者や子供たちの身体を鍛える「体育」は、もちろん教育に欠かせない。その心身を鍛える「体育」のひとつの手段として「スポーツ競技」が用いられることは多い。

 

「体育」は教育の一環として指導者から命じられ、心身を成長させるために強制的にやらされるものである。一方「スポーツ」は、誰からも強制されず、自ら好んで自主的に取り組むものだ。

 

そして高度な技量を身につけたスポーツマンは、入場料を取って観客に「見せる」こともできるようになり、必然的にプロになる。

 

以上のシンプルな原理を頭に入れておきさえすれば、高校野球甲子園大会に露呈している矛盾や問題点がすべて理解できる。要するに高校野球は体育を行うべき高等学校という教育機関で「スポーツを行っているのだ……。

もっと端的に言えば、「体育の基本は軍事教練である。明治国家がこれからアジアの帝国にのし上がろうとするについて、若者を、国家意識に目覚めた、心身頑強で集団行動の訓練を身につけた愛国戦士を育成しようとするのは当然で、その一環としての体育も、気を付け、前へ倣え、右向け右、回れ右など命令一下、機敏に一糸乱れず行動できるようにすることから始まった。やがて鉄棒・跳び箱、徒競走などで鍛えるのだが、そればっかりでは飽きてしまうので、次第に野球をはじめ欧米的な集団的ボールゲームが導入されるようになった。しかし、それはあくまでもゲームを楽しむものではなくて、苦しませるための鍛錬手段だった。

戦前の早稲田大学野球部の神話的指導者=飛田穂洲が「野球の神髄は練習にあり」と言ったとかで、炎天下「死の千本ノック」に耐えることが美しいとされる嗜虐的な野球観が醸されてきたのだが、これこそ過去150 年のスポーツ後進国=日本の属性である。しかしスポーツは本来市民が余暇に家族や近隣の仲間と共に楽しむもので、そうならなければこの国も成熟市民社会には到達しない。

昨今のレスリング、アメフト、ボクシング、体操など噴出するパワハラ問題の根源はここにある。それに対して「体育からスポーツへの100 年目の大転換」という理念を掲げて、実際にベンチャービジネスとして「Jリーグ」を立ち上げて世に突きつけたのが、川淵三郎=Jリーグ初代チェアマンである。

その川淵は最近、『黙ってられるか』(新潮新書、18年8月刊)を上梓した。サッカー界改革の体験を元にバスケットなど他の分野にもその100 年目の大転換を及ぼそうという意欲が表れていて面白い。余談ながら、川淵が本田圭祐を人材として高く評価していて、「将来、本田が日本サッカー協会の会長になったら面白いだろうなと思う。いや、彼はもっとスケールの大きなことを考えているのかもしれない」とまで言っているのには大いに驚き、本田ファンとして深く賛同した。

image by: Shutterstock.com

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