全自動洗濯乾燥機やロボット掃除機などの電化製品や半調理品の登場で、昔に比べて家事は省力化されました。それでも、洗濯物の折り畳みなどかなりの部分は人手に頼らざるを得ません。今回の無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』では著者の真井花さんが、おかしなこだわりは捨ててもっと気兼ねなく家事を外注しようと提唱しています。
海外ではメジャーなやり方
さて、本日は家庭内の他人のお話。
家事はとても多岐に亘っていますよね。
- 料理
- 子育て
- 洗濯
- 家計の把握
- 介護
- 掃除
- 片付け
- 近所とのつきあい
などなど。いや、かなり大きな括りで書いてもこのくらいはありますよね~。そして、これらのうち
- ベビーシッター
- 病人や老人の介護
- 家の片付け
- 服のクリーニング
など、外注できる家事がありますね。ところが、これら外注できる家事は、
- 海外ではかなり普及しているのに
- 日本ではイマイチ普及していない
んですよ。これが日本で普及していかない理由のひとつは
- 家事を他人に頼むのがイヤ
………………( ̄∇ ̄)
コレでしょう。家事は家族でやるモノだという、もっとハッキリ言えば、家族の家事は
- 女性がやるモノだ
という思い込みが強いんだと思います。この思い込みは、すでに女性たちにも内在化されていますね。特に、
- 子供の世話
に関しては、とりわけ排他的に感じます。ま、タイやスペイン、フランス、中南米など聞きかじっただけですが、ベビーシッターをオネガイすることはとてもメジャーだそうです。その結果、これらの国で子供がミョーなカンジに育ってしまっているなどということはナイわけですよ。
……ちょっと横道に逸れますが、
- 家事とは、スキル
だろうと思っています。つまり、後天的に獲得するものであり使わなければ錆び付き、誰でもブラッシュアップできるのです。そして、スキルである以上、
- 得手不得手がある
ということです。
家事を愛情表現だと捉えると、出来ない自分を責めたり、絶対に親がやるべきだと決めつけたりすることになります。もちろん家事が愛情表現の一部であることは否定しませんが、それはあくまで一側面に過ぎないのです。
おそらくですが、家事を他人に頼むのがイヤだという方は家事の愛情表現の側面を
- 過大に評価しすぎ
ているのではないでしょうか。他者にやってもらうということは家事をやっている者として愛情が少ないことを認めるような気持ちになるんじゃないでしょうか?
ですが、家事をスキルと捉えると、
- 家事の外注は、高スキルを買うこと
だと定義でき、家族への愛情表現の問題とは切り離すことができます。ある意味、ドライかもしれませんが、合理的でしょ?