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終身雇用崩壊の日本が、未だ「新卒一斉採用」メインという矛盾

日本の雇用制度は、バブル崩壊からかなりの期間を経た現在でも、「新卒一斉採用」の勝組は安泰、それ以外は挽回の余地がなく、多くのロスジェネ世代を生んでしまいました。AJCN Inc.代表で公益財団法人モラロジー研究所研究員の山岡鉄秀さんは無料メルマガ『日本の情報・戦略を考えるアメリカ通信』の中で、ワンチャンスを逃したロスジェネ世代が未来を描ける選択肢が多様な日本社会の再構築を提案しています。

「国の豊かさ」を再定義する必要性―ロスジェネって何?

全世界のアメ通読者の皆様、山岡鉄秀です。

国の豊かさって何なのでしょうか?ひとりあたりのGDPですか?日本は豊かな国なんでしょうか?一応まだ経済大国っていうことになっていますよね?日本は豊かな国のはずですよね?

私は昭和40年生まれで、バブル期に成人しました。戦後しゃにむに経済発展の道を突き進んできた日本が物質的繁栄のピークを迎えた瞬間でした。

1985年のプラザ合意による為替市場への協調介入で円の対米ドルレートが250円から瞬間的に100円を割り込む超円高へとシフトしました。その後100円台前半で安定。大変な驚きでしたが、円高は本来、日本の豊かさの反映です。いつまでも円安を望む方がおかしいのです。いずれにしても、大幅な円の価値上昇で、一般の日本人に外国が一気に身近になった歴史の転換点でした。これで「よっしゃー!海外をこの目で見てやる!」という若者が急増し、私もそのひとりでした。

就職市場は売り手市場で、ひとりでいくつも内定をもらい、「拘束」という名のもとに他社を受けられないように地方、下手をすると海外へ拉致される時代でした。私も、いきなり「山梨ぶどう狩り」「箱根芦ノ湖」「東京ディズニーランド」などに拉致されました。

ここだけの話、卒業年度が俳優の阿部寛さんと一緒で、阿部さんが卒業時の大学新聞にコメントを寄せているのを見ました。当時、モデルとして大ブレーク中だった阿部さんは謙虚に、「芸能界で生きていけなかったら卒業証書を握りしめて一からやり直します」などと書いていました。その阿部さんも今では立派な性格俳優ですが、私の中では今でもバブルの象徴です。

本当にあの頃の日本人は元気いっぱいでした。しかし、私は「何かがおかしい」という気がしてなりませんでした。

物質的には間違いなく世界一豊かなのですが、なんとも精神的に余裕がないのです。そして、大学3年の時に訪れたシドニーで大ショックを受けることになります。あの頃のオーストラリアはまだまだ田舎国家で、車は日本では見なくなった中古車が走り回り、家の中にあるテレビもステレオも「今時?」と思うような古いものでした。ファッション感覚は皆無。ボロボロのTシャツに裸足で街中を歩いています。

しかし、人々はのんびりと幸せそうに暮らしていました。今でも忘れられないのは、帰宅するために乗ったシドニー湾を渡るフェリーです。

夕焼けでした。

真っ赤に染まる夕暮れの空を背景に、オペラハウスとハーバーブリッジが美しいシルエットを染め抜いていました。その夕日を眺めながら、帰宅中のサラリーマンがデッキでのんびりと缶ビールを飲んでいるのです。船腹を叩く波の気だるい音が今でも耳に残っています。

やがて日本のバブルは崩壊。ゆっくりと滑り落ちていきます。まだ誰も、まさかその後何十年も立ち直れないとは夢にも思っていませんでした。

今や、オーストラリアの一人当たりGDPは日本よりも2万ドル以上も高く、街中はピカピカの高級車が走り回っています。それはともかく、和田憲治さんやKazuya君がシドニーに取材と称して行くたびに「なんかオージー楽しそうだよね」と言います。

一方、私がほぼ23年ぶりに帰国して気が付いたのは、若者の元気のなさです。若者といっても30代前半でしたが。彼らから感じるのは「諦観」でした。つまり、なんとなく諦めた感じ。ブラックな職場環境で、ひたすら耐えてもくもくと働き、病気になっては休んでいる。目に光がない。などなど。

とても留学する覇気なんてなさそうです。「どうしちゃったんだ?」と思いました。しばらくしてわかりました。いわゆるロスジェネなんですね。バブル崩壊後の就職氷河期で正規採用の機会もなく、ずるずると漂流するように歯を食いしばって生きている世代。まさに隔世の感です。

そこで思うのです。

確かに、運悪く不景気にぶつかってしまう世代もあるでしょう。でも、新卒で正社員になれなかったら、その後ずっとハンデになって挽回できないっておかしくないですか?それって、いまだに「就職という名の就社」の発想でやっているってことですよね?企業はまっさらな白いキャンバスのような新卒を採りたいという。終身雇用を保証できないのに、それって完全に時代遅れのシステムじゃありませんか?

日本も本来の「就職に発想を改めるべきでしょう。

つまり、「ここにこのようなポジションがあります。必要な経験とスキルはこれこれです。報酬はこれぐらい」と言って人を募集する。年齢も性別ももちろん関係ありません。必要なのはその仕事をこなすのに必要なスキルと経験だけ。もちろん、学歴や経歴が良ければそれに越したことはないけど。

この、オーストラリアで一般的なシステムだと、むしろ新卒の方が不利になります。経験がないのですから。

そこで、ジュニアのポジションで入るか、あるいは、アルバイトでも派遣でもいいから経験を積むことです。それでしばらく頑張れば、「私はこれとこれができます。これとこれをやってこのような実績を残しました」と履歴書に書くことができます。それにマッチする求人があって採用されれば、正社員になれるわけです。大事なのは何をしてきたか」であって、雇用形態ではありません。

たまたま新卒時に不景気でいい仕事がなくても、しばらくできることをやったり、勉強を続けたりして努力していれば必ず挽回のチャンスがある、そういう社会であるべきではありませんか?ボランティアの経験だって評価されるべきです。

それに、社会人生活をしばらくしてから、「ああ、やっぱり自分はお菓子職人になりたいなあ」とか「やっぱり看護婦になりたい」「経理関係の資格が欲しいなあ」とか思ったら、専門学校に行ったり、大学や大学院に戻ったりして、人生をやり直すのもいいでしょう。

やがて結婚しても、旦那が家に入って、奥さんが外でバリバリ稼いでもいいし。人それぞれの生き方をすればいい。つまり、豊かな社会って、物質的な豊かさとは別に、「選択肢が多いやり直しができる社会」じゃないかって思うわけです。もちろん、本人にやる気があることが大前提ですが。

東西冷戦という「ある意味の安定期」が終わって以来、世界の変化の目まぐるしさは半端ないです。その世界の変化に背を向けて、「新卒じゃないと不利、場合によっては1年留年して新卒カードを切る」なんて発想自体が馬鹿げているとしか私には見えません。それに、どんな場合でもブラックはダメです。ダメなものはダメ。

オーストラリアで、人々が何となく楽観的で楽しそうなのは、人生の選択肢に幅があって、社会保障のセイフティネットがしっかりしているから、という側面があると思うのです。日本も「豊かさの定義」を根本的に考え直すべき時ではないでしょうか?

(山岡鉄秀:Twitter:https://twitter.com/jcn92977110

image by: Shutterstock.com

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【著者】 アメリカ通信 【発行周期】 週刊、不定期

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