多くの報道がなされている、公立福生病院で起きた人工透析中止による女性患者の死亡事故。しかしその伝え方のほとんどは、ワイドショーのみならず主要新聞各紙までもがセンセーショナルな形となっています。この状況に「違和感を抱く」とするのは、健康社会学者の河合薫さん。河合さんはメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』でその理由を明らかにするとともに、メディア全体に対する自身の要望を記しています。
※本記事は有料メルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』2019年3月20日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め初月無料のお試し購読をどうぞ。
プロフィール:河合薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。
家族の気持ち、わかりますか?
腎臓病の女性(当時44才)が、昨年8月人工透析を取りやめて死亡した公立福生病院で、透析を中止したり透析を始めない選択をしたりして死亡した患者が、女性を含め計21人に上ることがわかったと、19日共同通信が報じました。
先週15日には、日本透析医学会が立ち上げた調査委員会が、立ち入り調査を実施。調査委の報告に基づき倫理委員会で審議し、正式な見解を示すとしています。
この問題は3月7日に毎日新聞が、「医師、『死』の選択肢提示 透析中止、患者死亡」という見出しで報じたことに端を発しています。
「毎日新聞の取材により明らかになった」と書かれている文面には、
- 昨年8月、外科医(50)が、患者に対し人工透析治療をやめる選択肢を示した
- 透析治療中止を選んだ女性が1週間後に死亡した
- 30代と55歳の男性患者も治療を中止し、55歳の男性が死亡した
などが書かれていました。
その後、メディアの後追い報道が始まり「『死』の選択」という言葉が何度も繰り返され…。私は正直なところ、メディアの報道に違和感を抱いていました。
以前、「すい臓癌を巡る報道への私的な見解。マスコミのみなさん『がんの王様』と言わないで」で書いたとおり、メディアがやたら滅多に「死」を意識させ、恐怖を煽るような報道の無神経さにほとほと嫌気がさしているのです。
私の父は、4年前にすい臓がんで他界しました。透析だけにかかわらず、がん、認知症など、すべての治療法への選択に関して家族は悩みます。特に年老いた親の場合、「1日でも長く生きていて欲しい」という気持ちと「治療で苦しむより笑顔でいられる日が1日でも多い方がいい」という気持ちが交錯する。
そして、最後を迎えたあと、再び悩む。「本当にあれでよかったのか?」と。
どんなに本人の考え、思考性を考慮した選択であっても、最後は…死にいたります。そのときから「他の選択肢もあったのではないか?」という自問がはじまり、時間が経ってもその気持ちがすっきりと晴れることはありません。
今回の人工透析中止の問題については、メディアやSNSのほとんどが透析を中止した福生病院に批判的でしたが、医師など医療側からは福生病院を擁護する意見も出されました。しかし、「家族」に関するものはほとんどありませんでした。
唯一(私が確認した限りですが)、臨床倫理の専門家である東京大学の会田薫子先生が「日経メディカル」のインタビュー記事で、次のように答えていました。
一連の報道の中には、透析を行わずに死亡した患者さんが20人ほどいたというものもありました。このような報道をするメディアの方々には、「この記事を読んだ遺族がどのような心境になるか想像してみたことがありますか?」と問いたいです。
なぜ、「治療の選択」ではなく「死の選択」という、センセーショナルなフレーズをメディアは使うのか?なぜ、いつも「悪者探し」をし、叩くことばかりの報道になってしまうのか。なぜ、なんでもかんでも「白黒」つけるようなことばかりするのか。私には理解できません。
私が専門とする健康社会学は、「健康・病気と保健・医療の世界における問題を、行動や生活、家族や集団、職場や家族、制度・政策や社会・文化に関する社会学の理論と方法を用いて解明あるいは解決することに寄与しようという学問分野」です。
医療の世界には、この四半世紀でさまざまなパラダイムシフトがおこりました。その中のひとつが「死亡か生存か?から、QOL(生命・生活・人生の質)の向上へ」という考え方です。
家族は自分の大切な人の「生活の質を維持するために」残された日々を必死で過ごします。だって、それしかできることはないから。当人が「笑う」ことが、最高の“光”だからです。
その家族の思いを、伝える側がほんの少しでも考えてみれば、叩くだけの報道にはならないのではないでしょうか。
なんだかとっ散らかった文章になってしまいましたが、報道の人たちには自分たちの発信の影響力を考えて欲しいです。
悪を退治することばかりに躍起になったり、お涙頂戴のドラマ仕立ての記事ばかりではなく、それを読んだ人が「これでよかったんだ」と安心するような記事も書いて欲しいです。
みなさまもご意見、お聞かせください。
image by: Shutterstock.com
※本記事は有料メルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』2019年3月20日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め初月無料のお試し購読をどうぞ。
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※『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』(2019年3月20日号)より一部抜粋