そういった例は、歴史上も数多く見られると言います。第一次世界大戦前、戦争に賛同する世論を形成するために使われた逸話があります。「手を切断された少女の祈り」という逸話で、そこには、「神様、私にはもう祈る手がありません。意地悪なドイツ兵に斬られたのです。」…と。まさに、「5.敵はわざと残忍な行為に及んでいる」と思わせる手法をつかったのです。真偽が定かではない出所不明のこの逸話が、周辺諸国の国民のドイツに対する敵意を煽る効果をもたらし、第一次世界大戦へ突き進んだのです。
そして、このエピソードと同じ手法が70年以上たって又使われたのです。イラクのクウェート侵攻の証言として、クウェートの少女がアメリカ合衆国議会で語った言葉です。
「イラク兵は、保育器を持ち去ってたくさんの赤ちゃんを冷たい床の上に放置して死なせました」
この証言で世論は大きく変わりました。クウェートに侵攻したイラクに対して開戦すべきかどうかという世論調査に対して、「すべき」と答えた割合は、11月には37%だったのに、この少女の議会証言で一気に上がり、12月には53%にもなり、開戦へと大きく舵を切ったのでした。しかし、後に、この議会証言は全くの虚偽であったことが判明したのです。イラクには「大量破壊兵器」があると言われ、開戦の大義とされましたが、これもついに発見されませんでした。
こういったことは、他人事どころか、太平洋戦争当時の日本でも行われていました。大義が掲げられ、戦況は味方の勝利のみが大々的に報じられました。戦争に対して、少しでも疑問を唱えると、非国民として弾圧されました。日本では、敵は「鬼畜米英」といい、恐ろしい野蛮なものとして敵愾心を煽り、アメリカでは、日本人のことを「ジャップ」と呼び、野蛮凶悪な国民であるかのようにアピールし、お互い、国民が戦争を支持するように、世論を操作したのです。
アメリカ・イラン危機は一旦、納まったと言われていますが、いつまた政治の都合によって、引き起こされるかもしれないのです。また、どんなプロパガンダが行われるか分からないのです。そういった現状を端的に表す本書の次の言葉を絶対に忘れないようにしよう…と思いました。
戦争が終わる度に、われわれは自分が騙されていたことに気づく。
そして、もう二度と騙されないぞと心に誓う。
だが、われわれは性懲りもなく、また罠にはまってしまうのだ。
敵愾心や恐怖を煽るような報道、相手の国民性を否定的に伝えるような報道、相手こそが非常識で、自分たちは正しいという論調、は、要注意なのです。それに、無意識に影響を受けてしまっている自分と、そういうプロパガンダの中に自分もいるという違和感が重い気持ちの正体だったんだ…と気づきました。
大きな悲しみや怒りの感情を呼び起こし揺さぶる言葉や映像こそ気を付けよう。「戦争」を正当化するようなプロパガンダには、絶対に騙されないぞ、罠にはかからないぞ、と強く思い続けなければ巻き込まれてしまいます。
幸いにも、インターネット社会は、冷静に検証する気になれば、一方的なプロパガンダに飲み込まれにくい社会です。あとは、自分の「感情」をいかに冷静にコントロールするか…です。改めて、自分の身近なことから、「感情」に飲み込まれず判断するということを心掛けたいと思いました。
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