昨年11月の兵庫県知事選挙で、斎藤知事をアシストする“2馬力選挙”のデタラメを展開したうえ、選挙戦前後の数々のデマと精神的暴力によって、元兵庫県議の竹内英明氏(50)を自殺に追い込んだ「NHKから国民を守る党」党首・立花孝志氏(57)。本稿では、作家で元国税調査官の大村大次郎氏が、古くからの友人である竹内氏を追悼するとともに、立花氏に現行法内で最大級の刑罰を与えるための方法を検討する。たとえ何年かかろうともあきらめることはない。日本は法治国家として、いまだ故人を冒涜しつづける立花氏に相応しい罪状を用意する必要があるからだ。(メルマガ『大村大次郎の本音で役に立つ税金情報』より)
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:わが友、竹内英明氏を悼む
わが友、竹内英明氏を悼む
兵庫県の元県議の竹内英明氏は、実は私の古くからの友人です。
彼については、ネットなどで一方的、断片的な情報ばかりが氾濫しているので、今回、私が知っている竹内氏について語らせてください。
竹内氏と私は、彼がまだ議員になる前、私がまだ駆け出しのライターだったころからの友人でした。
私の最初の担当編集者が、大学時代の政治サークルで竹内氏の後輩だった縁で、竹内氏の趣味だった食べ歩きの会や、4~5人の鍋パーティーなどに呼んでもらっておりました。
そのときの私は一応ライターとしてデビューはしていましたが、まだ仕事も少なく、ライターというよりは、フリーターのような身分でした。
竹内氏は、政治家の家系でもない、ごくごく一般家庭の出身です。が、若いころから「国を良くしたい」という珍しい情熱があり、早稲田大学在学中から政治サークルに入って政治家の秘書見習いのようなこともしていました。
そして早稲田大学を卒業後一旦就職して社会経験を積んだ後、地元姫路の市会議員選挙に出ました。それが20数年前のことです。
今もそうですが、当時の若者も、政治については無関心な人が多く、政治に情熱を燃やす竹内氏はかなり変わり者な存在でもありました。茶化したりバカにしたりする人も多かったはずですが、竹内氏は自分に正直にまっすぐに政治の道を進んだのです。
ボロアパートから姫路駅前に通った日々
この最初の市会議員選挙のときには、「選挙とはどういうものか見てみたい」と私が無理なお願いをし、私は竹内氏の選挙事務所となっていたボロいアパートに寝泊まりしながら、選挙戦全般を取材させてもらいました。
地盤も知名度もない竹内氏は、毎週、姫路の駅前に立ち、演説をしていました。
兵庫県の斎藤知事も知事を失職した当時に、同じようなことをしていましたが、斎藤氏の場合は、すでに抜群の知名度があり、そういうことをすればある程度注目され、取材も来るだろうということはわかっていたはずです。
が、竹内氏が駅前で演説していたときというのは、本当に「誰も知らない」状況であり、立ち止まる人や気に留める人などもほとんどいませんでした。
むろん、選挙スタッフなどもあまりおらず、家族だけで選挙戦を戦い抜きました。まだ結婚前だったので、奥さんではなくご両親とご兄弟が一丸となって協力していました。
このような竹内氏の情熱は、姫路市民にも徐々に浸透したらしく、まったく無名だった竹内氏は最初の選挙からトップ当選を果たしたのです。