5月12日、基本的対処方針等諮問委員会に経済の専門家4人が加わりました。この対応を受け、軍事アナリストで危機管理の専門家でもある小川和久さんは、後手後手の新型コロナ対策をまたも繰り返していると、主宰するメルマガ『NEWSを疑え!』で厳しく指摘しています。小川さんは、現在進行中の対策と並行して、第2波、第3波や、次なる感染症に備えた組織作りを進めるべきと提言しています。
押っ取り刀、木を見て森を見ず、本末転倒
5月14日の安倍首相の39県に対する緊急事態宣言の解除表明に表れているように、いまのところ日本のコロナ感染は「小康状態」にあるように思われます。むろん、油断をすれば第2波、第3波に見舞われる恐れがあり、首相もその点を強調することを忘れてはいません。
このままコロナが終息すればよいと願いつつも、日本で最初の感染者が確認された今年1月中旬以降の政府のコロナ対策を振り返るにつけ、押っ取り刀、木を見て森を見ず、本末転倒…といった言葉が目の前を通り過ぎていくのを振り払うことができずにいます。
5月12日になって、政府は基本的対処方針等諮問委員会(会長・尾身茂地域医療機能推進機構理事長)にそれまでの医療分野中心のメンバー構成をあらため、4人の経済専門家を加えることにしました。政府高官は「疫学的な対策を考えさせる専門家に、経済まで背負わすわけにはいかない」と言っているそうですが、押っ取り刀を絵に描いたような光景としか映ってこないのです。これは、危機管理の要諦である拙速ではありませんし、臨機応変でもありません。もともと政府に必要な機能が備わっていない実態を露呈してしまっているからです。
備わっていなければならない政府の機能とは、司令塔の役割を果たす組織やチームです。そうしたものが国家国民の安全のために備わっていれば、大雑把かもしれませんが、最初の段階から一定の方針が示されるでしょう。医療ばかりでなく、経済をはじめとする広義の安全保障に関わる主要分野について、少数でもよいから必要な人材を配置されていて、ことが起きたらただちに優先順位を決めて具体的な施策を実行していく。それが水準以上の政府の機能というものです。
現在の日本政府の組織で言うと、NSC(国家安全保障会議)に10人ほどのチームを設置し、そこから必要な対策を打ち出していくのが手っ取り早いかもしれません。(国家の安全保障を謳いながら、感染症や経済問題が中心テーマとして扱われてこなかったというのは、これまた大問題です)
それができない場合には、少なくとも専門家会議(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)や基本的対処方針等諮問委員会に救急医療の第一線の医師を、例えば中曽根政権の行財政改革で「暴れ馬」と呼ばれた民間の委員のような形で入れ、司令塔の機能を発揮できるように会議の内容を変えていくのです。中曽根政権の時の「暴れ馬」とは、三宅久之さん、屋山太郎さん、俵孝太郎さんら政治記者出身者のことです。
なぜ救急医療の第一線の医師なのかと言いますと、生死を分ける救急の現場では理屈を言わない、なすべきことを黙々と実行するというのが基本で、それが思考方法として身についており、自ずと専門家会議においても司令塔が指示すべき方針が打ち出されると考えられるからです。現在の専門家会議や諮問委員会には、理屈をひねくり回すタイプの秀才たちは揃っていても、暴れ馬タイプのメンバーが含まれていません。
これまでの専門家会議の議論は、救急医療の第一線の医師のような危機管理の基本を踏まえた議論が最優先されず、検査方法の是非といった事柄が事細かに語られてきた印象は否めません。これは「平時型」の発想で、有事に即応できるものではありません。検査方法などはきわめて重要なテーマですが、それは感染拡大を早期に抑止する大方針が実施される中で、個別テーマとして詰めが行われるべき事柄なのです。
日本なりのやり方でよいから、まずは人と人との接触を極小化するためにロックダウンを実行に移す。そして早期に収束させる方向が示される中で、医療崩壊を避け、検査態勢も確立され、治療薬の承認、ワクチンの開発にも明るさが見えてきて、経済への影響も最小限にとどめることができるのだと思います。
現在の議論は、ひとつひとつの「木」であるはずの個別テーマがあたかも「森(大戦略)」であるかの如く語られ、それが全てのように扱われてきた面はないでしょうか。本末転倒という言葉がぴったりの光景だと思うのは私だけでしょうか。
ここで申し上げたいのは、第2波、第3波や次なる感染症の襲来時に国民を守りきるために、真珠湾攻撃を受けた翌日に責任問題を解明するための調査委員会を議会に設けたルーズベルト大統領のごとく、現在進められている対策と並行して組織作りなどを始めてもらいたいということです。
必要なら、少人数の専門家による「チームB」を設置し、そこから生まれた方針や対策を専門家会議に示し、場合によっては採用することがあってもよいのではないかと思う昨今です。(小川和久)
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