親と子のコミュニケーションの中で、子どもを叱ることほど難しいものはありません。悪いことをしたからと叱るのは簡単ですが、その叱り方ひとつによって、子にさまざまな影響を与えます。では、どのようにして叱るのがよいのでしょうか?米国公認会計士でフリー・キャピタリストの午堂登紀雄さんは、ただの説教には意味がないと断言。自身のメルマガ『午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門』の中でやみくもに叱るのではなく、寛容な態度が子の未来を明るくすると語ります。
「親の財布から金を抜いた」子供時代の遠い記憶
「親の財布から金を抜いた子供の叱り方・しつけ方」について意見をくださいというご相談をいただきました。 うおう。。。なんという難解な!(笑)それで考えているうちに、自分の記憶にふと思い当たるフシが。 「あ、自分も母親の財布からお金を盗んだことがあるかも!」といううっすらした記憶。
あまりに昔のことなので本当にやったことがあるのか、あるいは夢だったのか判然としませんが、なんとなく見覚えがある光景には間違いない。 そしてこれも本当にかすかな記憶の影なのですが、それで叱られたわけではなく、確か「何か欲しいものがあったの?」と聞かれたような気がします。
なぜ母親は私を叱らなかったのか?
というか、私は母親から叱られたという経験がほとんどありません。 唯一思い出せるのが、幼少期の頃、母親が持っていたファンデーションを台無しにしてしまったことです。
ファンデーションの容器(パカッとフタを明ける、あのコンパクトです)をおもちゃにして遊ぼうと、中身を全部ガリガリと削り取ったことがあります。 それを見た母親からは「あらあら、なんてことを…これ結構高いのよ」という感じのことを言われたように記憶していますが、叱られてはいない。
あとでそのファンデーションが確か3千円か4千円もする高価なものだとわかり、罪悪感で覚えているのです。(40年以上前のこの値段は、今では1万円を超える価値ではないでしょうか)
そして以降もずっと、母親は私のすべてを受け入れ、私の意志を尊重してくれました。 そんな感じで私は母親に全幅の信頼を寄せており、それが適切な自己肯定感や自尊心につながっているのだと私としては理解しています。
だから私は数々の失敗や挫折にも絶望することはなかったですし、自分の人生は自分で切り開けるという自己信頼感が高い方だと思っています。
いきなり叱るのは子の反発や委縮につながる
それで冒頭のお題に戻るのですが、子が親の財布からお金を抜き取ったからといって、いきなり叱るのは「親としてはNG行為」だというのが私の考えです。 なぜなら、子供が親の財布からお金を抜く(今ならクレジットカードを抜くとか?)のは、いくつかの別の動機が隠されている可能性があるからです。
そもそも、大人でも上司からの説教がイヤなように、子も親からの説教はイヤなのです。そのため親が説教しているときは、子の頭の中ではたいてい「はいはい、わかりましたよ…」とスルーしているか、「ったく、うるさいな~」とアカンベーしているか、「ひえ~こわいよ~」と委縮しているかのどれかで、内容はまったく頭の中には入っていません。 つまり説教はほとんど意味がないということです。
子供には金を抜く事情がある
だからまずは落ち着いて、「どうして黙ってお金を持って行ったの?必要なら言ってくれればいいのに、何か理由があったの?」と穏やかに子の言い分を聞いてみることです。
私の場合は確か、欲しいものがあったのにその時たまたま親が不在で、そこに財布があったからという単純な動機だったように(うっすらと)記憶していますが、「親の関心を得たい」という理由で親の財布に手を出すこともあり得ます。
これは、反抗や不良行為と同じく、愛情飢餓感から来る行動です。つまり本当の目的はお金ではなく親からの愛情が欲しいという心の声の裏返しですので、叱るのはまったく逆効果であることがわかります。
与えるべきはお金ではなく無償の愛ですから、お金の件はすぐさま水に流し、親は子への接し方を顧みる必要があります。
「ダメと言ったらダメ」だけでは伝わらない
次に考えられるのは、「欲しいものが買ってもらえない不満やくやしさ」であり、どちらかというと仕返しや逆恨みに似た感情でしょうか。 この場合も、子の「欲しい」という欲求に対して、親がうまく説得・対応できていない可能性が考えられます。
たとえば「ダメと言ったらダメ!」などという、理由も根拠もないダメ出しで買ってもらえないとしたら、子ども心に理不尽さを感じるかもしれません。
むろん小さな子供の場合は欲求のコントロールは難しいし、善悪という概念も乏しければ仕方がないわけですが、少なくとも年中・年長以上になれば、言葉にすればわかってもらえるようになるはずです。
というのも、私の長男もいま年長ですが、「これこれこういう理由で今日は買わないよ」と話せば、それなりに納得してくれるからです。長男は発達障害で言葉の理解が遅れているにも関わらず、です。
やんちゃな子に効果的な「プレゼン制度」
次に、「単なるイタズラ」のケース。 たとえば友達に誘われて遊びに行きたい、ゲーセンに行きたい、というような場合、やんちゃな子は「へっへー!親の財布からお金をくすねてやったぜ!」という悪ノリで盗むこともあるからです。
この場合、やんちゃな子は純粋であることが多いため理由を聞けばちゃんと話してくれるでしょうから、「必要なら渡すから、きちんと言ってね」で理解してくれると思います。
ちなみにこのタイプは計画性や想像力が育っておらず、小遣い制だとすぐに使い切って再び親の財布を狙う可能性があるので、お小遣い帳をつけさせるとか、「必要な都度、親に申告・プレゼン」制のほうが合うかもしれません。
「いじめ」の可能性には常に注意する
最後は、深刻ないじめに遭っているケースです。 先輩などから「カネを持ってこい」などと脅されて親のお金を盗むというニュースが時々報道されますが、この場合はなかなか本音を話してくれない可能性があります。
どんなにやさしく丁寧に話しかけても、うつむいて何も話してくれない場合は、いじめを疑ってみた方が良いかもしれません。 これは担任の先生に相談するレベルかもしれませんが、言えないのは報復が怖いからです。
だから親は「なんとしてでもあなたを守る。学校に行きたくないなら行かなくていい。なんなら転校したっていい」などと、親は信頼でき相談できる存在であると安心してもらう必要があります。
もちろん、子といっても資質や性格はそれぞれ。適切な接し方も異なります。他の理由もあるかもしれませんし、もっと良い方法もあるかもしれません。
たとえばドカンと叱ってあと腐れなくスカッと終われば、子は子でスッキリ受け入れるという親子関係だってあるでしょう。だからこの考えが唯一絶対とか、正しいというわけではありません。
子育てで「親が叱る」べき場面は少ない
ちなみに私の周囲の成功者の幼少期を聞いてみるといくつか共通点が出てきますが、その1つに「親から叱られたことがあまりない」というものがあります。
親から強く叱られれば、子は親の顔色を窺うようになったり、委縮したり、自由な発想や行動の制限になることがあります。 特に、日常的に叱られてストレスを受け続けると、海馬が委縮したり脳が変形すると言われています。
ストレスによって分泌されるホルモンが、脳の神経新生を抑えるからと考えられているのですが、これはこれで恐ろしいことです。 それこそ「聞き分けのよい子」というのは特に危険で、親の方だけを見て親に気に入られるように自分を抑圧している、あるいは親のいいなりになっている可能性があります。
では、まったく叱られたことがないかというとそうではなく、ウソをついたり家族の約束を守らなかったりしたときには叱られたそうですが、それも「説明された」「諭された」「理由を求められた」「今後はどうすべきなのか考えさせられた」という程度のようです。
しかも面白いのが、「いたずらをしても叱られなかった」という人が多いことです。 いたずらは好奇心や創造力の発露でもありますから、度が過ぎなければ親もおおらかに見ていたということでしょう。
寛容な態度は、子供の将来を明るくする
実際、MIT(マサチューセッツ工科大学)の有名ないたずら伝説があります。
あるとき15階建てのビルほどの高さがある大ホールの丸屋根に、パトカーが置かれていたことがあったそうです。 パトカーは張りぼてだったそうですが、「出入口は施錠され、警備員もいるのに、どうやって入り込み警備員の目をかいくぐっててっぺんまで運んで設置し逃げたのか。これには、相当緻密な計画と実行力といったクリエイティビティが必要だ」と称されているそうです。
世界の名門MITの学生がそういうことをやる、教授陣もそれを認めて許容する。名門校とはガリ勉校ではなく、それがいたずらであっても創造性を称賛する校風ゆえに名門であるということが、このエピソードからもわかるような気がします。
基本は子への愛情
子供たちの中に、遊ぶ金欲しさに強盗を働いたり、ゲーセンに入り浸ったり、援助交際に走って体を売ったりする子がいるのはなぜでしょうか。 おそらくそれは寂しいからです。
自分の居場所見つからず、孤独感が強いのです。親にわがままも言えず、ガマンするしかない。 それは「自分は親から大事にされていない」「自分はあまり価値のない人間なんだ」という自己肯定感の低下につながり、自分を大事にできなくなります。
そんな心の空虚感を、たとえば自分を売ることで、「自分は必要とされている」「価値を認めてもらえている」と実感して安心する。あるいはモノを買うことで満たそうとする。
そうやって心が満たされないまま愛着障害を抱えて大人になると、お金に執着したりお金遣いが荒くなったり、お金でも人間関係でもトラブルを起こすようになります。
親の愛情が薄いと、子供は精神的に自立できなくなるリスクが高い。 お金は道具。同じ包丁でも、一流の料理人が使えば人が喜ぶ料理が作れる一方、心のねじ曲がった人が使えば犯罪を起こします。同じ道具でもそれを使う人の心のありようによって、その道具はプラスにもマイナスにも作用するのです。
しかし、親からの愛情をいっぱいに受けて「自分は自分でいいんだ」「家族は自分のことを尊重してくれている」という感覚は、自己肯定感、自己有能感を育みます。
自分の存在価値を自分で認められれば、不安にかられることはなく、不安がなければお金に執着する必要もない。 自分の生き方に自信があれば、お金のあるなしで制限や制約を考えることもない。
つまりお金に振り回されることもなくなるのです。同時に、道具としてのお金を適切に使えるようになる。
「うん、うん、それで?」相の手は愛の手
だからこそ、お金のしつけ以前に、子供との全幅の信頼関係を築くことです。それは子供の気持ちに寄り添い、子の話をよく聞くこと。理解し、共感し、応援してあげること。楽しい会話を多く持つことです。
親が子の話を否定せず、途中で遮らず、説教を入れず、「うん、うん、それで?」と会話を引き出すよう、相の手を入れる(相の手は「愛の手」と言われるぐらい、あなたの話に興味を持っています、あなたの話を真剣に聞いていますを示す手段)、何を言っても親がまるごと肯定的・共感的に受け止めてくれると、親からの無条件の愛情を受けていると本能的に感じます。
もし子供とケンカになっても、親の言いつけを守らなかったときも、子が言い訳をしてきても、それも含めて子の言い分をちゃんと聞くことです。
親が子に「お前が間違っている」といきなりシャッターを下ろすと、親に何を言っても無駄だとなり、子も心にシャッターを下ろして言わなくなります。
親は自分を受け入れてくれる、いつでも自分の味方で自分のことをわかってくれるという安心感があればこそ、親のアドバイスも聞く気になれるし、ウソをつかず本当のことを言えるというものです。
そうした相互の信頼関係こそがすべての土台ではないか、というのが私の考えであり、子育て観です。
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