さまざまな憶測が飛び交ったものの、総理辞任からたった5日の時点で既に菅義偉氏の圧勝が確実となった、「ポスト安倍」レース。党員投票を伴う、いわゆる「フルスペック総裁選」でも菅氏の優位は揺るがない情勢でしたが、総裁選に関して安倍首相からすべてを任された二階幹事長は、党員投票なしの「簡易版」を選択しました。そこにはどんな思惑があるのでしょうか。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新恭さんが、あっさりと党員投票抜きの総裁選日程を決めた二階氏の「腹のうち」を探るとともに、民主主義が蔑ろにされたと言っても過言ではない安倍政権の7年8ヶ月を振り返っています。
菅圧勝が読めても党員投票を回避した二階幹事長の腹のうち
安倍首相は無念の思いをにじませて、退陣を表明した。突然ではあったが、想定はされていた。メディア各社はちゃんと予定原稿を用意していた。
退陣の理由は、持病である潰瘍性大腸炎の悪化だという。新しく試した薬が効いて、体調が改善したともいう。なのに、なぜか、急いだ。
8月28日午後2時、安倍首相が党本部に二階幹事長を訪ねるという、只事ではない行動に、メディアはいっせいに反応した。
午後5時からコロナ対策と自身の健康問題について記者会見する。そんな予定の3時間前、幹事長が官邸を訪問するのではなく、首相が幹事長を訪ねるのだ。その理由に「辞任」の二文字のほかはありえない。
このあと、二階幹事長も急いだ。なぜか、時間がないという。だから、総裁選は、党員投票をせずに両院議員総会で決着させる方向だと。
若手国会議員や地方議員から党員投票の実施を求める声が幹事長に寄せられたが、9月1日の総務会であっさり、党員投票ぬきの簡易版総裁選に決まってしまった。全国の党員が参加することで、世論に近い総裁選びができ、やれ密室政治だ、談合だなどと言われることがなくなるにもかかわらずである。
ここで、筆者に疑問が湧いた。潰瘍性大腸炎の悪化だけが退陣の原因なのだろうかと。かねてより知られた安倍首相の持病であって、悪化したからといって、何日も長時間にわたる検査が必要だとは思えない。
まさか、別の深刻な病変が見つかったとは思いたくないが、早期の入院を医師に勧められているとすれば、二階幹事長が強引にコトをはこぶのも、不思議ではない。なにしろ、安倍首相は後任者が決まるまで、これまで通り執務を続けると言っているのだ。
ただし、総裁選びに要する日数が、フルスペックと簡易版で何日の違いがあるのかはっきりしない。今月14日に投開票、16日には臨時国会で新首相選出という段取りだが、いまどき、これだけの日数があれば党員投票くらいできるだろう。できないとすれば、自民党のシステムはよほど時代遅れというほかない。
ともかく、政策は行き詰まり、安倍首相の体力も限界、というところなのだろう。自民党内は、総裁選をにらみ権謀術数の渦巻く世界となった。
安倍首相は二階幹事長に辞意を伝えた日の午前中には麻生副総理や菅官房長官にも会っている。
安倍首相が彼らに何を話したか、後継について言及したか、そんなことは、もちろんわからない。ただし、「総裁選をどのように行うかを幹事長に一任した」ということだけは、はっきりしている。
退任する総裁が幹事長に総裁選のやり方を一任する。当たり前のようだが、重要な指示である。総裁選のやり方しだいで、結果が違ってくるからだ。
第一次安倍政権と同じく、潰瘍性大腸炎の悪化を退陣の理由として記者会見したが、今回の安倍首相には、あのときのように、刀折れ矢尽きた感はない。体調が許す限り、党内最大勢力を誇る清和政策研究会(細田派)の実質的トップとして、これからも政界に影響力を持ち続けたいはずだ。
「私は総裁を辞めていく立場であり、次の総裁選に影響力を行使しようとは全く考えておりません」と会見で述べたのは本音ではないだろう。
二階氏は親分肌であるだけ、理屈一辺倒は嫌う。一時は仲間づくりの下手な石破茂氏に加勢しようとしたが、いまは手を引いて、もっぱら、苦労人の菅義偉氏にご執心だ。
安倍批判を繰り返してきた石破氏は、安倍首相のみならず麻生副総理にも毛嫌いされている。温厚でどっちつかずのイメージが強い岸田氏の人気は今一つで、いざ総選挙となった場合に不安である。
だから、現政権の政策や方針をそのまま引き継げる菅官房長官が適任、というのが二階氏の売り文句だ。安倍首相も麻生副総理も当然わかっている。阿吽の呼吸か、それとも明確な意思の伝達があったのか、いずれにせよ菅氏へのバトンタッチで一致したのは間違いない。
だがそうはいっても、ふつうに総裁選をやったのでは思うようにはならない。総裁選は、国会議員と都道府県の党員による公選が原則だ。これだと国会議員票と党員票は同数である。
ちょっとわかりにくいので安倍、石破の一騎打ちとなった前回(2018年)の総裁選を例に挙げると、党員の投票数は64万1490票で、安倍氏はそのうち55.42%を獲得、石破氏は44.58%を集めた。
国会議員の投票総数は405票で、党員票もそれと同じ405票になるよう獲得比率で各候補に配分、その結果、党員票は安倍氏224、石破氏181と算定された。議員票は安倍氏が329票、石破氏が73票だ。いかに石破氏が国会議員に不人気で、地方に強いかがわかるだろう。
石破氏躍進の芽を摘むには、党員投票をしないに限る。そこで二階氏ら党執行部が頼りにするのが、党則6条2項のただし書きだ。
「総裁が任期中に欠けた場合で、特に緊急を要する時は、党大会に代わる両院議員総会においてその後任を選任する事が出来る」とある。これなら、有権者は国会議員と47都道府県連代表各3人だけ。一般党員は対象外だ。
自民党国会議員は394人で、都道府県連代表は141人だから、派閥力学で国会議員の票だけコントロールすれば、思い通りにしやすいわけである。
「総理になる気はさらさらない」と言い続けてきた菅官房長官が総裁選に出馬する意向を、二階幹事長らに伝え、応援を要請したのは安倍首相辞任表明の翌日のことだ。その時には、二階氏が何人かの派閥領袖と話をして早々と勝利の票読みができていた。
細田派98人、麻生派54人、二階派47人、菅グループといわれる無派閥議員30人ていど。それらを固めれば国会議員票の6割近くに及ぶ。昔ながらの派閥談合といっていい。
これなら最初から勝負がついているようなもので、たとえフルスペックで総裁選をやっても、菅氏以外の二人の惨憺たる結果は目に見えている。だが、いち早く党員投票はない方向を打ち出すことで、各派閥の動きを操作する思惑が二階幹事長にはあった。
安倍首相、麻生財務大臣の意向をくんで、石破氏を事実上排除するのが簡易版総裁選の一つの狙いだが、それを二階幹事長がぶち上げたため、勝ち馬に乗ろうとする各派閥が菅支持へと雪崩を打ったのだ。
これほどうまくコトが運べば、各派閥の考えの前提を崩さないために、二階幹事長は、いくら党員投票を求められても、やるわけにはいかなかったのであろう。「時間がない」「政治的空白は避けるべき」「コロナがあるので」など、思いつく限りの理由を周辺議員にでっち上げさせ、総務会で党員投票を求める若手議員らに反対論を唱えさせてガス抜きをしたうえで、あっさり党員投票抜きの総裁選日程を決めてしまった。
7年8か月もその椅子に座り続けた首相が去る。一つの時代が終わり、筆者とて感慨に浸りたい気分がないわけではない。
テレビ画面のなかでは、涙を流さんばかりに安倍氏の非運や功績を語ったり、記者たちはなぜ労いの言葉ひとつもかけられないのかと憤ったりする声であふれた。だが、ちょっと待ってほしい。政治を見るのに、「気分本位」は禁物なのだ。
政治主導という名の安倍官邸独裁がもたらしたものは、実際のところ何なのか、きっちり検証する必要がある。幹部人事を官邸に握られた官僚組織が知恵を封印してまで忖度に明け暮れた結果、たとえば新型コロナ対策においても、迅速に手を打てず、すべてが後手にまわったではないか。
国政選挙で連戦連勝を続け、万能感に酔った安倍首相は、集団的自衛権が行使できるよう憲法さえ恣意的に解釈変更し、通したい法案は、共謀罪であれ特定秘密保護法案であれ、強行採決して成立させてきた。これほどの憲法軽視と国会の形骸化は、安倍政権以前には見られなかったことだ。
総理のためなら公文書を改ざん、隠ぺいし、ウソの答弁も厭わない官僚たち。官邸や自民党の圧力に屈し、コメンテーターやキャスターの入れ替えまでしてしまうテレビ局。競うようにして安倍首相と飲食をともにしたがる大メディアの経営陣や編集幹部。そして、真実から目や耳を遮断されたままの一般市民。この国の民主主義を傷つけてきたのもまた、この7年8か月だった。
石破氏の強調する「共感と納得」は、安倍官邸の面々からすると、当てつけとしか受け取れないだろう。しかし、「共感と納得」の決定的に欠けた政治がこの間、行われてきたとことを一番知っているのも彼らである。その官邸の中心にいて、官邸官僚を通じて各省庁をコントロールしてきたのが菅官房長官だ。
大方の予想通り菅氏が総裁選に勝って総理大臣になるとしても、総裁任期は来年9月までの残り1年しかない。平時の総裁選は、党員投票を避けて通れないのだ。
それまでの、つなぎ役だとか、残務処理係などと菅氏自身は思っていないだろう。本格政権をめざしているだろう。ならば、党員投票もやって勝ちたいと、二階幹事長に申し入れ、粘り強く説得するべきだった。
二階氏に頭が上がらない首相が誕生しそうな雲行きである。
image by: 菅義偉 - Home | Facebook