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文筆家を支える「アイデア管理」の技術。アナログは不便が便利だ!

ふと思い浮かぶことをメモする。デジタルツールを使うことでアイデアの断片は無限に増やせますが、そのことでかえって効率の悪さを感じることもあるようです。メルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』ではブロガーで文筆家、Evernote活用術等の著書を多く持つ倉下忠憲さんが、こうしたデジタルツール活用における悩み解決のヒントを、先人たちがアナログ時代に培った情報整理法に求めます。そして気づいたのは、デジタルデータの扱いでは忘れがちな「捨てること」の大切さでした。

「断片的な思いつきに押しつぶされる」 #知的生産の技術

以前、メモ用紙と小瓶を使った「アイデア管理術」を見かけたことがあります。思いついたことをメモ用紙に書き留め、それをちぎり取ってくしゃくしゃに丸め、小瓶に入れておく。折を見て、その瓶からメモ用紙をいくつか取り出して、それを並べて発想につなげる。そういうやり方です。

綺麗な小瓶を使えば、デスクを飾ることにもなり、なかなかクールな方法だと思ったのですが、ちぎり取ったメモ用紙の数が多すぎると、瓶には入らなくなるなとも同時に思いました。一日に思いつくアイデア数の平均がnとして、それを消化するスピードがm/日なら、n > m のとき、時間が経てばかならず小瓶は溢れることになります。

そうです。逆に言えば、アナログツールを使っている限り、必ず上限が示されるのです。しかも、その上限は、万や億という巨大な数ではなく、数百からせいぜい千というところでしょう。ある程度大きくはあるが、人間のスペックで扱えるだけの量。それがツールの設置と共に、上限として設定されます。

アナログノートでも、ページを書ききれば新しいノートを新調しなければなりません。ルーズリーフでも、バインダーが一杯になれば、新しく差し込むために古いものを取り外す必要があります。情報カードもまた、それを保存している箱から溢れるなら、その分をどこかに移動します。絶対に、あるレベル以上に(物理的というよりむしろ心理的に)「重く」ならない有限化装置がそこにはあるのです。

たとえば、外山滋比古さんの『思考の整理学』では、「メタ・ノート」という手法が紹介されています。まず、手帳やノートなどに、思いついたことをひたすら書き残しておく。その後、時間が経ってからそのノートを読み返し、「これいけるな」と思うものがあれば別のノートに書き写す。そのような手法です。

そのようにして書き抜かれた、言い換えればアイデア選抜を勝ち抜いたものだけが集まる場所がメタ・ノートなのですが、逆に言えば、書き写されなかった思いつきは、間接的に「捨てられた」ことになります。つまり、メタ・ノートは、拾い上げるための方法であり、また捨てるための方法でもあるのです。

また、最近紹介したライダー・キャロルさんの「バレットジャーナル」という手法でも、似たようなコンセプトが垣間見えます。ノートを代替えするときに、引き続き注視したい対象(コレクション)だけを書き写して、その他は放置しておく。つまり、間接的に捨ててしまう。そうすることで、現在の自分にとって大切なものだけが、ノートに残り続けることになります。

どちらも、やっていることは同じです。「大切なものだけをピックアップし、その他は流れるにまかせる」。これが肝です。

当初、『思考の整理学』を読んだときは、そのような手間のかかる作業は、アナログツールゆえの不便さだと認識してしました。ページ数に限界があるから、選りすぐったものだけを選抜しなければいけない。ページが無限にあるデジタルノートなら、そのような選別から解放される。そんな風にデジタルツールに夢を見ていたのです。

しかし、10年ほどのデジタルツール経験と、「バレットジャーナル」が示した哲学から、その認識は非常に狭いものだったと思い至りました。「捨てること」は、想像以上に大切なのです。特に、「思いつき」のような大量発生するものならなおさらです。

梅棹忠夫さんは、着想(ひらめき)というものを、宇宙線と脳との交差として比喩されました。

宇宙線は、天空のどこかから、たえず地球上にふりそそいでいて、だれの大脳をも貫通しているはずだ。したがって、「発見」はだれにでもおこっているはずである。それはしかし、瞬間的にきえてしまうものだ。そのまま、きえるにまかせるか、あるいはそれをとらえて、自分の思想の素材にまでそだてあげるかは、そのひとが、「ウィルソンの霧箱」のような装置をもっているかどうかにかかっている。

私たちの脳は、常に情報処理しています。その質がどうあれ、何かを常に「思いついて」いるのです。でも、それはすぐに消えてしまう。だから、自分が「思いついて」いるなんてことも気がつかずにいる。よって、「ウィルソンの霧箱」のような観測装置(記録装置)を持つか持たないかで、その人が「思いつき」を育てていけるかどうかが決まってくる。そういう話です。

現代の私たちは、超高性能な霧箱を獲得しました。なんでも即座にメモし、必要とあれば写真に撮り、それをどんな端末からでも確認できる環境を得たのです。結果として、大量の「思いつき」を保存できるようになりました。それこそ、人間の脳では扱いきれないくらいの情報(記録)を残せるようになったのです。

考えてもみてください。一日10個のメモを残せるなら、一年間で3650個のメモが生まれます。それを10年続ければ、36500個。それだけのアイデアがあったところで、そのすべてを見返すことは不可能です。一つを2秒で見返していっても、20時間かかります。とても、そんなことを「折に触れて」行うことはできません。

結果それらのアイデアは、自分の脳にロードされることはなく、「あってもなかっても同じ」状況になります。にも関わらず、検索結果などでは表示され、メモリを消費したり、ノイズを発生させるのです。良いことは小さく、良くないことが増えるのです。だからこそ、アナログツール時代に培われてきた「大切なものだけをピックアップし、その他は流れるにまかせる」という方針の必要性が高まっています。

ただし、単純に「捨てればいい」という話にもなりません。それは、以前にも触れたように、あまりにも多いものは、捨てるにも手数がかかるからです。デジタルツールでは、この点を検討していく必要があります。

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image by: Shutterstock.com

倉下忠憲この著者の記事一覧

1980年生まれ。関西在住。ブロガー&文筆業。コンビニアドバイザー。2010年8月『Evernote「超」仕事術』執筆。2011年2月『Evernote「超」知的生産術』執筆。2011年5月『Facebook×Twitterで実践するセルフブランディング』執筆。2011年9月『クラウド時代のハイブリッド手帳術』執筆。2012年3月『シゴタノ!手帳術』執筆。2012年6月『Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術』執筆。2013年3月『ソーシャル時代のハイブリッド読書術』執筆。2013年12月『KDPではじめる セルフパブリッシング』執筆。2014年4月『BizArts』執筆。2014年5月『アリスの物語』執筆。2016年2月『ズボラな僕がEvernoteで情報の片付け達人になった理由』執筆。

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【著者】 倉下忠憲 【月額】 ¥733/月(税込) 初月無料! 【発行周期】 毎週 月曜日 発行予定

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