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失敗はガースー発言ぐらい。あの知事よりマシな菅首相のコロナ対策

GoToトラベルの突然の一時停止が発表されるなど、混乱を来しているようにも感じられる我が国の新型コロナ対策。事実、政府の対応を批判する声が各所から上がっていますが、菅政権の対応は誤っているのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では著者で米国在住作家の冷泉彰彦さんが、日本のコロナ対策については「2つの根本的な誤解がある」として、それぞれについて詳しく解説しています。

日本のコロナ政策、2つの誤った理解

アメリカの場合は、トランプ政権のコロナ政策は迷走していますし、また具体的な政策は各州に丸投げとなっています。その上で、国民の多くがその政策にも従っていないわけですから、何のお手本にもなりません。見るべき点は、せいぜいが、認可されたワクチンに対して社会が緊急接種へ向けて努力していることぐらいですが、そのアメリカでも「ワクサー」という「反ワクチン派」はいますし、接種率の確保はそうは簡単ではないと思われます。

それよりも何よりも、現時点で、アメリカという一つの国だけで、

という数字となっているのは、恥ずかしいとしか言いようがありません。それでも、感謝祭やクリスマスなどで大家族が一同に会するとか、若者がスポーツバーで騒いだり、スポーツジムに通うのは「やめられない」とか、知事のロックダウン命令に対しては「個人の自由」から反発して殺害予告をしたり、暴力的なデモをしたり、とにかく情けない限りです。

一方で、日本の場合はとにかく感染を抑え込んでいるのは間違いありません。ですから、今でも堂々と胸を張っていいと思います。ですが、政治や社会、経済まで見た全体像として、日本は「コロナ禍との対決」がしっかりできているのかというと、そこには2つの根本的な誤解がある、そう指摘せざるを得ないのです。

「(誤解の1)日本の現状にもっと誇りを」

1つ目は現状の評価です。例えばコロナによる累計の死亡者数ですが、アメリカの299,455に対して、日本は2,462ということで、2桁近く少ないわけです。この差は圧倒的です。この数字ですが、例えば中国や韓国、台湾などと比較した場合には、やや劣るという印象は否定できません。

ですが、中国の場合は良くも悪くも個人の移動の自由、プライバシー権などをほぼ制限した中で、パンデミックを原則湖北省に限定し、しかも早期の収束を達成してしまっているわけです。韓国と台湾の場合も、アプリによるGPS情報の高精度の追跡がされるなど、西側の標準とは全く異なる厳しい管理がされています。

そんな中で、日本の場合は、プライバシー権、移動の自由などを確保し、しかもロックダウンにあたっても強制ではなく、個々人や各事業者の自発的な行動で感染対策を進めています。その結果として、欧米と比較すると感染者、死亡者が人口比で30分の1以下というのは、大変なハイレベルであると思います。

中には、そこには原因がある、つまり「BCG接種の結果」とか「交差免疫、つまり鼻風邪コロナウィルスの免疫が効いている」といった具体的な「ファクターX」があるのだという説も耳にします。そうかもしれませんが、決定的なファクターではないと思われます。そう考えれば、余計に日本の社会における「コロナ・リテラシー」の徹底ということは、誇っていいように思います。

例えば、コロナ以前から「予防目的でのマスク着用の習慣があった」とか「手洗い、消毒、室内での下足禁止など衛生概念が進んでいた」という要素もあると思いますが、そうした「衛生概念インフラ」というのは、あくまでサブ的な要因だと思います。

そうではなくて、「マスクは大きな飛沫の内から外への飛散を防止するもの」だとか「マイクロ飛沫への対策として、3密を回避」といった「極めて高度な理解」に基づいた対策がされている、そうした「科学的な理解の普及」が大きいのだと思います。

アメリカでは、今でも中西部に行くと「コロナのニュースは全部フェイク」とか、「死ぬのは高齢者だけ、俺様は大丈夫」といった恐ろしいほど低次元の「理解」が広がっていますが、それと比較すると十分に悲惨な経験をしており、何らかの対策をしてきた東部や太平洋岸でも「3密」への理解などは全くされていません。

レストランの営業が「屋内ではダメでも、屋外なら良い」とされていて、強制力を持って規制がされているわけですが「何故?」という部分についての説明や理解は省略されているのが現状です。「そんな難しいことは伝わらない」という諦めがあるとも言えます。その一方で、マイクロ飛沫拡散の模擬実験動画などを見た人は、何もかもが怖くなるといった初歩的な受け止めがされているようです。

とにかく、日本の場合はウィルスの特性と対策についての社会全体の理解の平均値が半端ではないわけで、その結果として欧米とは人口比で2桁近い差をつけているわけです。しかも中韓台(+シンガポール)のような上からの規制をせずに、国民の自発的な対策でここまでの成果を挙げているというのは、やはり高い評価が出来ると思います。

「(誤解の2)バランス政策の落とし所は真空」

2つ目は、感染対策と経済再起動のバランスという問題です。この点に関しては、アメリカの場合は「トランプ派は経済優先」「バイデン派は対策優先」という、まるでコロナ問題が政治的な対立や争点になるといった、何ともバカバカしい状態が発生しました。そして、残念ながらこの対立構図は現在まで続いています。

例えば、リベラル系のメディアでは現場のレポーターなどはマスクをして登場します。そうしたメディアの視聴者にはその方が好印象になるからです。一方で、保守系のメディア(特にFOXニュースよりもっと右のポピュリズムを拡散しているOANなど)では、マスクはほとんど見られません。

つまりアメリカの場合は対立が政治対立になっているわけです。一方で、日本の場合は感染対策を強く訴えるのは専門家、具体的には「分科会」ということになります。これに、ある種のネット世論やTVコメンテーターの声などが同調します。

これに対して、疲弊しきった地方経済、特に観光やサービス業、そして大都市でも外食などの産業は非常に厳しいわけです。これに対して、ダイレクトに支援をするのは難しい中で、税金を投入するとその数倍のカネを消費者から引き出すことができて、全体でカネが回りだすという「GoTo」が実施されたわけです。

この「GoTo」は、感染対策サイドの声が大きくなれば停止され、感染が鎮静化すれば再開されるという性格のものと理解されています。

ここで重要なのは、その時その時の情勢に応じて「対策と経済の正しいバランス」という立ち位置を決めることは「できない」ということです。どういうことかというと、コロナをめぐる世論の動きというのは、次の2つの正反対の力で成り立っているからです。

1つは「少しでも経済を回してくれないと、企業や商店は倒産し、失業と金融危機、地方社会崩壊の負のスパイラルになる」という恐怖のモメンタム。

2つ目は「コロナの危険は匿名性のあるインフルとは違う。少しでも対策すれば具体的に一人一人の死亡を防止できる。だから対策を緩めることは死ねということだ」という同じく恐怖のモメンタム。

この2つです。そして、この2つは感情論ですが、どちらも人間の生存本能の根本に根ざしており、個々の人間、あるいは世論という巨大な匿名集団にとっては、いずれも理性的な妥協ということは不可能です。

ですから、例えば非常に有能な政治家がいて、AIを駆使した政策ブレーンが支える中で

「コロナ感染死亡を28%減少させると同時に、破産企業の債務不履行を42%減らすことで、地方経済の破綻が回避できそうだ」

という「奇跡のバランス」つまり感染対策と経済推進における「費用対効果が最高となるピンポイント」を発見したとします。あくまで仮の話ですが、そうした「ピンポイント」が見つかって、限りある国家のファイナンス能力をそこに集中することで、見事に社会の破綻を回避できたとしましょう。

仮にそうであっても、その政治家のことは誰も褒めないでしょう。何故ならば、それでも対策なしの状況と比較したら、やはり72%は死亡するのです。地方経済、零細なサービス業などでは58%の債務不履行が発生して、地銀の多くは実質破綻し、金融危機スレスレの経済運営になる危険は残るからです。

むしろ胸を張って「これが対策と経済の最も理想的なバランスだ」などと言明した瞬間に、仮にそれが本当に理想的なピンポイントの達成であっても、その政治家は瞬間的に政治的には葬られるでしょう。野党からは最大限の攻撃がされ、与党からは、「とても選挙は戦えない」と言われるに決まっています。

これは大衆が愚かだということではありません。また、アメリカのトランプ現象のように教育の機会を放棄した世論が社会を荒らしているということでもありません。コロナ禍という前代未聞の社会危機の中で、人間が生存本能を抱える生物である以上はどうにも仕方のないことだからです。

だからこそ、ある時点で安倍政権は「専門家委員会」を「分科会」に格下げしたのです。また厚労相ではなく、経済担当の閣僚をコロナ対策の担当閣僚にしたのです。それで、何とか全体のバランスを取ろうとしているわけです。

また安倍前総理も、菅総理も対策と経済のバランスについて、胸を張って「ここが最善」だなどということは言ったことはありません。何故なら、「正しいバランス」というのは、そこを狙って達成することはできず、そうではなくて対策派と経済派が必死になって、綱を両方向に引っ張って、初めて綱の中心があるべき位置で安定する、そうした性格のものだからです。

恐らく、安倍氏も菅氏も、直感的にそのことは分かっているのだと思います。官僚たちも、結局はそうするしかないと理解している、そう思います。そして、実際にそうしかやりようがないのです。何故ならばコロナ対策において「理想的なバランス」という立ち位置は、政治的には真空であって「誰もそれを支持しない」し、そこを立ち位置と宣言したら、その瞬間に両サイドから猛烈な攻撃を浴びて、「政治的突然死」するしかないからです。

勿論、アメリカのようにもっと低次元な世論が世論として勝手に綱引きをやって、バランスを取ってくれるということはあります。ですが、現状はその綱の位置は、理想からは完全に外れてしまっており、その結果が30万人の死亡という悲惨な結果につながっています。

一方で、中国は湖北省だけにパンデミックを抑え込みましたが、それは人々を綱引きの綱に触らせないという全く異なる政治体制だからできたことです。

では菅総理は理想的な政策を実施しているかというと、それはそうかもしれません。少なくとも、今回の「GoTo」を巡って、都市部の無責任な不安心理を「おもちゃ」にして、あわよくば中央政府を貶めて自分が国政への影響力を行使しようという「都市型の右派ポピュリスト首長」たちとか、更にそれよりもレベルの下がる「都合のいい感情論に乗って政府批判を行うことで統治能力がゼロだということを見せているだけ」の野党などと比較すれば、その差は歴然としていると思います。

問題は「ガースー発言」ぐらいですが、これは密室コミュニケーションだけで自民党総裁になれてしまうという自民党の制度の欠陥が反映しているということが1つあります。そして、コロナの「適正な政策」というのは、左右からの批判、対策派と経済派の批判が「ちょうど同じ大きさ」になった位置であって、「適正であっても誰も褒めてくれることはない」という政治的な事実に対する認識が甘いということを反映しています。

菅義偉という稀代の職業政治家が、そこをキチンと消化して、密室コミュニケーションだけでなく、パブリックスピーチを習得した大衆政治家に成長するかどうかは、この点の理解にかかっていると思われます。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より一部抜粋)

image by: 首相官邸

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東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは第1~第4火曜日配信。

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