では、一体どうしてこうした体制になってしまったのでしょうか?
これは、一部の問題ではなく、日本のテック業界全体の問題と言えます。そして、問題点を要約すると非常に簡単な一つの問題にたどり着くのです。それは、
「コンピュータ・ソフトウェアの技術者は、専門的に過ぎるので、まず管理職候補にはしない。従って大企業の年功序列の人事制度には入れない。そして、コンピュータ・ソフトウェアの技術についても専門的過ぎるので、一般の管理職が直接管理監督することはしたくないし、できない」
という恐るべき考え方を前提として、
「コンピュータ・ソフトウェアの開発実務は、大企業の中では行わないし、従って、コンピュータ・ソフトウェアのエンジニアは、中小の外部組織に分離する」
ということを行ってきたからです。そのためソフトウェア開発のエンジニアは、プログラマーという呼称とともに、社会的地位も給与水準も低いままに留め置かれました。
というよりも、バブル崩壊とかデフレ経済という名前で呼ばれる「日本企業の国際競争力喪失」に伴って、そのコストは徹底的に叩かれてきたのです。
その結果として、ソフトウェア開発のエンジニアというのは、降りてきた仕様を元に、受け身の作業に終始するということの繰り返しとなり、また劣化した要件定義、そしてユーザーの無知による横暴によって発生する不完全な要件定義と、その朝令暮改的な変更に翻弄されつつ、価格決定権もないままに劣悪な環境に追いやられるということが進みました。
そうして、仕事の質、価格、人材の全体が負のスパイラルに入って行ったのです。今回の事件は、恐らくは1978年前後に始まるこうした長いマイナスの歴史の延長に起きたと言えます。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より一部抜粋)
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