ドイツの高級車BMWを日本一売った伝説の男性は、営業に対する独自の理念を持たれていたようです。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では自動車の販売実績2,400台以上という脅威のセールスを誇る飯尾昭夫さんが、BMW売上日本一に至るまでの道と、その過程で得た「営業の嗜み」を語っています。
「日本一BMWを売った男」が語る実績を出す人の共通点 飯尾昭夫
飯尾 「1981年に丸紅モータースが輸入車販売から撤退し、私は日英自動車に入社しました。
私はそれまでお世話になったお客様も含めて、徐々にお客様を増やしていき、2年目に年間58台を売り、その会社のトップになったのです。BMWからお誘いをいただいたのはその時でした。
日英の支店長から『辞めないでくれ』としきりに説得されていましたので、ここに留まろうと。断るつもりでBMWジャパンに行ったら、いきなり当時の浜脇洋二社長と会うことになったんです。
社長室に入ると、『おめでとう。一緒に頑張ろう』って握手されるわけですよ(笑)。『えーっ!?』と思ってね。
そしたら人事部長からも『浜脇さんが会ったセールスマンは君が初めてだよ』と言われて。それで腹を決めました。ただ、入社の際に1つだけ条件があったんです」
──なんですか?
飯尾 「それは『年間36台以上売れなかったら辞めてもらう』というものでした。
BMWを売ったこともないので、やっていけるかどうかは分かりませんでしたが、そこはもう、自分自身に対してのチャレンジでしたね」
──あえてリスクを背負われた。
飯尾 「そうして1984年、34歳の時に、BMWジャパンに入社しました。クビになるわけにはいきませんでしたから、他の人の3倍ぐらい仕事をやるつもりでがむしゃらに取り組んでいきました。
毎日深夜0時頃まで仕事をし、その日にやらなければならない仕事はやり切るように心掛けていました。電車に乗っている時は、降りる駅の出口に一番近い車両へ急いで移動するため、電車の中をいつも走っていました。
限られた時間の中で、もっと営業をしたい。そのために1分、1秒でも無駄にしたくなかったんです」
──そうやって他の営業マンと差をつけていかれた。