アフガニスタンの反政府武装勢力タリバンとの合意により軍の完全撤退を進めるアメリカは、1万8千人ものアフガニスタン国内の米軍への協力者を受け入れる準備を始めたそうです。この報道に、ベトナム戦争時のアーミテージ氏の行動を想起すると語るのは、メルマガ『NEWSを疑え!』を主宰する軍事アナリストの小川和久さん。現地協力者を大切にするアメリカの姿勢は、アーミテージ氏が南ベトナムの協力者たちを見捨てなかったことに始まり、アメリカに対する世界の信頼を高めてきたと紹介しています。
アフガン撤退とベトナムのアーミテージ
8月末までにアフガニスタンから米軍を撤退させるに当たり、米政府は最後の仕上げとも言うべき「大仕事」に取り組んでいます。通訳など、米軍の仕事をしていたアフガニスタン人を米国に迎え入れようというのです。
米に協力した通訳「救援を」 タリバーン拡大、危機感
「アフガニスタンからの駐留米軍の撤退をめぐり、米政府は14日、通訳などとして米軍に協力したアフガン人と家族らの国外退避を「7月最終週から始める」と発表した。米軍撤退を尻目に反政府勢力タリバーンが支配地域を広げるなか、協力者たちは「誰ひとり置き去りにせず、救援を急いでほしい」と訴えている。
ホワイトハウスのサキ報道官は、同日の会見で「彼らは勇気のある人々だ。この数年間で果たしてくれた役割をしっかり認識し、評価したい」と述べた。
米メディアによると、米軍や北大西洋条約機構(NATO)軍で通訳などとして働いた協力者のうち、米国の特別移民ビザの発給を望む人は、1万8千人に上る。米政府が1カ月に発給できるビザは600人程度で、8月末の撤退期限までに発給を終えるのは難しい。そこで発給を待つ間に、協力者たちを飛行機に乗せ、国外退避させることになった。
米軍はすでに撤退作業の95%を終えたが、現地ではタリバーンが支配地域を拡大している。米議会では議員から「米軍を助けてくれた人々が殺される」と懸念する声が上がっていた。(中略)
首都カブールで2014年から約7年間、米警備会社の通訳として働いたアフガン人男性(34)は、朝日新聞助手の取材に「申請中の米国ビザが出ると信じている。おびえて暮らすのは、もうたくさんだ」と語った。米軍の撤退作業が本格化した約2カ月前、同僚の米国人たちが突然、オフィスからいなくなった。オフィスは閉まり、職を失った。「ともに働いた仲間に、何も告げずに帰国するなんて」と声を落とす。(後略)」(出典:2021年7月16日付朝日新聞)
記事の「同僚の米国人たちが突然、オフィスからいなくなった」というくだりを読んで、1975年4月末のベトナムの光景が頭に浮かびました。このとき米軍は、迫り来る北ベトナム軍とベトコンを前に、何万人ものベトナム人協力者を見捨てようとしたのです。そこに登場したのが日本人にはお馴染みのリチャード・アーミテージ氏です。弱冠30歳でした。
南ベトナム海軍が艦艇90隻に海軍関係者やその家族ら2万人以上を乗せてコンソン島に集結していたとき、米政府はベトナム人協力者をそのまま見捨てようとしましたが、アーミテージ氏は米海軍のたった一人の代表として指揮をとります。航海に耐えられそうにない60隻を廃棄して全員を32隻に集め、国防総省に緊急電を打って水と食料を積み込ませ、フィリピンに向けて脱出させたのです。
フィリピンのスービック湾で上陸を拒否されると、アーミテージ氏はスービック基地司令官やフィリピン当局に掛け合って、上陸させることに成功しました。のちにアーミテージ氏は「事前に許可を求めるより、独断でやったあとに謝ったほうが楽だ」と述懐しています。
アーミテージ氏は1945年4月マサチューセッツ州ボストン生まれ。67年にアナポリス海軍兵学校を卒業し、海軍少尉としてベトナム戦争に従軍しました。1973年1月にベトナム和平協定(パリ協定)が成立すると、それに失望して海軍を除隊しますが、米駐在武官事務所の顧問としてサイゴンにとどまりました。このときCIAの「フェニックス計画」(農村部のベトコン工作員を排除する特殊作戦)に関わったともされますが、私には「小さな船の部隊を指揮していた」と話していました。
その後、いったんワシントンに戻りますが、75年3月に北ベトナム軍が総攻撃を再開すると、国防総省の依頼で4月にベトナムに戻り、米軍に協力したベトナム人の救出を決行します。まず、ビエンホア空軍基地にヘリで乗り込み、砲火の中で機密保持のため基地内の機器を破壊、30人の南ベトナム空軍将兵とともに脱出したのです。アーミテージ氏は2度にわたってベトナム人協力者を脱出させた訳です。
その後は国防総省情報部員としてテヘランなどで勤務し、ドール上院議員の補佐官などをへて、81年にレーガン政権の国防次官補代理(東アジア・太平洋地域担当)、83~89年に国防次官補、2001~05年1月にブッシュ政権の国務副長官を務めています。アーミテージ氏が米政府の要職を歴任したこともあったのでしょう。現地協力者を見捨てないことが米国への世界の信頼を高めるという考え方が広がっていきます。
今回のアフガンからの協力者の脱出の背景には、1975年春のベトナムの教訓があったことは知っておいてよいでしょう。イラク南部に自衛隊を派遣した日本政府ですが、現地協力者へのアフターケアは充分にできているでしょうか。(小川和久)
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