日本で一番利益を出しているトヨタという大企業を作り上げた経営者や従業員たちは、いつも「幸運の女神」に微笑まれていたのでしょうか。メルマガ『戦略経営の「よもやま話」』の著者である浅井良一さんは、創業者の豊田喜一郎氏のエピソードを交えて、トヨタの強い精神力と文化について語っています。
「運命」は翻弄する
トヨタは、企業そのものとしては非常に運の強い存在だと言えます。しかし、そのトヨタという企業をつくり上げた経営者や従業員が、同じよう常に幸運であったかというと、必ずしもそうではないので。ときに“不運”にもてあそばれ決死で血路を模索してもがきながら、そこから新たな共存の道を見出し賢くなり成長するのです。
少し変な物言いをしますが、ここで言いたいのはトヨタが繁栄しえたのは、「時代性」という機会をとらえて、そこで働く人が他をはるかにしのぐ知恵と働きを注ぎこんだこんだから成したことなので、その過程は、選ばれし者がたどるもので、運命に翻弄されながらも生きんがため豊かにならんがため協働して知恵を尽くした結実だと言えます。
幸運の女神はまったくの気まぐれで、人間を窮地に追い込むとともにその御心にかなうことを行い続けているとき恩寵を施すようです。マキャベリによりますと、運命は女神なので果敢がお好みではあるらしいのですが、豊田喜一郎さんが果敢でその努力は人を凌駕していても、恩寵に浴せるその時に使命を果たそうとするその時に生涯を終させました。
それは、こんな経過です。
1945年にトラックの製造が許可され、民需転換の許可も得て会社再建の道程がひらかれ、喜一郎さんが陣頭指揮をとることになりました。そんななかの1949年、インフレを克服するためとして「ドッジ・ライン」と呼ばれる経済安定化政策を進められ、通貨供給量が減らされため、産業界は深刻な資金不足に陥って失業や倒産が相次ぎ起こったのです。トラックの需要は鈍化し、さらに生産用資材の引きあがるなかで自動車の公定価格は据え置かれたので、赤字が続くことになったのです。
喜一郎さんは、昭和恐慌の際に豊田自動織機製作所で雇用問題を経験し、そのような事態を二度と起こさないとして自動車事業へと進出したのですが、心ならずも1,600名の希望退職者を募集することになったのです。労働争議は2カ月に及んだのですが、協調の必要性を実感し1950年6月に終結され、その責を負って社長を辞任することになったのです。
運命は人を翻弄するもので、1950年6月に「朝鮮戦争」が勃発したのです。1951年3月に大量のトラックを受注し、人員整理にまで手をつけなければならなかったが、業績好転し新たな一歩を踏むことになったのです。喜一郎さんは、1952年7月の株主総会で社長に復帰することが内定したのですが、同年の3月27日に「創業者豊田喜一郎」として、亡くなりました。
豊田喜一郎さんの存在なくして「トヨタ」はこの世になくて。一人の人間が、日本の将来を思い“高い使命感”を持って大好きなモノづくりに没入したのことが「トヨタ精神」をつくり上げました。あまつさえ「3年でアメリカに追いつけ」やそれを可能にさせる「ジャストインタイム」のアイディアでもって独自の高みに登らせました。
その精神性が和してやがて浸み込んで「三河人」の気風に根付いて「トヨタ」という企業全体の精神性をつくり上げていったと言えます。一人とその土地の多くの人の精神により、企業の文化が形成されてました。
トヨタの企業文化は、佐吉翁に始まり喜一郎さん等が基礎をつくったもので、「トヨタの綱領」としてこのように明記されました。
一、上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を挙ぐべし
一、研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし
一、華美を戒め、質実剛健たるべし
一、温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし
一、神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし
石田退三さんから“トヨタの風土”についてのあり様を、聞きます。
「田舎者のええところといえば、なによりも純粋と勤勉とである。田舎者はひたすらに直進する。骨惜しみをしない。苦労をいとわなぬ。しぶとくて、何事にも真っ正直である。それではいささか世間を狭うするんじゃないかと、心配してくれる向きもあろうが、しかし、そこにはまた人一倍の勉強心もあるのである」
と、トヨタの強みの基盤を述べています。
だからこそ、その発祥の地から出ていくことを忌避します。トヨタが豊田佐吉、喜一郎に発する“精神性をなくしたら”独自性も強みも持たないどこにでもある大企業となり、その威力を減じるでしょう。
またドラッカーから、経営資源としての“人”に関する意見を聞きます。
「良質な人材を引き寄せることができなければ、企業は永続することはできない。産業全体として見ても、その衰退の最初の徴候は、有能でやる気の人間に訴えるものを失うことである」
「人材の獲得に関しては、特にマーケティングの考え方が必要である」
「『われわれが必要とする種類の人材を引き付け、かつ引き止めておくことには、わが社の仕事をいかなるものとしなければならないか』『獲得できるのは、いかなる種類の人材か。それらの人材を引きつけるには何をしなければならないか』を問うことである」
としています。
トヨタという企業が恵まれたのは、まさに“モノづくり”を行うについて最も適切な石田退三さんいうところの“田舎者”を多く獲得できたことで、それらの人材に「やり甲斐のある仕事」「豊かになる可能性」「仲間」がある“場”を提供すること示したことに由来します。機会に出会えない望めない地に、栄光の場所を創ったことによります。
ここで“超優良企業”が誕生させるところの“基本要件”を解説します。人材という最大の資産が知識という最も生産的な資源を産み出すのは、所属する組織が「やり甲斐のある仕事」「豊かになる可能性」「仲間」という経営環境を提供するとき、自立的につくれるとき、または経営者とともにそれを守ろうとするときで、それらが整えられるときに起こります。
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