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One of the coins circulated during the Edo period in Japan. "Kanei Tsuuhou".

銭形平次が悪党に投げつける一文銭。一回の捕物にかかる金額は?

時代小説を読む時「わかりにくいな」と感じるもののひとつに「貨幣」があります。そこで、今回のメルマガ『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ』では時代小説の名手として知られる作家の早見さんが、江戸時代のお金について詳しく解説しています。

時代小説のハードル

時代小説のハードルの一つ、貨幣について語りたいと思います。

江戸時代のお金、両とか文とか江戸と関西では種類が違う、など、現代から見れば非常にわかり辛いです。江戸は金貨、関西は銀貨が流通していました。時代小説の舞台は江戸が多いことから、今回は江戸の貨幣事情について記します。

時代が経つにつれ貨幣の種類が増えますが基本てきな貨幣は、金貨が一両小判、一分金、一朱金、あと銅銭がありました。かつての時代劇では、悪徳商人が幕府の権力者に小判を底に敷き詰めた菓子折りを渡す場面が定番でした。眩い黄金色の輝きを放つ小判を見れば、さぞや大金が賄賂として贈られているのだとわかります。漠然と大金とは理解できますが、一両って現代の貨幣価値でどれくらいなのか、疑問に思うのではないでしょうか。

江戸時代は長いですから、時期によって貨幣価値は変化し、特に幕末はインフレが起きましたので貨幣価値は下がりました。幕末を除き、安定していた時期、一両は十万円程と考える歴史家、経済学者が多いです。筆者も一両は十万円程度という前提で小説を書いています。江戸時代の宝くじである富くじの最大当選金は、「千両富」、つまり、当たったら千両貰えました。一両十万円としますと、一億円になります。

江戸では日に千両が落ちると言われた場所が三か所ありました。日本橋の魚河岸、芝居町、そして吉原です。俗に、「日に千両、鼻の上下にへその下」と言われていました。鼻の上は目、目で芝居を楽しむ、下は口、魚を食べる、そしてへその下……というわけです。

町奉行は三千石の役高の他に幕府から年間二千両の役料が支給されていました。二千両ですから年間二億円を自由裁量で使えたのです。御奉行さまは与力、同心たちが手柄を立てたら、この二千両から報奨金を与えていたそうです。

また、金貨は四進法でした。これがややこしく、江戸時代の貨幣のわかり辛さの一因です。一両は四分、一分は四朱、ですから一両は十六朱でした。金貨は四進法でしたが銅銭は十進法です。一両は四千文でしたから一文は二十五円ということになります、

二八蕎麦と呼ばれたように蕎麦は二×八=十六文でした。一文が二十五円だとしますと四百円です。また、四文屋という四文均一の食べ物を扱う屋台がありました。大体、串に刺したおでんだったそうです。四文ですから百円均一のリーズナブルな食べ物屋だったことがわかります。

かつて人気を博した時代劇に銭形平次があります。大川橋蔵演ずる平次は一文銭を武器に捕物に臨みます。悪党に一文銭を投げるのですが、毎回、勿体ないなあ、と思って視ていました。一文二十五円、投げるのは十回未満ですから、二百五十円以下で捕物を成就していたのでした。

江戸時代のお金の価値がわかれば、時代小説は手に取りやすいのではないでしょうか。

image by: Shutterstock.com

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歴史、ミステリー四方山話、思いつくまま日本史、世界史、国内、海外のミステリーを語ります。また、自作の裏話なども披露致します。

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【著者】 早見俊 【発行周期】 週刊

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