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アベノミクスは大失敗。それでも安倍氏「唯一のレガシー」サハリン権益を日本が守れた理由

アベノミクスをはじめ、毀誉褒貶の激しい安倍晋三元首相の政治実績。プーチン氏を相手としたロシアとの外交交渉についても厳しい評価が散見されますが、まったく別の見方も存在しているようです。立命館大学政策科学部教授で政治学者の上久保誠人さんは今回、安倍氏の対露外交こそが「真のレガシー」としてそう判断する根拠を明示。さらに岸田首相に対しては、功を焦ることのない地道な外交の展開を提言しています。

プロフィール:上久保誠人(かみくぼ・まさと)
立命館大学政策科学部教授。1968年愛媛県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、伊藤忠商事勤務を経て、英国ウォーリック大学大学院政治・国際学研究科博士課程修了。Ph.D(政治学・国際学、ウォーリック大学)。主な業績は、『逆説の地政学』(晃洋書房)。

安倍外交「真のレガシー」はサハリン権益の維持。元外相の岸田首相はどこまで理解しているのか?

岸田文雄首相は、5月に広島で開催され、日本が議長国を務める先進7か国首脳会談(G7)を最大の見せ場と位置付けて、その準備のための「G7議長国外交」をスタートさせた。

岸田首相は、1月9日から15日の間、G7メンバー国であるフランス、イタリア、英国、カナダ、米国を歴訪し、各国首脳と会談した。ウクライナ情勢をはじめ、食料問題や核軍縮、気候変動など世界的課題をG7が主導していくために、「広島サミット」での連携の強化を呼びかけた。

また、各国に対して、日本が防衛力の抜本的強化に向けて、新たな安全保障関連の3つの文書を決定し、「反撃能力」の保有を明記したことや防衛費を増額することを説明した。そして、英国と「日英円滑化協定」に署名し、自衛隊とイギリス軍が共同訓練を行う際などの対応を定めるなど、各国と安全保障分野での連携も確認した。

日米首脳会談では、岸田首相が「反撃能力」の保有と防衛費の大幅増額を決断したことをバイデン大統領が高く評価した。大統領は、首相に対して「あなたこそ真のリーダーで、あなたこそ真の友人だ」と手放しでほめたたえたという。

岸田首相は、得意の外交で攻勢をかけて、内閣支持率低迷を打開し、4月の統一地方選挙を乗り切って、政権基盤を安定させることを狙っているようだ。だが、首相に1つ忠告しておきたいことがある。外交というものは、成果を出すことを焦ってはいけないということだ。焦ったら「国家百年の大計」を誤ることになりかねないということだ。

その意味で、私は岸田首相に伝えたいことがある。それは、安倍晋三元首相の外交の「真のレガシー」とはなにかということだ。

最初に断っておきたいのだが、私は安倍元首相のことを高く評価しているわけではない。特に、安倍元首相の経済政策「アベノミクス」をまったく評価していない。アベノミクスとは、実は従来型のバラマキ政策を「異次元」の規模で行っただけだったからだ。

本格的な経済回復には「成長戦略」が重要なのだが、さまざまな業界の既得権を奪うことになる規制緩和や構造改革は、内閣支持率に直結するので、安倍元首相にとってはできるだけ先送りしたいものとなった。

結局、安倍長期政権の間、経済は思うように復活しなかった。斜陽産業の異次元緩和「黒田バズーカ」の効き目がなければ、さらに「バズーカ2」を断行し、それでも効き目がなく「マイナス金利」に踏み込んだ。「カネが切れたら、またカネがいる」という状態が続き、財政赤字が拡大した。新しい富を生む産業が生まれず、なにも生まない斜陽産業を救い続けるだけだった。

一方、「安倍外交」については、一定の評価をしている。ただし、他の内閣にはない顕著な外交成果を挙げたとは思っていない。私が安倍外交の「真のレガシー」と評価するのは、ウラジーミル・プーチン大統領と27回も会談しながら、遂に北方領土の返還を実現できず、失敗だったと評されることも多い「対露外交」である。

安倍元首相の対露外交を評価する根拠は、ウクライナ戦争下、欧米を中心としたロシアに対する経済制裁と、それに対するロシアの報復が広がる中、日本が「サハリンI・II」の天然ガス開発の権益を維持することに成功したことにある。

「サハリンI・II」については、石油メジャーのエクソンモービル、シェルが撤退を決定した。ロシアは国営の比率を高め、三井物産、伊藤忠商事など日本勢から権益を奪い、それは中国、インドなどに渡されると危惧された。だが、ロシア勢は日本勢の権益を維持した。また、欧米もサハリンI・IIを経済制裁の対象から外すことで、日本勢の権益維持を事実上容認したのだ。

なぜ、サハリンI・IIの日本の権益は守られたのか。一説には、岸田首相の地元の広島ガスがサハリンの天然ガスを購入していたから、首相が必死に権益維持のために関係各国の間を動き回って交渉したという説がある。

だが、現状の岸田首相の国際社会におけるプレゼンスはさほど大きいとはいえない。一方、「地元のため」という目的は、国際社会を動かすにはあまりに小さい。この説は、日本のサハリンI・IIの権益維持を説明するには、説得力がない。

むしろ、ロシア側に事情があったと考えるべきではないだろうか。私の恩師で、日本・北朝鮮を専門とする地域研究家である英ウォーリック大学のクリストファー・ヒューズ教授は、以前ガーディアン紙に対して「ロシアは極東で非常に弱い立場にある。ロシアは極東に軍事プレゼンスがなきに等しい」と答えた。ヒューズ教授は、極東・シベリアがいずれ中国の影響下に入ってしまうという懸念をロシアが持っていることを指摘していた。

具体的にいえば、ロシアは極東開発に関して、中国とのシベリア・パイプラインによる天然ガス輸出の契約を結び、関係を深めてきた。しかし、シベリアでの中国との協力は、ロシアにとって「両刃の剣」である。シベリアは豊富なエネルギー資源を有する一方で、産業が発達していない。なにより人口が少ない。

そこへ、中国から政府高官、役人、工業の技術者だけでなく、掃除婦のような単純労働者まで「人海戦術」のような形でどんどん人が入ってくる。そして、シベリアが「チャイナタウン化」する。いわば、中国にシベリアを「実効支配」されてしまうことになる。ロシアはこれを非常に恐れているのだ。

ゆえに、ロシアは極東開発について、長い間日本の協力を望んできた。極東開発は中国だけではなく、日本の参加でバランスを取りたいのが本音だったからだ。これに応えたのが、安倍元首相だったのだ。

2016年、安倍元首相とプーチン大統領は日露首脳会談でエネルギーや医療・保健、極東開発など8項目の「経済協力プラン」について合意した。具体的には、官民合わせて80件の共同プロジェクトを進めることであった。

エネルギー分野では、石油や天然ガスなどロシアの地下資源開発での協力や、天然ガス・石油開発「サハリンII」のLNG生産設備増強、丸紅や国際石油開発帝石などがロシア国営石油会社とサハリン沖の炭化水素探査などが盛り込まれた。また、医療・保険分野では、三井物産が製薬大手のアール・ファーム社と資本提携に関わる覚書を交わした。日本側による投融資額は3,000億円規模になり、過去最大規模の対ロシア経済協力であった。

重要なことは、この経済協力が、日本が一方的に提案したものではなく、ロシアと十分に内容を擦り合わせたものだったことだ。その証拠は、私がかつて大学の業務でサハリン州の国立総合大学を訪問した際に目にした、サハリン州政府の「発展計画2025」という長期経済発展計画である。

「発展戦略2025」は、2025年までにサハリン州で「州内総生産を3倍以上、貿易高を6倍以上」という目標を掲げたものだ。その主な課題は、

  1. インフラの未整備状態の解消による社会産業基盤の近代化、
  2. 生産部門の技術革新と近代化、
  3. 天然資源の高度加工による新しい産業の振興、
  4. 近代的な市場経済サービス発展と品質重視のサービスの普及、
  5. 所有権保護、市場競争性の強化、投資リスクや企業リスクの低減、行政的障壁の低下、行政サービスの向上、
  6. 教育、保健医療、文化、体育スポーツ、住宅など快適な生活環境形成の社会インフラの改善、
  7. 高度な労働力への需要に対する職業教育、
  8. 社会福祉サービスの充実と高度医療センターの設立、
  9. 確かな住宅市場の形成、住宅投資の拡大、

の9つであった。

この内容が、日露間の経済協力に酷似していたことから、経済協力は、ロシア側の要望に日本が応えたものであることがわかるのだ。

さらにいえば、日本の経済協力は、「ロシア経済は資源輸出への依存度が高く、資源価格の変化に対して脆弱性が高い」というロシア経済の弱点を補うことにも資するものだったことも重要だ。

資源に頼らない産業の多角化は、ロシアにとって最重要課題である。現状、冬季になると豪雪等で、極端に稼働率が落ちてしまうという問題がある。筆者がフィールドワークしたサハリン州には、ほとんど製造業がない。ただし、終戦までの日本統治時代には、製紙工場などが稼働していた。日本の製造業の技術や、工場運営のノウハウがあれば、冬季でも生産性を落とさず、工場を稼働することができるだろう。ロシアには、「日本企業との深い付き合いは、ロシアの製造業大国への近道だ」との強い期待がある。安倍首相は、この期待に応えていたのである。

プーチン大統領は、日露経済協力について「信頼関係の醸成に役立つ」ものだと発言していた。それは、「本音」だったのではないだろうか。そして、ウクライナ戦争が泥沼化し、日露間が対立する関係にある現在でも、ロシア側には安倍元首相に対する感謝の念と、日本に対する信頼が残っているのではないだろうか。だから、サハリンI・IIの日本の権益は維持されたのである。

ちなみに、欧米が日本のサハリンI・IIの権益を対露経済制裁の対象から外したのも、地政学的な重要性を考慮したからである。サハリンI・IIが中国の手に渡れば、ロシアの極東地域全体が一挙にチャイナタウン化するリスクがあるからだ。そのリスクを回避し、極東地域で中国とのバランスを何とか維持するために、日本の権益は守られたのだろう。

繰り返すが、外交というものは、成果を出すことを焦ってはいけない。焦れば「国家百年の大計」を誤ることになりかねない。

例えば、北方領土の返還について、「2島返還」でロシアと合意して実現するとする。時の首相は、現実的な解決を図ったとして高い評価を得るかもしれない。しかし、その30年後、ロシアに4島返還を交渉してもいいというかもしれない「開明的な指導者」が現れたらどうか。すでに「問題は2島返還で解決済み」とされてしまったら、4島返還の千載一遇の好機を逃すことになる。

つまり、30年前によかれと思った「現実策」が、成果を挙げることを焦った当時の首相により取り返しのつかない誤りだったと、後世から断罪されることになることもあるということだ。

外交というものは、成果が出るかどうかにかかわらず、各国との確固とした関係を、日々構築していくことが重要だ。確固とした関係とは、例えば、「北方領土4島返還」などの当方の原理原則を決して曲げることなく、一方で相手が当方に望むものを丁寧に受け止める。できることはやり、できないことはできないとはっきり伝える。毅然とした態度を取ることだ。

要は、国家間の関係も、個人間の人間関係の築き方と何も変わらない。日常的に信頼関係を構築していることがなによりも重要だ。自分が儲けることばかり考えていては、信頼は築けない。いつか、突然、劇的に長年の懸案が解決することがあるかもしれないが、それがあればラッキーだという程度の心持でいることが大切だ。

ゆえに、成果を出せず「失敗」と評されることが多い安倍元首相の「対露外交」こそ、日常的な信頼関係の醸成を粘り強く続けた「真のレガシー」であると考える。岸田首相は、このレガシーから教訓を得て、成果を焦ることなく、国際社会の中で日本が確固たる信頼を獲得することを念頭に、地道な外交を展開すべきである。

image by: 安倍晋三 - Home | Facebook

上久保誠人

プロフィール:上久保誠人(かみくぼ・まさと)立命館大学政策科学部教授。1968年愛媛県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、伊藤忠商事勤務を経て、英国ウォーリック大学大学院政治・国際学研究科博士課程修了。Ph.D(政治学・国際学、ウォーリック大学)。主な業績は、『逆説の地政学』(晃洋書房)。

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