構想から10年以上を経て、4月3日に発足したこども家庭庁。しかしその裏には、あのカルト教団と彼らに生殺与奪権を握られた議員たちの思惑がうごめいているのは確実のようです。今回のメルマガ『小林よしのりライジング』では『ゴーマニズム宣言』等の人気作品でお馴染みの漫画家・小林よしのりさんが、こども家庭庁に大きな疑念を抱いているとして、その根拠を詳細に解説。さらに旧統一教会が改憲を全く諦めていない決定的な証拠を挙げています。※本稿では著者の意思と歴史的経緯に鑑み、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を「統一協会」と表記しています
「こども家庭庁」の裏で統一協会はまだ動いている。今もなお日本の政治の中枢に食い込み侵略を続けるカルト教団
4月1日、「こども家庭庁」が発足した。
担当大臣・小倉蒋信は同庁ホームページに上げたビデオメッセージで、「こどもまんなか」を合言葉に、日本をもっと子供を生み育てやすい国にすべく、子供や若者の意見を聞き、様々な政策・支援策に生かしていくと語っている。
だが、わしは「こども家庭庁」に大きな懸念を抱いている。
もともと「こども家庭庁」の構想は、子供に関する行政の所管が、文部科学省・総務省(教育・いじめ対策・自殺予防対策など)、厚生労働省(児童養護施設、児童福祉施設、学童保育、保育所・保育園、ひとり親家庭支援、ネグレクト・児童虐待防止など)、内閣府・農林水産省(託児所・認定こども園、少子化対策、子供の貧困対策など)、警察庁生活安全局(少年少女犯罪対策、少年少女売春・児童買春対策など)などのように様々な省庁に分かれ、「縦割り行政」の弊害が指摘されていたことに端を発する。
そこでこれらの事務の一元化を目指して民主党政権時代に「子ども家庭省」の設置が検討され、自民党への政権交代後も「子ども庁」として同様の検討は続けられていた。
この構想自体はいいことだと思うのだが、安倍政権下では実現に向けた動きがほとんど見られなかった。
そしてその後、縦割り行政の打破を目標とする菅義偉が首相になったことで、令和3(2021)年にようやく「こども庁」設置へ向けた動きが始まったのだ。
菅は同年9月で首相を退任したため、後任をめぐる自民党総裁選においてもこども庁構想は争点のひとつとなった。そして4人の候補者のうち、最も意欲的だったのが野田聖子で、岸田文雄、河野太郎も意欲を示した。だが、高市早苗は態度を明確にしなかった。要するに、はっきり態度を表明するとマイナスイメージになるからダンマリを決め込んだけれども、本音ではこども庁構想に消極的、というより反対だったのだろう。
そして総裁選は岸田が勝ち、首相に就任したため、こども庁構想は引き続き推進された。
そんな中で同年12月、与党内からいきなり、名称を「こども家庭庁」にすべきだという意見が出て来た。
もともと名称に関しては当初から、与党にも野党にも「子ども庁」と「子ども家庭庁」の2案があったが、それが「こども庁」に落ち着くまでには、多くの議論があった。
そもそも、子供と家庭の関係は一様ではない。家庭ではなく施設などで育つ子供もいるし、家庭で虐待される子供や、宗教2世のケースでは「子供」と「家庭」が両立しない。
家庭が楽園である子供も、家庭が地獄である子供も、家庭がない子供もいる。また、逆に子供がいない家庭もあるので、名称に「家庭」を入れると理念に混乱が生じてしまう。
だからここはシンプルに「子供のことを考える」という理念だけを掲げる「こども庁」にすべきというのが第一の理由だった。
この記事の著者・小林よしのりさんのメルマガ
安倍氏がベタボメした統一協会のいう「伝統的家族観」
また、「こども家庭庁」という名称では、子供は親とは別の人格を持ち、個人として尊重されるべき存在であるという当然の視点が薄れ、子供を親に付随する要素と見たり、家庭という枠組みの中だけに収めたりしようとする意識を感じるという理由もあった。
そしてさらには、子供は家庭だけではなく、社会で守り育てるべき存在だという理由があった。
家庭だけで子育てを背負おうとすればするほど、かえって親が追い詰められ、その皺寄せが子供に行ってしまうというケースは、枚挙にいとまがない。
家庭は大事で、支援が必要なのはもちろんではあるが、学校や地域などのコミュニティ・共同体も同様かそれ以上に大事で、支援が必要である。
それならば「こども家庭学校地域コミュニティ共同体庁」とでもした方がいいということになるわけで、それを「こども家庭庁」とすると、子供の問題を全て家庭だけに押し付けるような意味合いになってしまうのだ。
名称ひとつにしてもこれだけの慎重な議論があって、「こども庁」の名が採用されていた。「こども」とひらがな表記にしたのも、子供のための役所なのだから子供に読めるようにというこだわりだったという。
ところがそれまでの経緯を全部すっ飛ばして、いきなり「こども家庭庁」の名称がゴリ押しされ、岸田はそれをあっさり受け入れた。
そのとき共同通信は、岸田政権が「伝統的家族観を重視する自民党内保守派に配慮」して、名称変更の調整に入ったと報じた。
そして、実際には自民党内にも「こども庁」でいきたいと声を上げた議員は多くいたにもかかわらず、岸田は何の議論も説明もしないまま、「こども家庭庁」への名称変更を閣議決定してしまった。
岸田は、「子供を第一に」ではなく、「自民党内保守派を第一に」考えたのだ。
この時点では「伝統的家族観を重視する自民党内保守派」、すなわち安倍晋三とその一派の力はまだそれほどまでに大きかったわけである。
ところがそれからわずか7か月後、安倍晋三の暗殺で事態は劇的に変わった。
自民党の「保守派」が言っていた「伝統的家族観」というのは、実は統一協会の教義だったことが明るみに出されたのだ!
山上徹也が見て殺害を決意したとされる、統一協会系団体・UPF(天宙平和連合)へのビデオメッセージで、安倍は統一協会現総裁の韓鶴子らに「敬意を表します」とした上で、こんな賛辞を述べていた。
「UPFの平和ビジョンにおいて、家庭の価値を強調する点を高く評価いたします。世界人権宣言にあるように、家庭は、社会の自然かつ基礎的集団単位としての普遍的価値をもっております。偏った価値観を、社会革命運動として展開する動きに警戒しましょう」
ここでいう「家庭」の「普遍的価値」とは、「子を産み育てること」であり、しかも子を育て家庭を守る役割の全ては、女性が負担するというものだ。
そしてここでいう「偏った価値観」とは「男女同権」であり、さらに「偏った価値観」の最たるものは「同性婚」というわけだ。
それこそが安倍がベタボメした、統一協会のいう「伝統的家族観」なるものなのだ。
安倍は無防備にも「社会革命運動」という言葉を使っているが、普通は家庭について誰がどんな価値観を持とうが、それを「社会革命運動」と見なして「警戒」しようなんて大げさな発想にはならないものだ。
実は、「男女平等」や「LGBTの権利拡大」などの主張に対して「共産主義革命の思想だ!」などと非難するのは、統一協会信者のお決まりのパターンなのである。
安倍はこの時、統一協会信者とほとんど同じ感覚になっていたのだ。
この記事の著者・小林よしのりさんのメルマガ
こども家庭庁を統一教会理念の普及機関にするという企て
ところで、安倍は唐突に国連の「世界人権宣言」を出しているが、もちろん国連が統一協会の家庭観に「お墨付き」を与えているわけではない。
同宣言第16条3項には「家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する」とあるが、明確に同性婚を禁じている条文はない。
国連には同性愛を違法化している加盟国も多いため、LGBTに関する議論は長らくタブーとされていた。
だがこの十数年で状況は変わりつつあり、2011年には国連人権理事会において、LGBTの置かれた環境や状況に関する世界的な報告書作成を求める、「歴史的」といわれる決議が採択された。
また、2012年には潘基文国連事務総長がLGBTに関して、「あらゆる人の権利を守ることが、国連憲章と世界人権宣言によって私たちに課された責務」であると演説しており、少なくとも世界人権宣言が同性婚に絶対反対を唱える統一協会に対して「お墨付き」を与えるということは決してありえないのだ。
それなのになぜここで安倍が世界人権宣言を引っ張り出していたのかというと、これにも理由があるのだが、それは後述しよう。
統一協会のいう「伝統的家族観」とは、「儒教カルト的家族観」である。
女は男に従い、子は親に従うもの。
子育ては家庭(の女性)が担うもの、介護も家庭(の女性)が担うもの。
統一協会にとっては、保育園や介護施設の拡充は家庭の役割を奪い、家庭を弱体化し、崩壊させるものだということになる。
だから安倍政権下では、保育や介護に関する政策は非常に後ろ向きだったのである。
もちろん、子育てに関する国の政策を強化するなんてことは、家庭の価値観への侵害でしかないし、しかも子供を親から独立した一個の人格と見るという理念など、決して認められるわけがない。
だから安倍政権下では、こども庁創設の構想は全く動かなかったのだ。そして、高市早苗が総裁選でこども庁に関する態度を明確にしなかった理由も、もうバレバレだろう。
しかし安倍が退陣したことにより、こども庁創設は実現に向かった。
そこで統一協会は影響下にある自民党「保守派」の議員を動かして、「こども庁」を「こども家庭庁」にしてしまったのだ。
そうしてこども庁の理念を乗っ取って、「こども家庭庁」を統一協会の「伝統的家庭観」を普及するための機関にしてしまおうという企みが行われたのである。
別にこれは、憶測で言っているのではない。
統一協会が、そう思うしかない根拠をわざわざ提供しているのだ。
統一協会系新聞「世界日報」は、4月1日付で「こども家庭庁 伝統的な家族の良さ見直せ」と題した社説を載せている。
何ひとつ隠す気もなく、こども家庭庁を通して「伝統的家庭観」を普及させよと、ヌケヌケと主張しているのである!
社説では「こども家庭庁」への名称変更について、こう書いている。
新組織の名称は当初、「こども庁」が想定されていた。虐待被害児をはじめ「家庭」と聞くと傷つく子供がいるという意見や、戦前の「家父長制度」のイメージから、家庭は個人を抑圧するものと捉える政治家やマスコミからの圧力があったからだ。そうしたリベラル左派陣営の声を排して、こども家庭庁として出発することは評価できる。
前述のとおり、「こども庁」の名称は圧力をかけられて決まったものではない。むしろ問答無用で「こども家庭庁」にせよと迫った方が圧力みたいなものだったのに、これでは話が真っ逆さまである。
この記事の著者・小林よしのりさんのメルマガ
統一教会が未だ改憲の企みを全く諦めていない決定的証拠
そして社説は保育園に関して、こう書いている。
保育園に長く預けられ、家庭の温かさを十分知らないまま成長したのでは、結婚・出産願望は生まれない。子育てと仕事を両立させるための保育サービス拡充から一歩踏み出し、保育園に預ける時間を短くし、親が自宅での子育てに十分時間を取れるような施策に取り組むことも必要だろう。
驚くほどの保育園に対する悪意と偏見だが、統一協会はずっとこの理屈で保育園の増設に反対し、子供は家庭で育てよと主張し続けてきたのだ。
その上で社説は続けて、こう書いている。
重要課題に虐待対策もある。こちらも年々悪化を辿(たど)り、令和3年度の児童相談所による相談対応件数は20万件を超えている。虐待は核家族化、貧困、社会からの孤立、離婚など複数の要因が重なって起きるといわれるが、対応の基本は家庭における子育て支援であり、そこに携わる人材育成が必須だ。それに加え長期的な観点から、伝統的な家庭の良さを見直して、望ましい家族の在り方を提言することも躊躇(ちゅうちょ)すべきでない。
出た!「伝統的家庭観」!
何が「伝統的な家庭の良さ」で何が「望ましい家族の在り方」なんだかさっぱりわからないが、とにかく統一協会が考える「伝統的家庭観」さえあれば虐待だろうが何だろうが解決するんだから、こども家庭庁はそれを提言せよと言い出すのである。
あまりにも露骨なのだが、これでもまだ終わりではない。社説はこれに続けて、統一協会の本音をさらにぶちまけ切って締めくくっているのだ。
世界人権宣言には「家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する」とある。こども家庭庁の設置目標の達成には、憲法に「家族条項」を入れることも必要になってくるだろう。
なんと、統一協会は日本の憲法を変えてしまおうという企みを、未だに全く諦めていないのである!!
むしろこども家庭庁を利用して、日本国憲法に「国民は家族を大切にすること」という、国民を縛る条項を入れようとさえ考えているのである!
だからわしは「こども家庭庁」には懸念を示さざるを得ないのだ。
当初の理念が統一協会に浸食され、乗っ取られて、気がついたら「こどもまんなか」どころではなく「統一協会まんなか」になっているかもしれないのだ。
さて、なぜ安倍晋三がビデオメッセージで唐突に「世界人権宣言」を持ち出したのかという件だが、上の世界日報社説を見ればもうわかるだろう。
統一協会自身が、何かといえば世界人権宣言を持ち出して、その理念と統一協会の「伝統的家庭観」が同じものであるかのように見せかける詭弁を常套手段としていたのだ。それで安倍晋三は、それと全く同じことを言ったにすぎないのだ。
それほどまでに、統一協会と安倍晋三の言うことは一体化していた。
もっとも、統一協会の側は安倍と「一体」だなんてちっとも思っていなかったに違いない。おそらく、安倍なんか「便利な手先」程度にしか思っていなかったはずである。
大胆なのかバカなのか、「世界日報」には統一協会の本音や企みがそのまま書かれていたりするようだ。
この記事の著者・小林よしのりさんのメルマガ
ステルス侵略が「見える侵略」になっても何も動じぬ統一教会
そこで今回は最後に、世界日報の記事をもうひとつ紹介しておこう。
論破祭りの参加者が教えてくれたのだが、皇位継承に関してあの愚にもつかない令和の「有識者会議」の報告書が出た後、世界日報はこんな記事を出していた。
男系固執も、「旧宮家復帰」(正しくは「旧宮家系国民男子の皇籍取得」)も、そしてこれこそが伝統だという意見も、全ては統一協会の主張なのだ。
もはや男系固執派は全員、統一協会の手先にしか見えない。
統一協会は何も変わっていない。「ステルス侵略」がバレて「見える侵略」になっても何も動じず、今もなお日本の政治の中枢に食い込んで侵略を続けている!
それなのに統一協会に対する世間の関心はすっかり薄れ、統一地方選挙においてもほとんど論点に上がらない始末だ。
毎度毎度思うことだが、日本人の平和ボケは本当にどうにもならない。
何があっても、いつまで経ってもボケ続けている!
(『小林よしのりライジング』2023年4月11日号より一部抜粋・文中敬称略)
この記事の著者・小林よしのりさんのメルマガ
image by: 首相官邸