ウクライナ産穀物の輸出協定への参加停止を表明したロシア。国際社会から大きな非難を受けること必至の決断を下したプーチン大統領の狙いは、一体どこにあるのでしょうか。今回のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』では元国連紛争調停官の島田さんが、プーチン氏が叶えたい「本当の目的」を推測。さらに現実的には「ウクライナのNATO加盟」の線がない理由について解説しています。
ウクライナとNATOを引き離す。成功したプーチンの画策
「私たちはフェイクワールドにどっぷり浸かって生活している」
これはモスクワにいる友人がつぶやく言葉です。
「しかし、ウクライナとの戦争に勝つかどうかは実はあまり関心がなく、ロシア国民一般の最大の関心は日々の生活を維持できることであり、プーチン大統領の統治がしばらく続く見込みであることから、今は彼を信じてついていくしかない」と続けていました。
多方面からの情報でもロシア国内でも厭戦機運は高まっているのは確かなようですが、予てより根強くある「ロシアはいつも欧米から虐められ、蔑まれている。だれもロシアのことを理解しようとしない」という感情も健在どころか、日に日に強まっているようで、その観点からプーチン大統領とロシア政府・軍が進めるウクライナ侵攻を後押しするという構図になっています。
「ロシアは冬の時代を経験し、苦難を耐え抜くことに慣れている。今回の戦争も長期化するだろうが、ロシアは耐え抜く」とすでにロシア国内でもウクライナ戦争の長期化を覚悟しているようです。
その背景には、先ほど触れた“感情”も強くありますが、2014年以降、ウクライナがウクライナ東南部のロシア系(ロシア正教会教徒)への執拗な攻撃と迫害をしてきたことにも怒っており、その迫害されるロシア人を守るために立ち上がったプーチン大統領の方針を支持し、ウクライナを“ロシア化”するか、叩き潰すことが必要と答える市民が多いこともあります。
なかなかショッキングな感情と発言であり、メディアでは報じられないもう一つの“真実”と言えます。
また、聞いてみるとモスクワにいるロシア人(モスクワ市民)にとっての“ウクライナ”はシンパシーを感じる対象ではあるようですが、ウクライナはウクライナ東部のドンバス地方と、対立こそしても同じ正教系が多く住む中部(キーウ含む)であり、ポーランド系でカトリックエリアと称されるEuro-Ukraine、つまりウクライナ西部へのシンパシーはほとんどないという答えが多く返ってきます。
ゼレンスキー大統領はそのEuro-Ukraine出身であり、就任当初は“話し合いによる東部問題の解決”を掲げていたにもかかわらず、国内のナショナリスト勢力に押され、ウクライナ東部のロシア系コミュニティへの攻撃を容認したと見られています。
これについては、ゼレンスキー大統領の言い分も聞いてみないといけないと考えますが、私たちがよく耳にするOne-sided gameというわけではなさそうです。
その感情の存在が、ウクライナ東部戦線における反転攻勢の膠着化につながっており、ゼレンスキー大統領が掲げる「2014年以降ロシアに占拠された領土をすべて取り返す」という目的を実現困難にしているようです。
NATO諸国はウクライナの反転攻勢を支え、大規模な軍事支援もウクライナ軍に提供していますが、それと並行して、ウクライナに対して一時停戦を促し、時間を稼ぐことを勧めているようです。
それがNATO首脳会談での“ウクライナ加盟問題に対する条件”に「戦争状態にないこと」が掲げられた背景と思われます。
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ウクライナ産穀物輸出協定の停止を突き付けたプーチンの思惑
その“意図”はプーチン大統領にとっては明白で、それが18日に一方的に停止を突き付けた「黒海におけるウクライナ産穀物の輸出協力」につながっているようです。
表面的には「ロシアのSWIFTへの復帰」を協定の復活の条件に挙げていますが、それと並行して、ウクライナ経済の首を絞めることで、暗に停戦に向けた呼びかけをしているとも受け取れます。
しかし、現時点での停戦を行う場合、most likelyなケースでは、【クリミア半島のロシアによる実効支配は揺るがず、一方的にロシアが編入したウクライナ東南部4州の帰属もロシアになることを受け入れ、ウクライナは中部と西部を確保して、領土的一体性を保つという選択肢】になってしまうというのが、調停グループの見解です。
これはゼレンスキー大統領にとっては、自身の存在と立場を保持するためには、受け入れることができない(受け入れることが許されない)状況となりますが、実際にNATOとの確執が起きるきっかけにもなっていることから、進むも地獄、退くも地獄という非常に難しい状況にあると理解できます。
ゆえにゼレンスキー大統領にとっては、苦難を予想し、実際にロシア側の倍以上の犠牲を出している現状下においても、東部の奪還(そしてさらに困難なクリミア半島の奪還)に邁進し、少しでも領土を取り戻したという状況作りが必要となりますが、それゆえに戦況の痛々しいまでの泥沼化につながっています。
そこに舞い込んできたのがロシアによる穀物輸送の安全確保に関する協定の一方的な停止だったのですが、この決定への報復なのか、元々計画されていたのかは分かりませんが、ウクライナ軍はクリミア大橋に対するドローン攻撃を加え、(ロシアの発表によると)通行中のロシア人夫婦2人を殺害しました。
クリミア半島そして大橋への攻撃は、2014年の勝利、そして自身の支持率を一気に高め、リーダーとしての威厳のシンボルへの攻撃とみなすため、プーチン大統領は同日そして19日に報復措置としてオデーサの港・港湾施設への精密誘導ミサイルによるピンポイント攻撃を行いました。
オデーサの港は、ウクライナ最大の港で、先述の穀物輸出の窓口でしたので、今回の爆撃で実質的に使用不可になったわけですが、元々一方的に協定の停止を宣言したのにはどのような狙いがあったのでしょうか?
ちなみに、世界第5位の穀物輸出国であるウクライナからの安価な穀物の共有が停止し、それが長期化する場合、世界的な食糧危機へとつながる恐れが予測されますが、確実に非難を拡大することになる手段を取ってまで叶えたい目的は何なのでしょうか?
表向きは欧米による対ロ金融制裁の解除、特にSWIFTへの再接続を条件に掲げていますが、本当の目的がほかにあるのではないかと思われます。
SWIFTに接続していないことで支払いが滞るという実務的な問題は起きていますが、外貨のアクセスと決済については、中国とインド、中東諸国と接続していることで、それなりに賄うことが出来ていると言われていますので、本当にそれが目的だったのかは謎です。
今回の協定の停止により、表出する効果は【ウクライナの国民生活の締め付け】がありますが、それに加えて、反ロシア包囲網(欧米とその仲間たち)に対する圧力の増幅もあるのではないかと思います。2022年2月のウクライナ侵攻以降、ロシアに課した経済制裁が今、じわじわと欧州経済と家庭生活に大きな痛手を与えています。欧州で止まらないインフレ、特に小麦などの穀物価格の高騰などがそれですが、欧州国内からの突き上げを誘発する起爆剤との見方ができます。
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プーチンが摘むことに成功したNATOによる対ロ直接攻撃の芽
もう一つはグローバルサウスの国々を欧米諸国からさらに引き離すための工作という見方です。
今回の一方的な協定の停止と並行してロシア産の穀物を無償でアフリカ諸国などに供する枠組みを提唱するようですが、これによりアフリカやラテンアメリカ諸国、そして中東諸国、そして東南アジア諸国の取り込みを図ろうとしていると思われます。
「ウクライナによる協定下での輸出は、ほとんどが欧州各国に向けられており、本当に必要とする国々には到達していない。欧州各国によるまやかしの善意だ」と非難して、対欧米批判を引き起こし、ロシアシンパを増やす作戦です。
これには中国とインド、南アとの協力が存在していて、各国の国民生活を盾にpolitical gameが行われているという、なんとも恐ろしい現状を垣間見ることが出来ますが、ウクライナ国民への締め付けと欧州市民への圧力を加えることで、対ロ制裁の結束を綻ばせ、欧米諸国による対ウクライナ支援にもムラを持たせようとしているように見えてきます。
そしてこれはNATO諸国における対ウクライナ支援疲れに繋がっていきます。
先のNATO首脳会議では「ウクライナに対する支援の継続」が合意されていますが、NATO諸国、特に今年秋口から来年の大統領選挙に向けた動きが本格化するアメリカは、何とか秋口までに一旦停戦させることを念頭に置いて合意したようですが、同時にNATO諸国は、この戦争に決着がつく形での停戦が実現するというシナリオは現時点で非現実的であることも分かっているため、ウクライナに選択を委ねるため、NATO加盟問題の議論を始めるタイミングと停戦状態をセットにしたようです。
ただプーチン大統領が予想していたであろう形で、ゼレンスキー大統領とその周辺は「馬鹿げた話」と一蹴していますので、NATO側としては“寄り添う”形は維持しつつも、「結局はウクライナの戦争であり、NATOの戦争ではない」との一線を保つチョイスをしたと言えます。
これで目論見通り、NATOとウクライナの切り離し、つまりNATOによる対ロ直接攻撃の芽は、現時点で摘むことが出来、ロシアは対ウクライナ戦争とBeyondに集中できることになります。
ここで効いてくるのが、6月末の乱以降、動静も思惑もつかめないプリコジン氏とワグネルの存在です。
プリゴジンは今、どこで何を
今週に入り、プーチン大統領がワグネルの“新しい”指揮官について言及し、プリゴジン外しを演出していますが、ワグネルは解体されておらず、ロシアにとって特殊部隊的な役割を果たすという見込みが出てきています。
プリコジン氏は「ベラルーシをとっくに離れ、サンクトペテルブルクに戻ったという説」と「ロシアとベラルーシを行き来できている」という説が混在しますが、20日にSNS上に投稿された動画では、プリコジン氏らしき人物がワグネルに対して薫陶し、「ワグネルはベラルーシ軍を世界第2位の軍隊にする」と宣言をしているところを見ると、恐らく彼はベラルーシとロシアを行き来できる“自由”を獲得していると見ることが出来ます。
そして乱の後も、実際にはワグネルはまだ死んではいません。20日の英国情報機関の分析では、乱直後に用意されたベラルーシ国内の8,000人収容可能な施設とは別に、ワグネル用の軍事基地が建設・設備されているようで、ワグネルの主力2万5,000人から3万人の勢力がベラルーシを拠点とする準備が進められていることが分かります。
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プーチンの料理人としての立ち位置を維持するプリゴジン
乱の後、プリコジン氏の力が削がれているという情報もあるのですが、プリコジン氏とワグネルを切り離してみておく必要があります。
プリコジン氏はワグネルの創始者でありますが、作戦の指揮を握る現場の指揮官であったことはありませんし、彼は、ワグネルを傘下に収めるコンコルド社の社長であり、給食サービス、金融、メディアなどを同じく傘下に収めているオリガルヒです。乱の後、メディアの放送権が取り消されたとか、軍への給食の配給の契約が取り消されたといった情報が錯綜していますが、実際には表舞台に出ることを控えているだけであり、失脚はしておらず、今も“プーチンの料理人”としての立ち位置を維持しているようです。
裏切りは決して許さないプーチン大統領ですが、プリコジン氏が率いるワグネルは、経済的な権益を保持したまま、アフリカ諸国における軍事的なプレゼンスを維持して影響力を行使しつつ、アフリカ諸国における政権維持のために用意されてきたワグネルの勢力のうち、余剰勢力をベラルーシに集めて、対ウクライナ戦線に追加投入する計画であることが見えてきました。
つまりプーチン大統領もその手足として工作活動を行うプリコジン氏とワグネルも勢力を温存したまま、利権を維持し、政治的な工作も行って親ロシア派の“輪”を拡げています。その威力は今、国連やG20などで発揮されており、かつローバルサウスの国々との距離を縮めることで、中国との適度なパートナシップの下、発言力を強化しています。
非欧米諸国を欧米諸国から遠ざけ、中国と築いてきた国家資本主義陣営を拡大して、多様な政治形態を飲み込んだ緩やかだが大きな協力体制を築き上げ、欧米型の統治形態と対峙する勢力を育て上げるという目標は、皮肉にも、叶えられつつあります。
もちろん非欧米諸国もロシアが武力によって現状を変えようとしていることに対しては非難していますが、多くが「それよりもこれまでアメリカや欧州各国が途上国に対して行ってきた過去の悪行に比べるとましだし、何よりも上から目線で他国の国内情勢に口出しし、土足で踏み込んでこない」という見解で一致しており、積極的にではないにせよ、ロシアに対するシンパシーと、ロシアに対する一方的な制裁措置の発動への反感で、非欧米諸国グループの連携が強まってきているように見えます。
ただ、プーチン大統領とロシア政府中枢が気にしているのが、中国への過度な依存と、勢力圏での中国の発言力の拡大です。今回のウクライナ戦争におけるロシアへのサポートには心から感謝しつつも、中国側に大きく傾いてしまったパワーバランスを何とか均衡に戻したいとする意図が見え隠れします。
その戦略をいかに実行するのかは分かりませんが、ロシアがターゲットになっている現在から、近未来的に中国がターゲットにされるまでの間は、Frenemy(Friend-Enemy)的なパートナシップを保ち、新しい勢力圏を共に築き上げ、欧米諸国とその仲間たちからの攻撃に協力して備えるという関係は続くと考えられるので、しばらくは中ロ間の直接的な衝突は起こりえないと思われます。
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現実的にはあり得ないウクライナのNATOへの加盟
ウクライナの反転攻勢開始から1か月。NATO各国やウクライナが期待したような成果は得られていません。実際には目立った成果はなく、最近、アメリカのWar Instituteや英国の王立研究所などが出した分析では、現時点までのNATOによる支援内容が続いても、このままではウクライナは大きな成果は得られないと考えられるという内容です。
では大きな成果を実現するために、NATOは対ウクライナ支援を拡大し、アップグレードするかと言えば、恐らくNOでしょう。
今後、オランダやポーランドなどの協力を得てF16の飛行・操縦訓練が急ピッチで進められることになっていますが、戦局を有利に進めるレベルまでの熟練度に達するには半年から2年かかると言われており、正直、あまり大きな期待は持てません。
ただ、準備が出来たものから試験的に投入し、ロシア空軍が誇るSu57やSu75をおびき出すことには貢献できるかもしれませんが、決定的な制空権の確保には至らないものと考えられます。
そうすると、ゼレンスキー大統領が掲げる「クリミア半島を含むウクライナ領をすべて取り戻す」という目標を叶えるためには、今後、NATOによる支援が強化され、かつ勝利の日まで支援が続き、拡大されることがベースになったとしても、かなりの時間を要するか、ミッションインポッシブルと思われ、結果、ウクライナの戦意喪失という結果になるか、NATOの支援疲れの加速による脱落という結果が濃厚になります。
先のNATO首脳会議でも示されたように、停戦がウクライナのNATO加盟審査の大前提になるが、領土奪還目標にこだわると、停戦はしばらく望めず、その分NATO加盟の可能性も遠のくというジレンマに陥ることを意味します。そこから導き出せる結論は、つまり、現実的にウクライナのNATO加盟はないということになります。
ちなみに、そもそも欧州加盟国はウクライナを欧州とは見ていないし、NATOの精神をシェアしているとも見ておらず、それはロシアに侵攻された今も変わっていません。ゆえにEUへの加盟の方がハードルが低いとする専門家もいますが、それは“ウクライナの西部(ポーランド国境近くで、ポーランド系がマジョリティのカトリックエリア)のみ”を指すという意見もあり、Ukraine as a whole(ロシア色が強く、ロシア正教系の影響圏の東部や、キーウを含むウクライナ正教の影響圏も含む)では話が違うと考えられるため、ウクライナという国家の一体性を前面に押し出しての加盟申請であれば、トルコのケースのように、蛇の生殺しのようにnever ending processに陥ることになるでしょう。
ロシアからの圧力と恐怖に対峙し、ウクライナ国家を取り戻すために考えうるいろいろな可能性の門が順々に閉じていく中、いつまでウクライナ国内でゼレンスキー大統領の方針が支持され続けるかは不透明です。2014年以降高まるウクライナ国内のナショナリスト勢力の影響も無視できないですし、親ロシア派もまだ根強く存在していますし、そしてウクライナの3分割を主張する勢力も支持を伸ばしてきています。
このような非常にデリケートな力のバランスの上に成り立っているゼレンスキー政権に見切りをつける動きが出てきたとき、ウクライナは分裂または消滅の危機に瀕することになるかもしれません。
そうなると、昨年2月24日のウクライナ侵攻当初にプーチン大統領が主張していた“特別軍事作戦”が掲げた目的──ゼレンスキー大統領の追放と親ロシア派の政権の確立が、実現されるようなことになるかもしれません。
そして詳しくは書きませんが、プーチン大統領とその周辺の表現では、今回のウクライナ侵攻は今でも“特別軍事作戦”のままであり、これが“戦争”に名称変更された場合、そのロシアの刃はウクライナに留まらず、周辺国にも広がっていくことになる恐れがあります。
それをNATOとその仲間たちはどこまで本気に防ぐ気があるのか。
今一度、この問いを投げかけておきたいと思います。
以上、国際情勢の裏側でした。
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