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「母さん戦争止めてくるわ」と高市自民圧勝。“滅びの美学”と“一国平和主義”が交錯する原理主義国家ニッポン

先日の衆院選において、各陣営やメディアはもとより有権者間でも激しく交わされたさまざまな論戦。その底流にはどのような主義主張が横たわっているのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では作家で米国在住の冷泉彰彦さんが、昭和戦時期の「滅びの美学」から戦後左派の絶対平和主義といった「日本型原理主義」の構造を分析。その上で、政治的正統性、文化と宗教、社会経済という3つの観点から、こじれたナショナリズムの行方と高市政権の行く末を考察しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:ニッポンの原理主義を考える

アメリカ以上のカオス状態か。ニッポンの原理主義を考える

アメリカでは、ここのところ保守派の分裂ということが話題になっています。そんな中で、非モテで反ユダヤ、白人至上主義の男性が人気になったり、反対に絶対純潔主義で親ユダヤ、旧約聖書バンザイの女性神学者が受けたりという現象もあります。先日ABEMAプライムの番組に出演した際に、そうした動きに対して日本サイドの関心が高いということには、正直、かなり驚かされました。

勿論、日米関係が通商や安全保障などを含めて、非常に難しい、だからアメリカの政治風土に関心があるということもあります。そうなのでしょうが、それだけではないのかもしれません。もしかしたら保守主義とか、更にそれに自国至上主義を加えた国粋主義というもの、更にそれを徹底した一種の原理主義というものの、バリエーションについて、日本の若い世代に高い関心があるのかもしれない、そんな印象を持ちました。

加えて、総選挙における高市自民党の圧勝があります。勝利の原因については、財政の危機と物価の苦しみという板挟みの状態が深刻になることで、無責任な野党の言論が全く説得力を持たなくなったことが大きいと思います。また、ここまで大勝したら、総理は靖国に行く必要もないし、改憲も口だけで先延ばししていいし、米国に追随した格好で日中の関係改善を進めることも可能になりました。

そうではあるのですが、高市氏は長年にわたって選挙の厳しい洗礼を受け続けてきたことから、有権者の中の一種の国粋主義、更には原理主義的な問題について、その「懐に飛び込む」姿勢を取って来ました。ですから、大きな政治的資産を得た現在は、ある程度はその原理主義を実現することで、有権者の情動に対する利子配当をせざるを得ないのかもしれません。

そんな中で、日本における原理主義というのは、21世紀も四半世紀を経過した現在、どんな形を取っていくのかというと、これが非常に分かりにくいのです。国粋主義や原理主義と言っても千差万別であり、もしかしたら分裂と抗争を内包しているということでは、アメリカ以上かもしれません。それだけでなく、過去の経緯を思い切り引きずっているし、主張の中には根拠のないもの、無自覚なものも多くあって、かなり不健康な印象を受けます。

そこで、今回は、勿論あくまで思考実験ですが、日本の原理主義が21世紀の今日、どんな主張を抱えたものとなりうるのか、幅広く考えてみたいと思います。もしかしたら、これまで見えなかった風景が浮かび上がったり、思わぬ形で建設的な議論に発展したりということもあるかと思います。

とりあえず、政治的正統性の問題、文化と宗教の問題、そして社会経済の問題の3つに分けて整理してみたいと思います。

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「滅びの美学」が現在も生き残っているという問題

まず政治的正統性についてですが、この分野は実は原理主義とか、国粋主義というのは一番薄い分野になると思います。勿論、過去には東條政権による天皇制度と近代ファシズムを無理に連携する中で、一種の原理主義を人工的に機能させる動きはありました。天皇の神格化どころか本当に神様扱いして、しかもそのために死ねというのですから、これは原理主義そのものでしょう。

ですが、それにしても奇妙な部分があるのです。この昭和10年代の異常性というのは一つの大きな問題を抱えています。それは、敗北主義ということです。日米開戦も無謀なら、ミッドウェイ以降の戦況は見るに耐えない悲惨なものであったわけです。にもかかわらず、自爆攻撃で若者の生命を奪い、制空権を完全喪失しても和平に応じす、最終的には国家と民族の破滅を覚悟するという異常事態に至りました。国家と国民に対する自傷行為に他なりません。

あれは何だったのかということについて、まだまだ定説を打ち立てて正史を遺すという段階には至っていないのです。もしかしたら滅びの美学なのかもしれませんが、仮に美学だとして、玉砕だとか『海ゆかば』などに陶酔するムードがあったというのは認識できるものの、理解は非常に難しいものがあります。

もしかしたら、幕末において西国雄藩が、排外テロから米英追随の近代化へと180度の転換をしたのは、魂の奥底においては屈辱であり、国粋主義を屈折した形で封印しただけ、という考え方もあります。その後遺症として、東條一派の敗北主義があり、敗北の美化があるという説明です。ですが、そこまで深刻なものなのかは議論が分かれるところです。

問題は、この滅びの美学が現在の日本の原理主義として生き残っていることです。例えばいわゆる右派の中には、特攻を美化するとか、特攻隊の崇高性を神格化するというセンチメントが残っています。この問題については、個々の犠牲者には深い哀悼を捧げつつ、作戦全体は全否定するという態度しか取りようがないと思うのですが、そういう言論も原理主義の人たちからは気に入らないようです。

もしかしたら、維新の際の変節がどうこうという以前の問題かもしれません。そもそも、アジアの中で最も西欧文明との確執や協調に翻弄されてきた日本のあり方に、究極の痛みを感じていて、魂の奥底にはアンチ欧米があるみたいな精神主義があるのかもしれません。しかしながら、仮にそうだとしたら、日本的なるものやアジア的なるものに対して、根源的な部分では誇りを持っていないことになります。

欧米的なるものに秘められた劣等意識があるということはそういうことです。ですが、それでも尚、欧米に対する屈辱感、劣等感というのが、無意識的などこかにあって、それが原理主義的な言動に反映しているのかもしれません。ただ、よく考えると、仮にそうであれば、現在のロシアや中国による、西側との対決衝動なども似たようなものですし、別段それは日本の専売特許ではないわけです。

もしかしたら、そうであっても、1945年5月から8月の約3ヶ月間、ヒトラー自決後からポツダム宣言受諾までの期間、世界中の悪者となっていた時間の記憶というのは、日本のどこかを本質的に痛めてしまったのかもしれません。そこが日本の対欧米への対抗心とか、劣等感などを「こじらせ」ているという考え方も可能ではあります。

そう考えると、いわゆる保守派の国粋主義、原理主義というのは左派の絶対反戦とか一国平和主義という、裏返しの原理主義とも呼応すると考えられます。左派の一国平和主義というのは、これも人類史上、稀に見る原理主義であると思います。勿論、第二次大戦における加害も被害も巨大なトラウマとして残っていますから、社会的PTSDとして「あらゆる軍事的なものは見たくない、関わりたくない」というのは、強い心情として分からないでもありません。

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加害責任との向かい合い方も全く不十分な「敗北原理主義」

若い世代は理解が難しいかもしれないのですが、一定年齢以上の世代は、加害による名誉の喪失も、被害による巨大な人命の喪失も、二度と経験したくないというPTSDを宿命的に持っているわけです。そこまでは所与の事実であり、動かしがたいと思います。そうなのですが、例えばテロ抑止行動であるとか、権威主義国の侵略行動などに対しても、「自分たちだけはカネで解決したい、手は汚したくない」というのは、流石に友人を無くす言動になるわけです。

その奥底には、恐らく全く無自覚なのだと思いますが、「戦争で奈落の底まで突き落とされた日本の名誉」は、「アメリカをはじめとする戦勝国などが軍事に手を染めて邪悪化することを徹底批判して見下す」ことで報復できるという心情が感じられます。日共などの言語表現によく出てくる「何々を許すな」的なもの、あるいは今回の選挙で出てきた「母さん戦争止めてくるわ」といったものにも、それが感じられます。

つまり、戦後日本は非武装中立を貫くことで、名誉という意味では世界の頂点に立ちたがった、いわゆる左派的な一国平和というのは、そういうイデオロギーだということもできます。とにかく平和国家なので世界一だという勝手な自信といいますか、他国を見下す姿勢とも言えるものです。

この名誉の頂点から発言したいという姿勢は、恐らく全く無自覚で、しかし偏狭なナショナリズムの変種であることは間違いありません。そして、そのために問題を起こしているとも言えますし、そのために若い世代には伝わらなくなっている、そのような印象を持ちます。

では、右派の一種の敗北主義的な原理主義のほうが「まし」かというと、これも違います。実際に1945年には国が本当に滅亡してしまったのですし、膨大な数の人命も失われました。その敗北責任、亡国責任を「滅びの美学」プラス「欧米への怨念」で説明してもらっては困るからです。と言いますか、そのような説明からすら逃げているとも言えます。

敗北原理主義についていえば、加害責任との向かい合い方も全く不十分です。滅びの美学に則って本当に滅んだし、その痛みも残っているから加害責任は忘れるという姿勢は、相手のある世界では著しく不利に作用します。たこの点に関して、現状については危機感を覚えます。特に恐ろしいのが昨今の中国共産党幹部との舌戦です。周恩来ドクトリンと日中条約のベースになっている、「日本軍国主義は悪だが、日本人民は悪でない」という原則が崩れつつあるからです。

中国との舌戦において「戦争は民衆の熱狂が後押しした」などということを軽々しく言うと、この大原則が崩壊します。これに中台問題への介入は内政干渉だとか、抑止力行使や存立基盤の話は戦前の侵略の論理と同一、といった説明が重なっていくと、最終的には「今でも日本は枢軸で国連の敵」といった無理なロジックが動いてしまいます。

とにかく、大戦に関する総括において「滅びの美学」があり、また「民衆の熱狂」があったというのは、現在形での敵意を「無から有にしてしまう」非現実的なまでに危険なストーリーだと思います。それが原理主義だし、日本での支持が拡大しているというようなことになると、安全の保障から大きく後退していまいます。

国家観や政治に関する原理主義に関しては、天皇制度と血統の問題、国旗国歌の問題などがありますが、こうした問題にはリアリズムの姿勢から丁寧な交通整理が必要だと感じています。特に皇位継承に関しては、いわゆる帝王スキルの訓育制度の不在ということが問題です。ちなみに、この点に関しては、順位2番目の方の問題ではなく、順位1番目の方の方も問題だと思っています。

その一方で、様々なナショナリズム、原理主義の百家争鳴時代においては、「徳川将軍家への大政奉還」であるとか「私擬憲法など明治の自由民権の再評価(色川大吉的なものではなく、純粋な自由思想として)」なども可能性としてはあると思います。こちらも機会があれば展開してみても面白いと思っています。

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現象として要注意な参政党の「古史古伝」への興味

次に文化や宗教に関してですが、前々から思っているのですが、日本における宗教原理主義としては、法華系統に一種の結束がある一方で、結局のところは明治以降の新宗教がほとんどであるわけです。復古主義的に「あるべき過去へ回帰」という運動はあまり聞きません。例えばですが、廃仏毀釈に抗議して神仏習合にこそ日本本来の土着の宗教があるというような主張はあっても良いのですが、運動としてはありません。

神仏習合については、日本が大好きだが、明治以降の軍国とか東條の冒険主義は嫌いな欧米系の日本通が研究しているという話はあります。ですが、日本国内では、あまり目立った動きがないのは不思議です。そう考えると、かなりトンデモな話に属するわけですが、その一方で、参政党が古史古伝などに興味を持っているというのは、特筆に値します。勿論、良いことではないのですが、いわゆるクラシックな日本の保守主義では「物足りない」という意味では、現象として要注意ということです。

ちなみに古史古伝というのは、古事記・日本書紀は偽書だとか、その前に日本オリジナルの「ホンマツタヘ」という超古典があり、独自の文字もあったという「理論」です。カナ文字は漢字由来ではないのであって、超古代に日本文明があった的なストーリーで、江戸期の原理主義が妄想を逞しくしたのがルーツだと言われるものです。

後は、武士の文化へのアンチというのもロジックとしては成立するわけです。例えば、「わびさび」「禅」「能狂言」などは全て武家の文化であり、武家の文化は儒教の厳密性をマイルド化しつつ命を粗末にするのだから、プレ武家の時代が本物の日本というような打ち立ては可能は可能です。その点で、参政党は古史古伝に手を出しつつ、血なまぐさいナショナリズムは好きなので、雑食もいいところだと思います。

それはともかく、仏教で言うなら、鎌倉仏教は外来でダメだとか、いやいや親鸞の思想は日本オリジナルで傑出しているとか、宗教なのですから、もう少し温度感を吹き込んでもらっても良いのではと思うことがあります。神仏習合の是非ということでは、神道にしても道教、アイヌ信仰、修験道、半島の先祖崇拝など、様々なルーツの混淆していって成立した過程について、実証的な研究が不足しているのを感じます。

そう考えると、柳田学、折口学などの評価や継承、発展という流れの温度感もかなり低くなっています。その辺の基盤の欠落した中で、一気に古史古伝まで飛躍するというのは、やはり足腰の全く弱い話だと思います。

話は変わりますが、左派の中にある文化的原理主義として、「お上の取り締まりに対抗して性的習俗や性的表現の自由度を指向する」というものがあります。結構長い伝統があり、歌舞伎や浮世絵に埋め込まれた反権力イデオロギーが、戦後はアングラ文化だったり、風俗産業の正当化などになっているわけです。こうした動きの100%を否定するわけではありませんが、少なくとも国家権力を牽制するのであれば、そんな薄暗い話の優先度は下げるべきと思います。

それどころか、ジェンダーの平等、人権に反する形で売買春や性表現を美化するとか、その自由度を守ることを、他の表現の自由より優先するというのは、やはり逸脱だと思います。左派カルチャーの暗部、恥部と言ってもいいでしょう。

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保守票の「懐に入る」ことで政治的自由度を獲得した高市首相

それはともかく、文化とか宗教になると、日本の場合は比較的狭い国であるにもかかわらず、大変な多様性を持っているわけです。元来が大陸、南洋、北方の3方面から民族や文化が流れて混淆していますし、その多様性が幕藩体制という地方分権間接支配によって定着しています。その結果として、峠を越えればアクセントだけでなく、語彙も違うし、味付けだけでなく食文化のメニューが違い、宗教も違うという多様性になっています。

個人的には、その多様性のダイナミズムを活用することが日本の経済や社会の活力を蘇生させる鍵だと思っていますが、反対にこの多様性が破壊されることには賛成できません。これはこれで一種の原理主義かもしれません。いずれにしても、政治の正統性にしても、文化や宗教の問題も、伝承が上手く機能せずに、世代から世代へと手渡しされる情報量が細っていくのは問題だと思います。

特に日本は古い国ですので、伝承されるべき情報量は膨大にあります。それが受け継がれず、少ない情報量しか伝わらない、そんな中で、ファンタジーが空白を埋める中で、かえって原理主義的な「こじらせ」が加速するのかもしれません。

経済社会の問題における復古とか原理主義というのは、こちらはまた長い議論になると思いますので、場を改めて展開しようと思います。ですが、一つだけ申し上げるのであれば、保守イデオロギーを求心力にする政治は、保守イデオロギーの暴走を抑止する効能があるというのは、度々指摘してきたことです。

そうなのですが、社会経済に残る原理主義的な旧弊については、保守イデオロギーとの親和性がそれこそ「岩盤のように」あるわけです。だからこそ、安倍晋三氏はあれだけの年月をかけても「アベノミクス第三の矢」つまり「構造改革」は実現できませんでした。また、菅義偉氏や河野太郎氏のような改革派は消耗戦を強いられて疲労しています。

そんな中で、保守イデオロギーを掲げて、保守票の「懐に入る」ことで政治的自由度を獲得した高市早苗氏は、もしかしたら雇用、DX、教育のステルス改革に関して実績を挙げるかもしれません。これまでの時点では、改革を声高に叫ぶことはないわけで、まだ多少の期待を持って見ているのは事実です。

※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2026年2月17日号の抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。今週の論点「高校の文系理系の統合、ゲームオーバー決定」、人気連載「フラッシュバック81」、読者Q&Aコーナー(AI実用化の現在地)もすぐに読めます。

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  • 【Vol.625】冷泉彰彦のプリンストン通信 『日本の総選挙結果を評価する』(2/10)
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image by: 首相官邸

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東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは第1~第4火曜日配信。

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