開戦から1年半が経過した現在も各地で激戦が続き、混迷を極めるばかりのウクライナ戦争。軍事力で圧倒的に優位と見られていたロシアの苦戦ぶりも頻繁に報じられていますが、プーチン大統領が敢えて戦争を長引かせているという見方もあるようです。今回のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』では元国連紛争調停官の島田さんが、勝とうと思えばいつでも勝利できる戦争を継続させているプーチン氏の目的を推測。さらに「戦争の終わらせ方」の議論において、当事国のウクライナが蚊帳の外に置かれている事実を紹介するとともに、その理由を解説しています。
奏功するロシアの企て。ウクライナ巡り多重分断の危機に瀕する欧州
「ヨーロッパはもう一枚岩でウクライナを支援する限界点にきているかもしれない」
最近の調停グループの会合で、参加者が口々に表明している懸念です。
アメリカ国内での対ウクライナ支援への感情が分断し、どちらかというと後ろ向きになっていることにも影響されているかもしれませんが、欧州各国においてはそれがさらに顕著になってきているように思います。
物理的にウクライナとは離れているアメリカと違い、距離の差はあっても、欧州各国はロシア・ウクライナと地続きであり、戦争が拡大した際には直接的に巻き込まれ、その場合は参戦する他に選択肢がないという状況に追い込まれることもあり、ロシア・ウクライナに物理的に近い国ほど、危機感を募らせています。
「ロシアによるウクライナ侵攻を許容することはない」という立場では欧州各国は一枚岩ですが物理的な脅威が中東欧諸国に比べると薄い英仏独イタリアなどと、ロシアからの脅威に直接晒されるバルト三国やポーランド、モルドバ、北欧諸国(特にフィンランド)などでは切迫感が異なります。
バルト三国やポーランドなどは、EUやNATOに対して早急にウクライナ支援の強化と自国への防衛支援を働きかけていますが、英・仏・独などはあまり乗り気ではないとされ、これらの国々はロシアからじわじわと迫ってくる脅威と自国への戦争拡大への恐怖と、西の欧州各国の躊躇との間の板挟みになり、国内の状況が緊迫しています。そしてそこに輪をかけているのが、各国におけるウクライナからの避難民と各国の市民との間の軋轢の鮮明化です。
元々プーチン大統領と近く、ロシアによるウクライナ侵攻に対する非難はしても、一貫してロシアにシンパシーを示すハンガリーのオルバン首相の態度・主張は比較的分かりやすいですが、他の中東欧諸国においては事情が違います。
その中でも変化が鮮明なのは、ポーランドです。
最近、ポーランドがNATOに対してポーランドの防衛力の強化と、場合によってはNATOの核兵器の配備まで持ち出してきています。
その表れとして、来年度予算からになるようですが、自力で防衛力を高めるために防衛費をGDPの4%を占めるレベルまで一気に高める決定を下したようです(これでまた欧米諸国の軍事産業が儲かることになります)。
最近、ポーランドはロシアからのミサイル攻撃に晒されるウクライナ国境付近にポーランド軍を配備し始めて、来るべき事態に備えているように見えます。そしてこの国境線に配備された軍の持つ“もう一つ”の意味が、これ以上、ウクライナからの避難民を無制限に受け入れることはできないという側面です。
2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻当時とそれからしばらくは、ウクライナに隣接するという地理的な位置づけと、ウクライナ西部にいる“ウクライナ人”の大半がポーランド系で同じカトリックということもあり、その他の近接国と比べても抜きんでた数の避難民を受け入れてきました。
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ロシアに近接する国々で加速する自国軍の再拡大と強化
ポーランドもその周辺国もウクライナからの避難民に対して特別の待遇を与え、チャイルドケアも、就職支援も優先的に行うのですが、これが受け入れ国の国民・市民の反感を次第に買うことに繋がってきています。
ウクライナからの避難民に共通する特徴は経済的に余裕があり、決して生活に窮しておらず、総じて教育レベルも高いという現実なのですが、それにもかかわらず、様々な福祉・社会サービスが無料または非常に安い価格で提供され、受け入れ国における福祉財源をひっ迫させることに繋がり、それが国民・市民が本来受けることが出来るサービスの権利を侵害しているという意見が高まってきています。
排斥運動にまでは発展していないのがまだ救いですが、戦争の長期化と出口の見えない支援継続により、ウクライナからの避難民の居場所が次第に奪われつつあります。
実際に「東南部と違い、リビウなどは落ち着いてきているのだから、ウクライナ人は早急に帰還すべきだ」という声が多く聞こえてきます。
ポーランド政府はそのような声をしっかりと聞いており、NATOやEUに対して防衛支援はもちろん、経済的な支援も要請していますが、国内対策と対ウクライナ支援の継続でもういっぱいなEU各国にとって、ポーランドとその周辺国を支援する余裕はないのも事実で、ロシア・ウクライナに近接する国々における危機感が高まっています。
そこで一気に加速しているのがポーランド、ブルガリア、チェコ、バルト三国などにおける自国軍の再拡大と強化です。
これまでにもロシアによる脅威には晒され、それがNATO入りの大きな理由になってきましたが、このNATOの加盟国であったがゆえに、「いざというときにはNATOが助けてくれる」というメンタリティーが定着し、自国防衛モードから、NATOの一員としての集団安全保障モードに編成を変えていましたが、最近のNATO内での分裂や、ウクライナによる反転攻勢が思いのほか不発で、進捗状況が芳しくないことなどに鑑みて、「自分のことは自分で守る」というモードに回帰してきています(まあ、自分の身は自分で守るというのは至極当然ではあるのですが)。
それがポーランド政府の軍事・防衛費の拡大に繋がり、その波は中東欧諸国・バルト三国に広がってきています。
これにより、先ほどお話しした国内の社会保障費の削減につながる恐れが生じ、各国内での政府に対する反発に繋がっています。
「有事の際にはNATOが守ってくれるから、自国の社会保障を充実させよう」という政策をここ数年進めてきたわけですが、ロシア・ウクライナ戦争は、NATOの東の端のフロントの雰囲気をまた変えようとしています。
ちょっと話はずれますが、これ、どこかの国のお話にも似ていませんか?
中東欧諸国が自前で軍拡に走り、ポーランド政府のように核兵器の配備の要求まで持ち出す状況になると、必然的にロシアはBeyond Ukraineの国々に対して警戒心を高め、その背後にNATO・欧米諸国が就いているに違いないとこじつけて非難し、結果、中東欧に対する軍事的な圧力をかけることに繋がります。
ここで出てくる疑問は「果たしてロシアにそれだけの余裕があるのか?」ということになりますが、これについては、侵略当初のratioを見ると、ウクライナの軍備を1とした場合、ロシアは10となり、圧倒的な優位を誇ることになります。ただ、これまでのところ、ロシアはその優位をまだ十分に活かした戦略を取っていません。
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敢えて戦争を長引かせるプーチンが企図していること
制空権の確保や軍事的な総合力の比較を行った場合、核兵器を用いることもなく、ロシアはウクライナを圧倒しうるものを持っているはずですが、ウクライナの反転攻勢が、望むレベルには程遠いという分析がでていても、NATO各国からの支援が次第に実用化され、実戦投入されていくにつれ、ロシアの圧倒的優位は揺らいできていると思われます。
しかし、ここで過度の期待をしてはいけないのが、今年中、または来年中にウクライナがロシアを押し返すというようなことは起こりにくく、今後もNATOからの支援が滞りなく届けられ、ウクライナ軍におけるNATO仕様の最新兵器への習熟度が上がるという前提が満たされる場合には、しばらくの間ウクライナは持ちこたえ、もしかしたらロシア軍をロシア領内に押し返すことができるかもしれません。
ただここで忘れてはいけないBig Ifは、アメリカをはじめとするNATO各国において、ウクライナに投入する武器弾薬装備の生産が追い付いていないという状況と、アメリカ軍をはじめとするNATO各国軍の自国の防衛レベルの維持に支障をきたすほどの状況の存在です。
それに加えて、各国で広がり増え続けている対ウクライナ支援の見直しの機運は、今後のウクライナ軍の対ロシア軍反転攻勢の行方をネガティブな方向に大きく作用する要素になりそうだということです。
調停グループに参加する各部門の専門家による見立てでは、ベストシナリオにおいて、ウクライナがロシア軍を押し返すことが出来るタイミングは、2025年以降が有力であり、そこのためには、すでに触れた諸条件がすべてそろう必要があるとのことです。
しかし、ポーランド政府をはじめとする自国防衛のためのリソースの再配分は、これらの国々による対ウクライナ支援の直接的な減少傾向に繋がります。
そして中東欧諸国における再軍備・軍事力強化の動きは、地域における緊張を高めることにもつながり、NATOの東方拡大の最前線における混乱にもつながることになります。
ロシアはいまもウクライナ侵攻を続けていますが、このNATO東方拡大の最前線における不協和音の創出と緊張感の高まり、そしてNATO西欧諸国とアメリカに対する不信感の拡大は、確実にロシアがウクライナ侵攻を長引かせている目的の一つと考えられますが、欧州はロシアの企てを受けて、多重の分断の危機に面しています。
それはNATO・EUにおける西欧と中東欧、南欧の間のデリケートな溝を拡大させることに繋がり、それはEUの統一性への挑戦となります。また今回の対ウクライナ支援において、アメリカの姿勢と欧州の姿勢が必ずしも一枚岩ではなく、予想外の長期化に接して、各国の国内情勢が永続的なウクライナ支援を後押ししない状況が進むことで、じわりじわりと対ウクライナ支援からの離脱・脱落国が出てきそうな気配がします。
調停グループの会合に参加している各国の専門家の共通意見は「ロシアはいつでも勝とうと思えば勝てるはずだが、なかなか勝とうとしていないのは、他のアジェンダがロシア政府内、特にプーチン大統領とその側近の頭の中にあることを示している。それは欧米諸国間の分断の加速であり、各国がウクライナ支援から退くことによって、ウクライナを孤立させ、それから好きなようにウクライナを蹂躙することを狙っているように見える」「ウクライナが堕ちたら、次は…(ポーランド、モルドバ…)という議論は理解できるし、その可能性は確かにあるが、中東欧諸国にかける無言のプレッシャーと恐怖は、ロシアが侵略せずとも、中東欧諸国内における情勢不安定化を通じて拡大し、とんでもない混乱を引き起こしかねない」という内容になっています。
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完全に中国の経済圏に組み入れられることになるロシア
そして欧州各国で不安を掻き立て、さらには各国の政府・政権に対する非難が高まっている要因は【欧米諸国を中心にロシアに対する厳格な経済・金融制裁を行っているが、その効果は低く、実際にはロシアを追い詰め、行動を改めさせることにはつながっていないこと】と【ロシアを支えるのは、中国を筆頭に、インド、南ア、中東諸国、ラテンアメリカ諸国など、欧米諸国と距離を置く国々であり、それらの国々が対ロ制裁の影響を無力化・軽減している】ことが、一般市民の目にも明らかになってきたことです。
そして自国政府がロシアに対して課している制裁行動の悪影響が自身に跳ね返り、先の見えないインフレとエネルギー・食料危機につながり、市民生活を圧迫していることを嫌というほど実感してきていることです。
現在、滞在中のドイツでも、昨年と比べても物価は総じて上がり、国民の購買意欲を削いでいますが、その反面、中東や中国などから訪れる人たちの消費は激増しており、経済全体としては一見、潤っているように見えますが、その恩恵が国民・市民生活に反映されていないことで、政府に対する反発の声をよく聞くようになりました。
そして対ロ制裁が、実は中国を利していることも、対中警戒を強めることを宣言した各国政府の方針と実情の違いを浮き彫りにし、各国における政府批判に繋がってきています。
欧米諸国とその仲間たちがロシアに課した金融制裁の穴は、すぐさま、中国が埋めだし、ロシアの銀行セクターに中国元建ての貸付を行って、米ドルとユーロの決済通貨としての地位を脅かし、近々、ロシアにおける決済外貨のトップになりそうな勢いです。
これ、実は中ロで進める国家資本主義陣営の拡大にも貢献することを意味し、中国の一帯一路政策と対中東・アフリカ諸国への中長期の戦略的パートナーシップを加速させ、ロシアによる対アフリカ諸国軍事支援の拡大にもつながっています(まさにワグネルのお仕事)。ロシアは軍事支援の見返りにアフリカのエネルギー資源と食糧資源の権益を持っていますが、その国際決済に、ロシアンルーブルに加えて、中国元を用いるケースが激増していることで、実質的に中国元の国際決済通貨としての流通量の高まりと地位の向上につながるというからくりです。
ロシアが今回のウクライナ戦争において回復不能なレベルまで徹底的に敗戦するという事態にならない限りは、巷で囁かれる“ロシアが中国の属国になる”ということは、軍事力を考慮した場合、ありませんが、経済的には恐らく完全に中国の経済圏に組み入れられることに繋がります。
ただし、中国政府の巧みなところは、それをロシアと共に築く国家資本主義の経済圏拡大というように表現して、ロシアを味方にしっかりとつけておくところです。
ここで気になるのが、欧州各国の今後の動きです。以前は対中経済依存の高まりと、エネルギー資源のロシアへの高い依存度が懸念とされましたが、戦争の長期化と中国の勢力拡大の動きを受けて、欧州各国の対ロ・対中態度に変化が見られています。
英国は米国と共にAUKUSの一員として対中包囲網に加わっていますし、フランスやドイツも“自由で開かれたインド太平洋”の輪に加わっていますが、経済的な側面では、中国を避けて通ることはできないことを実感し、また非欧米地域で中国の影響力がどんどん高まっていることを認識して、中国との融和を図りつつあります。
所在不明な秦剛前外相の欧州歴訪やその後の王毅外相を迎え、対話と協議を頻繁に行っているのは、その表れではないかと考えます。
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世界の「クラブ社会」内では起きづらい大きな分断
そしてアメリカも、対立構造がなかなか解けない中、米中対立の激化は来年の大統領選挙に悪影響を与えかねないと考え、気候変動や経済面での融和を図ろうとしています。
そのアプローチを受け、中国政府は公言こそしませんが「分断した国際経済と社会を再度結びつける核となるのが中国政府であり、中国共産党だ」と触れまわりだしているのは、少し気になるところです。
通常ならばここで対中大非難合戦が繰り広げられ、ニュースを賑わすところですが、それは表面的なところだけで、国際情勢の最深部においては、実際には大きな波は起きていません。
以前より何度も議論され、私自身の経験に照らし合わせても、納得のいく見解があります。
それは【国際社会におけるクラブ社会(参加者が限られる社会・グループ)の中では大きな分断は起きづらい】ということです。
国連安全保障理事会の常任理事国(P5)は、現在、表向きは米英仏と中ロで対立している格好になっていますが、実際には安保理にはP5だけの事前協議の場が存在し、そこにおいて懸案事項に対する対応方針が固められています。ここでの議論は他の安保理のメンバー、つまり非常任理事国にはシェアされませんが、1945年以降約80年経つ今でも、このクラブ社会構造は変更していません。
よく似たことはG7でもG20でもあり、表に出てくるところは、各国の国内対策もあって対立を演出することも多々ありますが、クラブならではの決まりがあるかのように、グループの内部と外部を明確に区別し、内と外を際立たせることで、自国がメンバーとなっていることに優位性を国際情勢においてアピールすることになっています。
構造に照らし合わせた場合、ウクライナはそのグループの外に存在し、対ロ反転攻勢においてはNATOや欧米諸国とその仲間たちの支援は受けていますが、決してその仲間に入る状況は起き得ません。
そして皮肉なことに、ロシアを非難しつつも、この泥沼化している戦争の終わらせ方をロシア・中国、そして欧米諸国とその仲間たちはすでに議論していますが、当事国のウクライナはいつまでもその蚊帳の外に置かれている現実が存在します。
調停グループにはロシア人の専門家も、ベラルーシ人の専門家も、ウクライナ人の専門家も参加し、フラットな議論をそれぞれの分野の知見と経験に基づいて行っていますし、そこにはNATO各国の専門家も参加していますが、口には敢えて出さないものの、先ほどの認識は共有されています。
ロシア・ウクライナ戦争は確実に長期化しますが、長期化し泥沼化していく裏で、着々と“その後”の国際秩序の再構築に向けた議論が進んでいます。
出口が示される時には、それはつまり、何らかの“次のかたち”が合意されていることと言えるかもしれません。
さて、その“次のかたち”とはどのような姿をしているのでしょうか?
以上、国際情勢の裏側でした。
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