それまでも1993年に科学史研究者マーガレット・ロシター氏が、「女性科学者による貢献が過小評価されるバイアス」を、“マチルダ効果(Matilda effect)”と名付けるなどムーブメントはありました。
しかし、先の論文が科学的根拠に基づき分析され、世界的な科学ジャーナルであるネイチャーに掲載されたことで、問題を指摘されたスウェーデン医学研究評議会は対策を迫られます。
翌年から、女性の審査員を増やし、審査過程の透明性に明確な基準を示し今後一切、研究助成金獲得の段階で、性差別と縁故主義を撲滅すると約束。これをきっかけに欧米諸国にも女性というだけで「機会」が失われないための取り組みが広がったのです。
日本も例外ではありません。2000年代に入ると多くの企業が女性研究者を対象とした研究費助成をスタート。リケジョという言葉が生まれたのも、「研究者を増やすには大学進学で理系を選択する女子学生を増やす必要がある」との認識からでした。しかし、想像以上の壁は高かった。日本では性役割が社会の隅々まで深く根付いてしまっているので、そもそも「女の子が理系にすすむなんて!」という保護者がかなりいたのです。
やっと最近、少しづつその壁にも「傷」がつく程度までにはなりましたが、道のりは長いといわざるをえない状況です
実は意外に思われるかもしれませんが、日本はかなり早い段階から、女性研究者育成に力をいれていたのですよね。
「科学者達の自由な楽園」と呼ばれていた理化学研究所が創設されたのは1917年、大正6年ですが、当時の理研は男女差別とは無縁な組織でした。
理研の女性科学者第1号は、有機物質の分光分析等に顕著な業績を残した加藤セチ先生です。当時は多くの大学で女性の入学を禁止していたので、加藤先生は大学を卒業していません。山形で小学校教師を務めていたのですが、研究者を志し、1922年に理研に入所。1953年に女性として初めて主任研究員となって自身の研究室を主宰しています。
続いて、辻村みちよ先生が入所しますが、辻村先生も大学を出ていませんでした。そして、3人目の黒田チカ先生です。黒田先生は1913年に東北帝大に入学した日本初の女子大学生の一人です。
その後は、さまざまな立場で女性科学者が加わるようになり、女性科学者の楽園として、実績が積み上げられ、多くの科学者が輩出されています。
残念ながら、日本ではこれまで28人のノーベル賞受賞者がいますが、女性は1人もいません。しかし、近い将来、日本人初の女性ノーベル賞博士が誕生する…かも。首をながーくして待ちたいです。
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