京都で三百年続く老舗を背負った父がお風呂屋さんで教えてくれた「商いの心得」

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致知の人気連載だった「三百年続く老舗の訓え」。多くの老舗の訓えを紹介してきたなかで、今回のメルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、京都の地で三百年以上にわたり麩屋を営んできた半兵衛麩の玉置辰次氏のお話を紹介しています。

三百年続く老舗の訓え。麩屋を営んできた半兵衛麩、玉置辰次氏のお話

以前、『致知』で連載されていた「三百年続く老舗の訓え」。

歴史の荒波を乗り越え、今日まで守られてきた訓えを紹介する連載で読者の皆様から好評を博していました。

石田梅岩の訓えを商いの根幹に据え、京都の地で三百年以上にわたり麩屋を営んできた半兵衛麩の玉置辰次氏のお話をご紹介します。(『致知』2009年10月号より)

脈々と息づく石田梅岩の訓え

幼い頃、父と一緒に行った近所の風呂屋で、こんな話をしてもらったことがありました。

「新しい手拭いで顔を洗ったら気持ちええやろ。

でも汚れて薄くなったからと言って、すぐに捨てたらあかん。

折り畳んで縫えば、雑巾になる。

その雑巾がボロボロになったら、干して機械の油拭きにすればいい。

その油拭きは火にくべるとよく燃えるから、風呂を焚く時に使えばいい。

そこまで使い切って、やっとお終いや。

だから新品を下ろす時には、ほんまにいま、それを下ろさんとあかんのかをよぉく考えなさい。

新品を下ろす時が『始まり』で、捨てる時が『終わり(末)』。

だから『始末』と言うのや。

この始末をしっかりするかせんかで、大きな違いが出てくる」

この時は洗い場の曇った鏡に指で、ある時は火鉢の灰に火箸で字を書くなど、父はその時、その場に応じた分かりやすい例え話を用いながら、商いの心得を聞かせてくれたのでした。

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