4月半ばに朝鮮中央テレビで発表されるや世界各国で「大バズリ」となった、北朝鮮の金正恩総書記を称えるプロパガンダソング。しかしその歌詞は総書記を「金正恩」と呼び捨てにした上に連呼するという、これまでの北朝鮮では考え難いものでした。このような曲が作られた背景には、どのような思惑があるのでしょうか。今回のメルマガ『宮塚利雄の朝鮮半島ゼミ「中朝国境から朝鮮半島を管見する!」』では宮塚コリア研究所で専門研究員を務める新井田実志さんが、このプロパガンダソングの歌詞やMVを分析しつつ、いかなる理由で制作されたのかについて考察。さらに実際に曲を聞いた北朝鮮人民の感想を伝えた記事内容を紹介しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:新曲に垣間見る“フランクな個人崇拝”
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北朝鮮の最新プロパガンダソングに垣間見る“フランクな個人崇拝”
4月17日に朝鮮中央テレビでお披露目された、北朝鮮の最新プロパガンダソングが注目を集めている。『親しい父母』『親愛なる父』等々、題名の日本語訳は紹介者によってまちまちだが、ここでは直訳して『親近なるオボイ』としておく。「オボイ」は朝鮮語で「親」の意味だが、北朝鮮においては父母ではなく領導者、具体的には金日成を指し示す表現であった。しかし近年は「首領」呼称と同様、金正恩の代名詞として「オボイ」が用いられるようになっている。
既に耳にした読者の方も多いだろうが、以下、『親近なるオボイ』の1番の歌詞を書き連ねてみる(訳は筆者)。
母の懐のように暖かく
父の懐のように慈愛深い
膝下の千万子息 胸に抱き
情を尽くして見守ってくださる
歌おう 金正恩 偉大な領導者
誇ろう 金正恩 親近なるオボイ
人民は一心信じ従うよ
親近なるオボイ
この曲の音楽編集物(ミュージックビデオ、MV)はYouTubeやTikTokなどで海外にも広まり、一部のネットユーザーの間で“バズって”いるという。諸外国におけるネット上の評判として、ABBAやテイラー・スウィフトと比較するような言説も見受けられるが、(北朝鮮のプロパガンダソングとしては)歌詞にもメロディーにもこれと言った特徴はない。一部では「金正恩」という尊名を呼び捨てにしている、といった驚きの声があるものの、先代の金正日にも同じような“呼び捨て”ソングがあった。題名は『親近なる名前』、比較すると歌詞もよく似ている。
母という言葉のように多情(優しい)で
師匠という言葉のように親近な
喜びの中にその名前呼ぶ時
胸の中に燦々たる陽が昇る
歌おう 金正日 我々の指導者
誇ろう 金正日 親近なる名前
この『親近なる名前』は、2021年の光明星節の記念公演で金正恩自らが二度もアンコールさせた曲である。よほどお気に入りだったのだろう。そして、“俺バージョン”のアンサーソング(?)として作らせたのが今回の「親近なるオボイ」だったに違いない。
金正恩は『親近なる名前』のどの点が気に入ったのか。メロディーも歌詞全般もやはり特徴はない。強いて挙げるなら、“俺バージョン”のサビの部分にそっくり取り入れていることからして、やはり『歌おう金正日』『誇ろう金正日』という敬称抜きの表現であろう。先代、先々代とは異なるフランクなスタイルこそ金正恩流の個人崇拝なのである。
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過去のプロパガンダソングとの大きな違いはMVである。朝鮮中央テレビでは番組の合間にMVを放映しているが、それらの映像は基本的に使い回しである。特定のMV専用に映像が撮影されるのは異例で、しかも『親近なるオボイ』の場合はそれが全編にわたっている。
歌手が曲に合わせて“口パク”で歌い踊ったり、レコーディングの様子が映し出されたりする、諸外国のMVなら普通のことがまず珍しい。そして各階層の人民たちがやはり口パクで歌いながら登場し、あるいは金正恩お気に入りのサムズアップ(親指を上げるジェスチャー)を見せている。その中には朝鮮中央テレビの放送員たちもいて、かの李春姫までもが満面の笑顔でサムズアップする。更に、海軍兵士たちが登場する場面において、中央で曲を口ずさんでいるのは何と海軍司令官の金明植なのだ。
北朝鮮のMVとしては目新しい映像だらけだが、サビでは金正恩の記録映像や写真が挿入され、最後には、公式の場ではほとんど掲げられていない金正恩の肖像画が白頭山天池を背景に映し出される。幸福に満ち溢れた人民、それをもたらす慈悲深い領導者…実にわかりやすいプロパガンダである。ここで「偉大な領導者金正恩同志」云々と崇め奉ったのでは盛り上がらない。「金正恩」をキャッチーに繰り返した方が“俺たちの首領”という親近感が増す。従って、「親近なるオボイ」は“フランクな個人崇拝”を醸成しようというイメージ政治の一環として創作されたものに相違ない。
もっとも、この曲を見聞きした人民の感想はやはりというべきか、「この歌の歌詞をはじめ、歌画面に出てくる映像が実状とはあまりにも違うと背を向けて苦笑している」(韓国「Daily NK」4月25日)。“呼び捨て”の歌詞が、陰で体制批判の替え歌になる日は遠くないのかもしれない。
(宮塚コリア研究所 専門研究員 新井田実志)
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image by: 朝鮮労働党機関紙『労働新聞』公式サイト