カーネル・サンダースといえば、日本でも有名なケンタッキー・フライドチキンの創業者。今でも多くのファンを持つファストフード店ですが、カーネル・サンダース自身の人生はその創業に至るまで決して平坦ではありませんでした。時代小説の名手として知られ『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ」』の著者である作家の早見俊さんが、これから2回にわたって彼の人生を詳しく紹介します。
カーネル・サンダースの人生逆転物語
私の世代にはカーネル・サンダースと聞くとカーネル・サンダースの呪いが思い出されます。
1985年、阪神タイガースが二十一年ぶりに優勝した際、歓喜した阪神ファンは大阪の道頓堀川にダイブ、勢い余ってケンタッキーフライドチキンの店先に飾られたカーネル・サンダースの人形を道頓堀川に投げ捨ててしまいました。当時の道頓堀川は汚染が激しくヘドロが堆積しており、サンダースの人形は行方不明、サンダースに呪われ阪神は優勝から遠ざかった、何とも大阪らしいジョークです。
また、それくらいサンダースは日本人にも親しみを抱かせるキャラクターだったのです。白髪に白い髭、黒縁の眼鏡、上下白のスーツ、好々爺然としたおじさんは見知らぬケンタッキーという土地にも親近感を抱かせてくれたのです。
大変に親しみやすいキャラクターですが、サンダースの生涯は決して平坦ではありませんでした。転職、倒産、離婚、人生の辛酸を舐め、挫折どころか死を選んでも無理からぬ体験が目白押しです。
そんなサンダースがいかにしてカーネルおじさんへと変貌したのでしょうか、いかに人生を逆転させたのでしょうか。
まずは、彼の生涯を振り返ります。
カーネル・サンダースことハーランド・デーヴィット・サンダースは1890年、意外にもケンタッキー州の生まれではなく、インデイアナ州クラーク郡のヘンリービルに生まれました。六歳で父親を亡くし、貧しかった家庭を支えるため十歳から農場で働きます。十四歳になると学校を退学し、農場、市電の車掌を皮切りに、働きに働きます。一年程の軍役を経験し、四十以上の職を転々としました。ちなみに、カーネルとは陸軍大佐を意味しますが、もちろん彼は大佐には昇級せず、兵卒で除隊しています。
四十に余る職業は鉄道のボイラー係、保険の外交員、商工会議所の事務員、タイヤの営業等々、実に多岐に渡っています。職種も職工、営業、事務、雑用など、何でもござれです。終身雇用とは無縁、転職は当たり前のアメリカにあっても、四十以上は珍しいでしょう。また、アメリカで転職が行われるのは、転職によってキャリアアップ、はっきり言えばサラリーアップを狙ってのことです。従って、同じ業界、同じ職種から、顧客や取引先を持って次の会社に移るのが普通ですから、同じ業界内の転職をするのが当たり前です。
対してサンダースは業種も職種同様に多彩です。家族を養うためだけなら、安定した仕事を続けるものです。サンダースの転職には生活のためだけではない、求道的なものを感じます。彼は自分に問いかけていたのではないでしょうか。これが自分の仕事なのか、一生を費やして行うべき仕事なのか、と。決してサンダースは飽きっぽいとか、職場に馴染めないトラブルメーカーであったわけではないでしょう。
四十もの転職を繰り返した後、ついに全身全霊で打ち込める仕事が巡ってきます。タイヤのセールスをしていた時に知り合った石油会社の支配人から、ガソリンスタンドの経営を勧められたのです。もし、彼が給料目当てのいい加減な仕事ぶりであったならそんな声はかからなかったでしょう。
サンダースはガソリンスタンドの経営者として独立しました。ガソリン給油の他、サービスとして窓ガラスの清掃、ラジエイターの水、タイヤの空気圧の点検を実施し、ケンタッキー州で評判の店となります。四十以上の転職によって培われた客のニーズ把握とサービス精神が結実したのです。
しかし、せっかくの成功も1929年のニューヨーク株式市場の大暴落に端を発する世界恐慌の波に押し流されてしまいます。当初、彼は地元農家のためにガソリンを後払い売っていました。ところが、悪いことは重なるもので、恐慌に加えて大干ばつが襲いかかったのです。これにより、農家も倒産が相次ぎ、サンダースのガソリンスタンドも潰れてしまいました。
それでも、お客本意の彼のガソリンスタンド経営は高い評価を受け、シェル石油からガソリンスタンド経営を持ちかけられました。
サンダースは喜び勇んで新たなガソリンスタンドの経営を行います。以前にも増した工夫を彼は凝らしました。過去の成功体験に満足しないのが彼の信条なのかもしれません。ガソリンスタンドの敷地内にカフェレストランを建てたのです。
料理はサンダースが作りました。これが評判を呼び、道路を挟んだ土地を譲られ、カフェレストランを移しました。ガソリンスタンド、カフェレストラン共に以前にも増して大評判となり、サンダースはケンタッキー州の知事から州の料理への貢献が認められ、「ケンタッキー・カーネル」の称号を送られました。
時にサンダース四十五歳でした。二年後にはガソリンスタンドの裏手にモーテルを開業、四十以上の転職の苦労が実り、実業家として成功を納めた……、と、これだけでも立派なサクセスストーリーです。
しかし、カーネル・サンダースの人生はこれからも激動します。というか、これからがカーネル・サンダースの逆転人生がスタートするのです。(次回につづく)
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