過激すぎる演出が物議を醸したパリオリンピック開会式(7月27日)と、大相撲名古屋場所 横綱・照ノ富士の優勝パレードでオープンカー中央にちゃっかり座った萩生田光一衆議院議員(7月28日)。いずれも世間から大いに批判を浴びているが、より「恥知らず」なのはどちらだろうか。米国在住作家の冷泉彰彦氏がそれぞれの本質をみていく。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より)
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:パリ五輪の開会式、真面目に受け取る必要はなし | 裏金議員の恥じない理由
どうせこういうのが好きなんでしょ?五輪で透けた仏の本音
パリ五輪の開会式で、大胆な演出が話題になっています。
宗教タブーへの挑戦や、革命の血塗られた歴史の紹介など、確かに大胆といえば大胆でした。
また、メインスタジアムを行進する選手入場をスパッと切り捨てた演出は、既成概念の捨て方のいいお手本とも言えるでしょう。
ですが、あの演出をあまり大真面目に受け取るのも問題だと思います。というのは、演出の中には「国際市場へのサービス」が満載だったからです。
もっといえば、「アメリカ人などが喜ぶような演出」に徹底しよう、どうせ「五輪なんてそんなもの」という「ナメた」姿勢が顕著でした。
フランスの奇抜演出は確信犯、真面目に受け取る必要なし
例えば主要なタレントの起用ですが、レディー・ガガにセリーヌ・ディオンというのは、フランス的には「全くやる気なし」ということだと思います。
北米などの視聴率が取れればそれで「仕事としてはおしまい」ということで、観光客向けの「おざなりセットメニュー」でごまかしたとしか言いようがありません。
この「おざなり」ということでは、ほぼ決定的な証拠があります。それは、ミュージカル『レ・ミゼラブル』の楽曲が使われていた点です。
この作品、原作はユーゴーですし、楽曲も基本的にはフランス人のシェーンブルが書いています。ですが、ヒットしたのは英語版であり、大受けしたのは英語圏ですから、フランス人にはそんなに愛着はないはずです。
近年はフランス語版の再演の動きもあるにはあるのですが、五輪の晴れ舞台でこの音楽を使うというのは、やはり英米向けという感じです。
そんなわけで、本物のフランス文化の精髄を見せるという気はサラサラなく、内容的にはそんなに真剣に作ってはいなかったように思います。
あまり大真面目なリアクションは不要と思う次第です。
萩生田氏は「居直っている」のではなく本当に「罪の意識がない」