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明治天皇から「いいかげんにせよ」と叱られた、初代内閣総理大臣・伊藤博文の行き過ぎた“芸妓遊び”

新札も発行され、首相の顔も変わりました。さて、お札といえば昭和の頃の1000札は誰の肖像画が描かれていたか覚えていますか? 時代小説の名手として知られる作家の早見俊さんが今回、自身のメルマガ『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ」』の中で紹介するのは、かつての1000円札の顔で日本の初代内閣総理大臣、伊藤博文の意外な一面について。こんなこと、学校の教科書では教えてくれませんよ。

好色宰相 伊藤博文

自民党新総裁、新総理が決まりましたね。

最近ではあまり使われなくなりましたが政界を批判する言葉に、「料亭政治」があります。赤坂や新橋、神楽坂の高級料亭で夜毎政治家達が談合を重ね、談合によって政治、政局が動くことを批判する意味で使用されていました。

料亭が政治家達によって談合の場に好まれるのは密室性に加えて、お座敷を彩る華やかな芸妓の存在でしょう。

日本史上、芸妓をこよなく愛した代表的政治家に初代内閣総理大臣伊藤博文が挙げられます。伊藤自身が、「自分は蓄財とか豪邸には興味はない。ただ、公務の合間に行う芸妓遊びが楽しみだ」と言っていた程です。

明治時代、伊藤に限らず、芸妓遊びを好んだ政治家は大勢おり、芸妓を妾に囲うことも珍しくはありませんでした。芸妓遊び、芸妓に限らず妾を囲うことは男の甲斐性と思われていた時代です。

もっとも、誉められたことではなく、当時の新聞も政治家達と芸妓の醜聞を批判的に、あるいは面白可笑しく書き立てました。そんな明治時代にあっても、伊藤の芸妓遊びは突出していたのです。

何しろ、明治天皇から、「いいかげんにせよ」と叱責を受けた程です。現在であれば、週刊誌やワイドショーをさぞかし賑わせているでしょう。

伊藤の私邸は大磯にありました。夫人が守る私邸に大勢の芸妓を頻繁に連れ帰りました。伊藤夫人梅子も山口県下関の芸妓出身とあって、不満を言い立てるどころか、芸妓達の世話をしていたそうです。

当然、お座敷遊びは東京に限りません。大阪に行くと、大阪中の花柳界から芸妓を集め、好みの芸妓と夜の生活を満喫しました。羨ましい限りだ、と思う読者もいるでしょう。

選り取り見取りで、いかにも権力に物を言わせた好色政治家を思わせますが、伊藤は決して彼女らをぞんざいには扱わず、きめ細やかな応対をしています。ある新橋の芸妓、床上手ですが、おねしょ癖があったそうです。伊藤は嫌な顔をせず、夜中、お漏らしをしないよう便所へ連れて行ったとのこと。

天下の宰相が寝小便しないように世話をしてやる。何ともユーモラスな光景ですね。筆者が子供の頃、千円札の肖像は伊藤博文でした。千円札の威厳たっぷりの顔の裏にある伊藤の素顔を窺わせるエピソードです。

image by:Eclipse2009, Public domain, via Wikimedia Commons

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【著者】 早見俊 【発行周期】 週刊

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