「Do They Know it’s Christmas?」という1984年の曲がいまだに訴え続ける現実

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バンド・エイドというチャリティー企画による「Do They Know it’s Christmas?」というクリスマスソングをご存じでしょうか。1984年に発表されたその曲が今でも、この時期に私たちの心に訴えかけてくる理由とは? 今回のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』では生きづらさを抱える人たちの支援に取り組むジャーナリストの引地達也さんが、その曲が伝えたかったことを語っています。

彼・彼女らはクリスマスを知っているのかい?

宗教的啓示を受けるとは、体験にほかならず、心を揺さぶられ、そこに君臨する神の存在を覚知することと考えたとき、クリスマスはキリスト教にとって奇跡を分かち合う、そして新たに奇跡の物語に触れ、啓示を受ける季節、時間である。

クリスマスのミサを終えながら、その啓示の時間を共有した後、平和がここまで崩壊した社会で「ハレルヤ」は何の意味を持つのだろう、と考えてみる。

ハマスによるイスラエルへの奇襲攻撃から混迷が始まった(むろん、問題はそれ以前からあり、根深く長いことは知った上で、あえてこう区切りたい)イスラエルを中心とした攻撃行動の拡大は、クリスマスの恵みからは遠く離れた地獄絵図が益々悲惨に書き換えられていくだけの日々のようで、そこから遠い私たちはなすすべもないままだ。

教会の壇上の牧師、聖堂の演台での司祭は「祈りましょう」と呼びかける。

それは、信仰を生きる人からの大事な導きである。

祈る、という神聖な行為を誰も汚すことはできない。

静かに首を垂れて祈る行為は、欲張った心が霧散し、無垢なる気持ちになれる瞬間だ。

日本の中世社会で異質な宗教を迫害し、その信じる心を持っているが故に、迫害され、蹂躙された上に命を奪われる歴史は、信じる者の苦悩を際立たせ、そして強化する。

迫害の上で命を落とした事実を信者の間で殉教と呼ぶのは信じる者の崇高な思いへの敬意が含まれている。

ゴルゴダの丘で十字架を自らが背負い、そして手のひらにくぎを打ちつけられて、はりつけにされたイエス・キリストは世界のすべての嘆きと悲しみを背負う象徴として描かれ、メディア化し、クリスマスという恵みの物語の結果として思いを馳せることになる。

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