石破政権誕生で崩壊した「新55年体制」。夏の都議選と参院選を前に振り返る政権交代への条件とは

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2025年の夏は、東京都議会議員選挙と参議院選挙が同時に行われます。少数与党で勝利を掴んだ石破政権の行方が注目されていることでしょう。今回のメルマガ『有田芳生の「酔醒漫録」』の著者である有田さんが、今年の選挙を前に、少数与党の石破政権誕生で崩壊してしまった「新55年体制」についてや、野党が振り返るべき過去の失敗、ジェラルド・カーティスが鳩山議員に送った3つのアドバイスなど、日本政治のリアルをお話してくれています。

※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:「新55年体制」の終焉と政党の責任 政権交代への条件

少数与党の誕生で崩壊した「新55年体制」

1955年に保守合同で自民党が、社会党が再統一し、与野党の2大政党が日本政治を主要に構成するようになり、これを「55年体制」と呼んだ。政治学者の升味準之輔が書いた『1955年の政治体制』(『思想』1964年4月号)が命名の根拠となった。

長く続いたこの体制は、1993年の総選挙で自民党が分裂、社会党が大敗したことにより細川護熙政権が誕生することで崩壊する。その後の紆余曲折があるが、民主党政権の誕生(2009年)と崩壊(2013年)からいままで、自民党・公明党の与党と、民主党、民進党、立憲民主党を主体とする野党第一党の政治構図を「新55年体制」と評価するならば、2024年総選挙で少数与党が誕生したことによって、この体制も崩壊したと見ることができる。

端的に言って与党と野党第一党が対峙する構図ではなく、衆議院の議席数において実体的に多党制時代に入ったのだ。立憲民主党は、民主党政権(小政党の国民新党や社民党との連立)時代とは異なり、政権交代を実現するなら、主体とはなっても、相対的に比重は低下する可能性(中政党との連立)がある。

野党が民主党政権時代の失敗を振り返るべき理由

もっとも政治は流動的であり、石破茂総理が来春に予算案が否決された場合には「衆参同日選挙」もありうると12月28日に発言したように、政党間勢力図の先行きは不透明なまま新しい年に入っていく。実施が決まっている参議院選挙前に行われる都議選で自民党は大敗する可能性が高いから、「同日選挙」は現実的には厳しい。ただし現下の政局にあって政権交代は現実的課題になりうる。

野党は政権交代を展望して民主党政権時代の失敗を真摯に振り返らなければならない。とくに官僚との関係だ。24年総選挙が終わってからのことだ。立憲民主党の安保外交に関する部門会議でのことだ。ベテランの国会議員が官僚を怒鳴りつける場面を見て新人議員は驚いた。まれなことではない。

民主党政権時代から法務部門会議や文教科学部門会議で、国会議員が罵り続け、官僚が心身の病を発したこともある。パワハラはいまだ常態化している。批判や指摘と罵倒は自ずから次元が違う。

官僚の能力は高く、国会議員が及ばないことも多い。その能力を政治に活かすことが議員の仕事だろう。もっとも官僚は省益を基本として都合の悪いことを隠す、あるいは専門知識を駆使して誤魔化すことも多い。そこを見破り前向きに解決をめざすことこそ国会議員に問われる資質だ。

民主党政権時代のある大臣が官僚たちから嫌われ、退任のときに見送りさえ拒まれたケースは象徴的だ。それが人間的資質のレベル問題だとすれば改善はなんとも心許ないが、政権交代をめざす政党と議員たちは、民主党政権時代の失敗を思い返さなければならない。

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