トランプ政権がスタートし、「多様な社会」の象徴であったアメリカがなくなってしまうかもしれないと感じた…。そう語るのは、生きづらさを抱える人たちの支援に取り組むジャーナリストの引地達也さん。引地さんは、自身が発行するメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の中で、自らのアメリカへの憧憬を探しながら1960年代のアメリカのバンド音楽について思うことを綴っています。
それは哀愁のメロディーなのか─米国のサンシャイン・ポップと今
トランプ大統領の米国が始まった。
就任日に発せられた大量の大統領令、就任式やダボス会議での演説、それらで表現された「偉大な米国」。パリ条約の脱退、石油ガス開発の再開や違法移民の送還等、多くのものは予想されていたとはいえ、そこには、これまで信頼と寛容の上で成り立ってきた秩序の否定も含まれる。
特にリベラル政策と位置付けられたDIE政策の終了は、積み上げてきた国際協調はもとより、米国という国が築き上げた「多様な社会」の在り方を大転換するようで、世界が憧れたあの米国ではなくなる、のだろうか、との失望が先立つ。
米国への憧憬の行き場を探す私は、仕事をしながら流す1960~70年代の米国の「バンド」音楽に宿っていた斬新さ、多様さ、粗っぽさ、無邪気さ、に思いを寄せている。
その音楽、「サンシャイン・ポップ」ともいわれる楽曲が持ち合わせていた寛容さや包容力は今後、どんな響きとなって米国社会に、そして世界に伝わっていくのだろうか。
スパンキー・アンド・アワ・ギャング(Spanky & Our Gang)、男女混合のグループはコーラスで展開される曲調はフォークであり、ポップ。
彼らのレコードジャケットや衣装がそうであるように、カラフルな色彩を伴い、気持ちを高揚させてくれる。
「Sunday Will Never Be The Same」(邦題:想い出の日曜日)、「ウィザウト・ライム・オア・リーズン」(邦題:Without Rhyme Or Reason)が米国でのヒット曲だが、日本での知名度はいま一つ。
同じようにサンシャイン・ポップそのものの印象で、輝く太陽に向かって飛んでいけるような元気を与えてくれるのがフィフィス・デメンション(The Fifth Dimension)。
特に「アップ・アップ・アンド・アウエイ」(Up, Up and away)の「美しい気球に乗りませんか」と始まって、空に高く高く上がっていく、とのフレーズは、今も色あせない。
アソシエイション(Association)の「Never My Love」(邦題:かなわぬ恋)は悲しいバラードだが、どこか明るい陽射しが見える。
ブレッド(Bread)の「ディスマル・デイ」(Dismal Day)、「ロンドン・ブリッジ」(London Bridge)での優しく語りかけるような声、ハーパース・ビザール(Harpers Bizarre)の「チャタヌーガ・チュー・チュー」(Chattanooga Choo Choo)が演出する汽車の汽笛。
どちらもカルフォルニアから出発したバンドで、楽曲には自由な風と旅立ちの爽快さを感じる。
現状の米国の閉そく感を思うと、懐かしい。
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