精神科医・評論家・映画監督・小説家など多くの肩書きを持つ著者が、先入観にとらわれない思考で日本の現在を斬るメルマガ『和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」』。その2025年2月22日号から、SNS選挙の隆盛によって重要性を増している「法の支配」と、森永卓郎さん死去であらためて注目を集める「がん治療のあるべき姿」について和田さんの「本音」をご紹介します。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:法の支配
不合理な法律は「破る」のではなく「変える」もの
兵庫県の斉藤知事に続いて、都知事選で善戦した石丸伸二氏もSNSの配信業者にお金を払っていたということで、公選法違反として告発され、記者会見を行っている。
確かにオールドメディアの広告業者に金を払うのは合法で、SNS配信業者に金を払うのは非合法というのは納得がいかないが、たとえば知事とか市長とかいう地位にいた人間なのだから、法律を知らないで済ませるというのもどうかと思う。
いろいろな行為について、法律の専門家に意見を聞いた上でやるのが当然のことだと思うし、法律を作る側になろうとする(ただし、知事は法律は作れないが)のであれば、やはり現行の法律は守った上で、自分たちの力で、その不合理な法律を変えていくというのが筋だろう。
校則が気に入らないような場合、気に入らないから守らないというのはやはり筋違いだ。その校則がない学校に行くか、その学校で校則を変えてもらうように運動をするというのがデュープロセスだ。
そういう意味では、法律家が雇えないような人が選挙に出られない理不尽を感じないわけではないが、やはり気に入らないから、時代遅れだと言って法を守らないのは、法治国家であっていいとは私は思わない。
そのために国会があって、変えていく努力をすべきなのだ。
本当は怖い「警察の黙認」
この国は、守れないような法を作って、非合法黙認が多すぎるがこれは危険なことだ。警察のさじ加減で、捕まえるかどうかを決めることができるのであれば、どんどん警察権力が肥大化してしまう。
わざと30キロ制限の道を作って気に入らないやつだけを捕まえるようなものだ。法律を作る以上、市民が守る気になるものを作るべきだろう。
あるいは、パチンコの景品交換のように、明らかに法に触れるのに警察が捕まえないから合法になっているのもおかしい。
やはり立法府というのは、まずい法律を変える場だと言うことを政治家も市民も知るべきだ。
選挙で勝っても罪は消えない
あと、選挙で当選したからと言って、法律違反がなしになるというのもおかしい。
田中角栄以降、いろいろな犯罪行為で捕まった政治家がいるし、小渕優子のように公職選挙法違反で捕まったわけではないが引責辞任をした人間も、選挙では圧倒的に強かったから何度も再選を果たしている。
だからといって罪が消えるわけではない。
小渕氏の場合は、有権者にワインを配るなど、今回のSNS業者に金を払うのとは違って誰でもわかる選挙違反をしているのだ。
もう一つ気になるのは、斉藤知事の場合だって、パワハラがあったかどうかと選挙で当選したことは別次元の問題だ。
選挙に強ければ法律を犯してもいいという発想はどうかしている。
彼の場合、勝ったとたんに正しかったような話になり、それを追求していた人たちはものすごいバッシングを受け、自殺者まで出している。
バッシングを斉藤氏が命じたわけではないとしても、百条委員会の活動が、選挙が終わった途端になしになるのはどうかしている。そんなことをするからSNSの人間が増長するのだと言うこともわかったほうがいい。