「もはやオワコン」と言われて久しい日本のテレビメディア。しかし長く栄華を極めたかに見えるこの業界は、放送開始当初から終わりゆく運命を抱えていたと言っても過言ではないようです。今回のメルマガ『ジャーナリスト伊東 森の新しい社会をデザインするニュースレター(有料版)』では著者の伊東森さんが、我が国のテレビ界が抱える3つの大きな問題と、各々を招いた要因を詳しく解説。その上で、日本の大手マスコミが「マスゴミ」と蔑まれるのも致し方ないと結論づけています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:フジ・中居問題が暴いた“テレビの病” 無料視聴100チャンネルのアメリカ、日本は“情報鎖国”状態 テレビの本質 受像機開発先行で当初から革新性を欠く
何が日本のテレビをダメにしたのか。フジ・中居問題が暴いた“テレビの病”
フジテレビと中居正広を巡る問題は、テレビ局が抱える構造的な課題を浮き彫りにした。特に、フジテレビがスキャンダル発覚後も適切な対応を取らず、スポンサーからの信頼を失ったことは、広告収入に依存するビジネスモデルの脆弱性を明確に示している。
この問題の背景には、視聴率至上主義やキャスティング偏重の運営といった旧態依然とした方針がある。視聴者の関心を引くためにセンセーショナルな内容が優先され、情報の質や倫理的配慮が二の次にされる傾向が続いてきた。さらに、日本のテレビ業界は競争が限られており、アメリカのように多様なチャンネルが視聴できる環境とは大きく異なる。
例えば、アメリカでは無料で最大で100以上のチャンネルが視聴でき、各局が視聴者のニーズに応じた多様な番組を編成する。一方、日本では地上波放送が限られた企業による寡占状態にあり、視聴者の選択肢が乏しい。この競争不足は、コンテンツの革新性や視聴者のニーズへの対応力を低下させる大きな要因となっている。
さらに、広告収入への過度な依存も問題だ。スポンサー企業からの圧力によって番組内容が左右されるリスクが高まり、結果的に独自性のある報道や挑戦的な企画が減少してしまう。
▽諸外国のテレビ視聴環境比較
- アメリカ
アメリカでは地域によって異なるが、地上波テレビ局(Broadcast Television)を無料で視聴することが可能、これには主要なネットワークにはCBS、NBC、ABCの3大ネットワークが含まれる。さらに、ケーブルテレビの普及により、100チャンネル以上の視聴環境が一般的。全米にはフルパワー(最大出力)のテレビ局が1,700局以上存する。 - 中国
中国では無料放送チャンネル数が100以上あるものの、実際に受信可能なチャンネルは約50程度。それでも、日本と比較して非常に多くの選択肢が提供されている。 - 欧州
欧州では衛星放送やケーブルテレビの発展により、多様な国際的コンテンツへのアクセスが可能。例えば、イギリスではパラボラアンテナを利用することで100以上のチャンネルを視聴できる環境が整っている。また、EU全体では政策的に国境を越えた放送サービスが促進されており、多言語・多文化的なコンテンツが提供されている。 - 日本
日本では主要都市で地上波無料放送が7チャンネル程度視聴可能。これは一部の国と比較すると多いものの、アメリカや中国などと比べると選択肢が限られている。また、ケーブルテレビ加入率は約50%であり、多チャンネル環境は一部世帯に限定。
■記事のポイント
- 日本のテレビ業界は視聴率至上主義・広告依存・県域放送制度により情報の多様性が欠如している。
- テレビ開発の歴史においては、技術開発がコンテンツより先行、結果、創造性より保守性が優先される構造がビジネスモデルの脆弱さを生んでいる。
- 日本のチャンネル数は、欧米諸国と比較して選択肢が少なく、視聴者は情報の偏りや独占に晒されやすい状況にある。
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テレビ最大の欠点を招いた「受像機開発の先行」という構造
テレビ技術の発展において最も特徴的だったのは、放送コンテンツよりも受像機開発が先行した点である。この構造は、テレビ局にとって最大の欠点ともなった。
とくに1923年に高柳健次郎が「無線遠視法」を提唱し、1926年にはブラウン管を用いた「イ」の文字の送受信に成功したことからも分かるように、日本のテレビ開発も当初から受信技術の確立を最優先していた(*1)。
これはラジオの発展パターンとは対照的である。ラジオの場合、フェッセンデンによる1900年の音声伝送実験から1920年代の商業放送開始まで、送信技術と受信機開発が並行して進んでいた(*2)。
テレビ技術の先行開発が招いた根本的な課題は、コンテンツ価値の創造が常に後追いになったことである。1953年の日本初のテレビ放送開始時には、すでに受像機の量産体制が整っていたが、放送コンテンツはラジオ番組の延長線上にとどまっていた。この構造的な歪みが、広告収入依存型のビジネスモデルを固定化させる要因となった。
さらに、日本では1959年に導入された県域免許制によって、地域独占の市場構造が生まれた。これにより競争が阻害され、アメリカの100チャンネル以上の無料放送環境とは対照的な市場の閉塞性(へいそくせい)を生み出した。
▽テレビの歴史
- 1873年:イギリスでテレビジョンの開発が始まる。明暗を電気の強弱に変えて遠方に伝える装置が考案
- 1884年:ドイツのパウル・ニプコウが「ニプコー円板」を発明し、直列式の機械式走査を実現
- 1897年:ドイツのフェルディナント・ブラウンが陰極線管(ブラウン管)を発明
- 1907年:ロシアのボリス・ロージングがブラウン管を用いたテレビ受像機を考案し特許出願
- 1911年:ロージングがブラウン管を用いたテレビの送受信実験を公開
- 1923年:日本の高柳健次郎が電子式走査方式の研究を開始
- 1925年:スコットランドのジョン・ロジー・ベアードが機械式テレビジョンを開発し、人間の顔の送受信に成功
- 1926年:高柳健次郎がブラウン管による電送・受像に成功し、「イ」の字を表示
- 1928年:アメリカでテレビ実験放送が開始
- 1929年:イギリスのBBCがテレビ実験放送を開始
- 1936年:ドイツでベルリンオリンピックのテレビ中継が行われる
- 1953年:日本でNHKが初のテレビ放送を開始
- 1955年:日本で民放局が登場し、ラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)が放送を開始
- 1960年:日本でカラー放送が開始
- 1984年:日本で高品位テレビ(MUSE)が開発
- 1990年代:ハイビジョン対応の受像機が商品化され、放送のデジタル化が進展
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常態化した「広告主の意向ありき」という本末転倒
テレビの歴史を振り返ると、まず受像機の技術開発が先行し、それに続く形で放送コンテンツが整備されてきた。この順序は、テレビというメディアが当初から「何を伝えるか」より「どう映すか」が重視されていたことを示しており、ひいてはテレビ自体が“ブルシット・ジョブ”的性格を帯びていたのではないかという疑問を投げかける。
デヴィッド・グレーバーが提唱した「ブルシット・ジョブ」理論では、「社会的に必要とされていないうえに、従事者自身もその無意味さを感じている仕事」が現代社会に蔓延しているとされる。広告業界や企業内の管理職、官僚的な仕事がその典型例とされるが(*3)、メディア業界もまたその例外ではない。
かつては、質の高いコンテンツが視聴者を惹きつけ、その結果として広告がつくという構造が常識だった。しかし現在のテレビ業界では、まず広告主の意向があり、その枠組みに沿って番組が制作されるという「本末転倒」の状態が常態化している。
この逆転構造の背景には、テレビ局の収益の大半が広告収入に依存しているという経済的事情がある。視聴者の満足よりも、広告主の機嫌を取ることが優先される体制は、番組内容の硬直化と多様性の欠如を招いている。
結果として、番組企画は広告主の審査基準に合わせて最適化され、創造性よりも保守性が優先される。
▽デヴィッド・グレーバーが提唱した「ブルシット・ジョブ」理論
- 定義:被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完全に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態
- 特徴:雇用条件の一環として、本人はその仕事が無意味ではないと取り繕わなければならないと感じている
- 5つの分類:
取り巻き:誰かを偉そうに見せるためだけに存在する仕事
脅し屋:他者を脅かすが、雇用主に完全に依存している仕事
尻拭い:組織の欠陥を埋めるためだけに存在する仕事
書類穴埋め人:誰も真剣に読まない書類を作成する仕事
タスクマスター:他人への仕事の割り当てだけを行う仕事
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全国規模での情報の多様性を制限する県域放送制度
日本のテレビ放送システムの致命的弱点は選択肢のなさだ。具体的に言えば、諸外国と比較して著しく制限された状況にあり、これが日本のメディア環境における重大な弱点となっている。アメリカでは一部地域では最大で無料で100チャンネル以上、中国でも50チャンネル以上のテレビ放送を視聴できるのに対し、日本では地上波放送の選択肢が極めて限られている。
欧州についても、1980年代より衛星放送やケーブルテレビの発展により、国境を越えた多様な放送が実現していた。
日本の放送制度の特徴として、県域放送という概念がある。これは、各都道府県ごとに異なる放送局が存在し、それぞれの地域に特化したコンテンツを提供するシステムだ。この制度は地域の文化や情報を守るという観点からは一定の意義はあるものの、同時に全国規模での情報の多様性を制限する要因にもなっている。
結果として、日本の視聴者は限られたチャンネル数と情報源に依存せざるを得ない状況に置かれている(*4)。
結論として、そもそも欧米諸国では、インターネットの普及以前から多チャンネル化に情報化社会が進んでいのだ。他方、日本のメディア環境におけるこの制限は、情報の独占につながる危険性をはらんできた。だからこそ、日本の大手マスコミは「マスゴミ」なのだ。
▽日本のテレビ局における県域放送と放送の多様性の欠如について
- 県域放送は、一つの都道府県の区域または二つの県の区域を併せた区域における需要に応えるための放送制度
- 県域放送制度は、1950年代に電波三法の成立とともに確立され、地域の文化や情報を守る役割を担っている
- しかし、この制度は同時に全国規模での情報の多様性を制限する要因にもなっている
- 結果、日本の視聴者は、諸外国と比較して限られたチャンネル数と情報源に依存せざるを得ない状況にある
- アメリカでは無料で100チャンネル以上、中国でも場合によるが50チャンネル以上のテレビ放送を視聴できるのに対し、日本の主要都市では地上波無料放送が7チャンネル程度に限られている
- 日本の放送局は既にネットワークを前提として存在しており、地方の視聴者目線から見ると、放送局が県域に複数存在することで「多様性」が確保されているとは言い難い状況
- 若年層ほどNHKよりも民放の人気が高いが、一方で民放ローカル番組の評価は芳しくないという調査結果が
- 放送の地域性確保は重要な論点であるが、地域によって放送サービスの実態が様々であることが課題
- 系列ネットワークの枠組みでローカル局経営を救済する制度変更により、これまで別々に放送されていた地域番組を複数放送対象地域で同一化することが認められつつあり、事実上の「県域圏」の「広域圏」化が進んでいる
- この状況は、放送の多様性をさらに制限する可能性があり、視聴者の情報アクセスの選択肢を狭める懸念が
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■引用・参考文献
(*1)吉野章夫「テレビ技術史概要と関連資料調査」国立科学博物館 技術の系統化調査報告 第4集 2004年3月29日
(*2)「ラジオの歴史とラジオCM」ムサシノ広告社
(*3)Christopher Pollard「Revisiting the Spiritual Violence of BS Jobs」SAPIENS 2024年10月15日
(『ジャーナリスト伊東 森の新しい社会をデザインするニュースレター(有料版)』2025年3月23日号より一部抜粋・文中一部敬称略)
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