中居正広フジテレビ問題と同質。日本初の女性アナウンサー“翠川秋子の悲劇”から100年経っても変わらぬ「権力者の男が女性を支配」という構造

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元スマップの中居正広氏を巡る問題で、改めて注目されることとなった女性アナウンサーという存在。そんな彼女たちの先達として、僅かな間ながらも活躍した日本初の女性アナウンサーをご存知でしょうか。今回のメルマガ『ジャーナリスト伊東 森の新しい社会をデザインするニュースレター(有料版)』では著者の伊東森さんが、今を遡ること約100年、現在のNHKに入局するもわずか7ヶ月で退職した翠川秋子氏の生涯を紹介。その上で、翠川氏の悲劇を招いた日本メディア界の変わらぬ「ジェンダー不均衡」の構造を批判的に取り上げています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:NHK放送100年の節目に考える、日本のジェンダー問題…フジ・中居問題が映す“業界の本質” 日本初の女性アナウンサー・翠川秋子の功績と悲劇 女性は消費されるだけ?か

変わらぬ「女性は消費されるだけ」の流れ。日本初の女性アナウンサー・翠川秋子の功績と悲劇

2025年、NHKは放送(ラジオ)開始から100年を迎える。この節目に、日本初の女性アナウンサー・翠川秋子の功績と悲劇に再び光を当てることは重要だ。

彼女は、1925年に東京放送局(現在のNHK)に入局し、家庭向け番組などで活躍した。しかし、男性職員からの反発や職場でのハラスメントに直面、わずか7か月で退職をする。

その後、仕事に恵まれず、1935年に年下の男性と無理心中を遂げるという悲劇的な最期を迎えた。翠川の人生は、日本のメディア業界における女性差別の歴史を象徴するものであり、100年が経った今もなお、女性が職場や社会で直面する問題と多くの共通点を持っている。

そして、2024年末から2025年初めにかけて発覚した中居正広とフジテレビの問題は、現代のメディア業界における女性差別と権力構造の歪みを浮き彫りにした。事件の背景には、長年にわたり業界に根付いた「権力を持つ男性が女性を支配する構造」があり、翠川秋子が直面した差別の本質が、形を変えながらも今なお続いていることを示している。

翠川秋子の悲劇から100年が経過した現在も、日本のメディア業界における女性差別は根深く残り続けている。過去には、女性アナウンサーが“顔採用”され、一定の年齢に達すると降板させられる慣習が常態化し、ニュースキャスターや報道記者の分野では女性の登用が遅々として進まなかった。

NHK(日本放送協会)の歴史

  • 1923(大正12)年12月20日:「放送用私設無線電話規則」が公布される
  • 1924(大正13)年11月29日:社団法人東京放送局が設立される(初代総裁:後藤新平)
  • 1925(大正14)年3月1日:東京放送局が試験送信として中波ラジオ放送を開始
  • 1925(大正14)年7月12日:東京放送局が芝の愛宕山から中波ラジオの本放送を開始
  • 1950(昭和25)年6月1日:放送法の施行により、日本放送協会(NHK)が特殊法人として設立される
  • 1953(昭和28)年2月1日:NHKが日本初のテレビ本放送を開始
  • 1960(昭和35)年:カラーテレビ放送を開始
  • 1989(平成元)年:NHK衛星第1・第2テレビジョンの本放送を開始
  • 2000年代:地上デジタル放送を導入し、アナログ放送からデジタルへの移行を進める
  • 2025年:NHKは創立100周年を迎え、これまでの番組や技術革新の歴史を振り返る記念事業を展開中

記事のポイント

  • 翠川秋子は1925年に日本初の女性アナウンサーとして活躍したが、男性中心の職場環境やハラスメントにより7か月で退職し、最終的に心中を遂げた。
  • 現代のメディア業界でも女性のキャリアは制約され、アナウンサーの「若さ」や「見た目」重視、管理職への登用の遅れなど、ジェンダー格差が続いている。
  • フジテレビの問題をはじめ、日本のメディア業界には未だに権力構造による女性差別が残り、その解決には社会全体の意識改革と制度的な改善が必要である。

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