女性を縛る「若さ」と「見た目」の評価基準
日本のメディア業界における女性差別の問題は、1925年に日本初の女性アナウンサーとして活躍した翠川秋子の時代から現代に至るまで、根深く残り続けている。
翠川秋子は、わずか7か月という短期間で職場を去ることを余儀なくされたが、その背景には男性中心の職場環境や女性に対する差別的な待遇があった。100年近くたった現在も、メディア業界におけるジェンダーの不均衡は解消されていない。
例えば、フジテレビをはじめとする主要テレビ局では、女性アナウンサーがタレントのように扱われる一方で、キャリアパスの選択肢が制限されるといった構造的な課題が指摘されている。
近年、制作現場では女性管理職の増加や福利厚生の改善が進んでいるものの、バラエティ番組やドラマにおけるジェンダーステレオタイプの再生産が問題視されている。特に、女性アナウンサーに対する「若さ」や「見た目」への過度な評価基準は依然として根強く、男女のキャリア形成に大きな影響を及ぼしている。
フジテレビのコンプライアンスガイドラインには「人権の尊重」が明記されていたものの、実際の運用には課題が残る。近年の報道や業界の動向を見る限り、女性差別の問題は単なる個別の事例ではなく、組織全体の文化や体制に深く根ざしていることが浮き彫りになった。
▽日本のメディア業界における女性差別の具体例
- 戦時中(1940年代)
第一次女性参画:戦時中、男性が兵役に取られたため、女性がアナウンサーや技術職として採用される。しかし、戦後、男性が復帰すると多くの女性が退職を余儀なくされ、継続的な活躍にはつながらなかった - 1964(昭和39)年
東京オリンピック取材:女性選手村の取材のため、初めて女性カメラマンが採用される。ただし、オリンピック終了後には職を続けることができず、短期的な雇用に留まった - 1985(昭和60)年
男女雇用機会均等法施行:この法律を契機に、NHKで初めて女性記者が2名採用される。しかし、それ以前は女性記者の採用自体がほとんどなかった - 1990年代
深夜業務の制限撤廃:労働基準法の改正により、女性も深夜業務に従事できるようになる。それまでは深夜業務ができないことがキャリアの障壁となっていた - 2010年代
管理職への昇進格差:テレビ朝日では、課長以上の役職者に占める女性割合が9.4%(2018年)と非常に低い数値であり、多くの放送局で女性管理職は1割未満に留まっている - 2020年代
女性役員ゼロ問題:民放テレビ局127社中91社(全体の71.7%)で女性役員ゼロというデータが示され、制作部門トップに女性がいないケースも多い
長時間労働問題:メディア業界では週60時間以上働くケースが多く、特に家庭との両立を求められる女性には大きな負担となっている
この記事の著者・伊東森さんのメルマガ