男性社会に翻弄された翠川秋子の知られざる生涯と衝撃の最期
翠川秋子は、1925年に日本初の女性アナウンサーとして東京放送局(現NHK)に採用された。夫を亡くし、3人の子を抱えるシングルマザーとして、当時としては異例のキャリアを切り開き、家庭向け番組を担当。その美しい声はリスナーから高い人気を得た。
彼女は、採用試験で琵琶を披露し、その豊かな声量が評価され、アナウンサーに抜擢された。担当した家庭向け番組では、料理や裁縫の指導を行い、多くの女性リスナーの支持を集めた。しかし、男性中心の職場では歓迎されず、彼女の個性的な言動は同僚男性の反発を招いた。
特に、男性スタッフとの口論の末、暴力を受けたことが退職の直接的な引き金となった。こうして、日本初の女性アナウンサーは、わずか7か月で放送界を去ることとなる。
退職後、翠川は雑誌編集者、女学校の教師、飲食店経営など、さまざまな仕事に挑戦したが、経済的困窮から抜け出すことはできなかった。社会的な孤立と生活の不安定さが彼女を追い詰め、1935年、十数歳年下の男性と心中を図り、房総半島沖で命を絶った。
この事件は当時の新聞で大きく報じられたものの、その背景にあった女性差別や職場環境の問題が注目されることはなく、スキャンダルとして消費されるにとどまった(*1)。
▽翠川秋子の生涯
- 1889(明治22)年9月:東京・日本橋亀島町に生まれる。由緒ある武士の家系出身
- 女子美術学校(現在の女子美術大学)を卒業:卒業後、銀行員と結婚し、1男2女をもうける
- 1922(大正11)年:夫と死別し、3人の子供を抱えながら生活を支える
- 1925(大正14)年6月:東京放送局(現・NHK)に入局。採用試験で琵琶を披露し、その声量と美声が評価され、日本初の女性アナウンサーとなる
- ラジオ番組を担当:主に家庭講座や料理番組などを担当。洋装やショートカット姿で注目を集める
- 1926(大正15)年1月:男性中心の職場環境やセクハラ、暴力などにより退職
- 退職後:雑誌編集者やおでん屋経営などで生計を立てるが、生活は困窮する
- 1935(昭和10)年)月20日:千葉県館山市の海岸で、十数歳年下の男性と心中し、45歳で亡くなる。
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