狩猟採集をしていた私たちの祖先の時代は、貧富の差や階級差はありませんでした。では、どこから貧富の差は生まれたのでしょうか? メルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』の著者で生物学者、CX系「ホンマでっか!?TV」でおなじみの池田教授は、農耕が始まったことにより「さまざまな差が生まれた」との持論を展開しています。
農耕社会になって起こったこと
前回は、狩猟採集民の社会では基本的に富を蓄積することができないので、物(富)を持つ者と持たざる者が生じることはなく、貧富の差や階級差が生じることはなかったという話をした。
今回は農耕を発明した人類に起こった変化について述べたい。
狩猟採集をしていた頃の人類は、長期にわたり持続可能な生活を営んでいたと思われる。という意味は、人類は自然の回復力以上の食料を収奪することはなかったということだ。狩猟の技術が向上しなかったので、ハンター一人が獲れる量がおおよそ決まっていて、その範囲内でしか人口を養えずに、その結果、資源が枯渇することはなかったのだろう。
おそらくそれが崩れたのは約7万年前に認知革命が起こって、ホモ・サピエンスが賢くなり、狩りの技術も格段に進歩して、ハンター一人が獲る平均的な獲物の量が増加したからだ。食料が増えれば人口が増える。人口が増えればさらなる獲物を狩らなければならない。こうして野生生物の回復力以上の獲物を獲れば、持続可能性が崩れて、食料が足りなくなった余剰の人口は、新天地を求めて移動せざるをえなくなったのだろう。
約30万年前に現れて以来20万年ほどの間、アフリカに留まっていたホモ・サピエンスは、8万年前~7万年前までには東南アジアに進出し、そこから6.5万年前にはオーストラリアに、4万年前にはヨーロッパに、3万年前~2.5万年前には中央アジアに達し、1.5万年前にはアメリカ大陸に侵入した。ちなみに日本列島で発掘された最古のホモ・サピエンスは3.8万年前のものである。
新天地に進出したホモ・サピエンスはその地の動物を狩り尽くしていった。人類の進出によって滅ぼされた主な動物は、アジア北部ではケナガマンモス、南北アメリカ大陸ではコロンビアマンモス、マストドン、アメリカライオン、スミロドン、オオナマケモノ、オーストラリア大陸では、巨大なフクロライオン、ダチョウの2倍もある飛べない鳥、軽自動車ほどもある亀などである。
この記事の著者・池田清彦さんのメルマガ
今から1万年ほど前、人類の人口は500万人ほどだと言われている。アフリカを出立してユーラシアに渡ってきた祖先の数は1万人くらいだろうから、食料が豊富な新天地に分散して人口が爆発的に増えたのである。しかし、どんどん野生動物を狩り尽くしていけば、食料はいずれ足りなくなる。そこで食料を増やす最終手段として農耕を発明したのである。
ホモ・サピエンスは1万年前~5千年前までの間に、様々な居住地で独立に農耕を始めた。農耕を始めなかったのはアマゾンの熱帯雨林やオーストラリアに渡ったホモ・サピエンスだけで、これらは例外的な人々である。栽培に適した穀物がなかったのと、家畜にできる動物がいなかったのが最も大きな原因であろう。
小麦、米、トウモロコシといった農耕に適した穀物は貯蓄できる。狩猟生活をしていた人々は、その日に必要な量だけ獲ればよく、沢山獲る必要はなかった。無闇に獲っても、肉は貯蔵できずに腐ってしまうし、何よりもオーバー・ハンティングは持続可能性の敵で、将来の食料が減ってしまう。だからハンティングに費やす時間は短い。道具の手入れ、獲物の解体や料理、食事に費やす時間なども含めて、食物を摂るための労働時間は、現代でもわずかに残る狩猟採集民に鑑みると3時間~4時間くらいだったと思われる。
しかし一度農耕が始まると、労働時間と穀物の収量や貯蔵量は相関するため、労働時間はどんどん伸びていった。こうやって穀物の貯蔵量が増えていくと、それを誰が管理し、あるいは所有するかをめぐって、人々の間で軋轢が生じ、結果的に貧富の差が生じ、やがて支配者と被支配者が現れてきたに違いない。
農耕による収量は天候に左右されやすく、豊作が続く時もあれば、不作続きの時もある。豊作が続けば人口が増え、増えた人口を養うために農地を開拓するなどして、労働時間はさらに伸びる。豊作が続いて穀物貯蔵量が増えれば、何らかの原因で不作だった近隣の集落から、食料を奪い取ろうとする襲撃を受けるかもしれない。それを防ぐためには指揮命令系統がしっかりした、組織だった戦闘集団が必要で、命令する者(支配階級)と命令される者(被支配階級)の階級差が固定してきた。
この記事の著者・池田清彦さんのメルマガ
強い戦闘集団を擁する集落の指導者の心には、たとえ集落が飢えに直面していなくとも、近隣の集落を攻撃して自己の支配下に置こうとする野望が芽生えることもあったろう。戦争の始まりである。強い集落は弱い集落を併合して、どんどん大きくなっていった。古代オリエントに強大な独裁的な帝国が出現したのは3400年前のことだ。
独裁帝国は極端な階級社会で、生まれつき身分が決まっていて、人々はそれを当たり前だと思って生きていた。2023年に『自己家畜化する日本人』と題する本を出版したが、狩猟採集民は創意と工夫を凝らし、自分(たち)の力で獲物を狩る必要があるため、自主性と独立性に富んでいるが、大多数の農耕民は指導者の命令に従って単純作業に従事すればよいわけで、独創的なことを考えて、創意工夫を凝らすことは不必要で、むしろ独創的な個人は集団から排除される危険がある。
狩猟採集民はいざとなれば、自分たちの力だけで生きていくことができるが、農耕生活になじんだ人々は、たとえ支配階級であっても、生産に従事する被支配階級がいなければ生きていくことはできない。誰もが他人に頼ってしか生きていけないという意味で、農耕社会になって「人間の自己家畜化」が進んできたのである。
奴隷という悲惨な階級は措くとして、自己家畜化が進んだ社会は、ある意味で安定的な社会で、知力・体力を目いっぱい発揮しなくとも、分相応に生きていれば、それなりに楽しく生きられた社会であったろう。現代の日本社会には公的な意味での生まれつきの身分差はないが(天皇制が唯一の例外だ)、富豪の家に生まれるのと、貧民の家に生まれるのとでは雲泥の違いがあることは誰でもわかる。大富豪の子供が、親に何億もするマンションを買ってもらったとしても、貧民はあまり嫉妬はしないだろうが、自分と同じアパートに住んでいる貧乏人が、6億円の宝くじに当たったり、年収1千万円の会社に就職したりすると、心穏やかではなく結構嫉妬すると思うーーー(『池田清彦のやせ我慢日記』2025年4月11日号より一部抜粋、続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)
この記事の著者・池田清彦さんのメルマガ
image by: Shutterstock.com