マネーボイス メニュー

「ED薬の会社」と見るのは大間違い。中島聡氏が注目するHimsが狙う、GLP-1の「次の巨大市場」の正体とは=中島聡

EDや薄毛の治療薬をオンラインで届ける会社として知られるHims & Hers Health。いま同社が静かに狙っているのが、GLP-1の次の市場とされるペプチド療法です。米国では中国などから「研究用」として買った成分を自己注射する人もいるなか、FDAもこの分野の扱いを見直し始めました。メルマガ『週刊 Life is beautiful』では、著者で著名エンジニア・投資家の中島聡さんが、Himsの戦略とその将来性について解説しています。

※有料メルマガ『週刊 Life is beautiful』好評配信中。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月分すべて無料のお試し購読をどうぞ。

ペプチド療法とHims

私が最近注目している会社の一つに、Hims & Hers Healthがあります(2025年に知り合いが働き始めたのをきっかけに株を少し購入し、今も保有しています)。

Himsはもともと、EDや薄毛など、病院で相談するのに少し抵抗がある症状を対象に、オンラインで診察を受け、薬を自宅まで届けてもらえるサービスとして成長した会社です。その後、皮膚科、メンタルヘルス、減量、ホルモン治療などへと対象を広げ、最近ではGLP-1薬(食欲を抑え、血糖値を下げるホルモンの働きを利用した薬)を使った肥満治療が大きな成長分野になっています。

しかし、私が今Himsについて一番興味を持っているのは、GLP-1ではなく、ペプチド療法です。

ペプチドとは、複数のアミノ酸がつながった比較的小さな分子で、私たちの体内でも、さまざまなペプチドが情報伝達に使われています。実はGLP-1もペプチドの一種で、OzempicやWegovyの有効成分であるセマグルチド(semaglutide)は、体内のGLP-1というペプチドホルモンの働きを利用して作られた薬です。そして現在、GLP-1以外にもさまざまなペプチドが、代謝の改善、筋肉量の維持、組織の修復、炎症、老化などとの関係で研究されています。BPC-157、TB-500、MOTS-c、sermorelinなどの名前を聞いたことがある人もいると思います。

問題は、ここに消費者の需要と医療制度の間の大きなギャップが存在することです。米国では、こうしたペプチドの一部を中国などから「research use only(研究用途のみ)」という名目で購入し、自分で注射している人たちがいます。当然ながら、これはかなり危うい世界です。本当に表示通りの物質が入っているのか、純度は十分なのか、適切な量はどのくらいなのか、長期的な副作用はないのか。そもそも人間に対する有効性や安全性のデータが十分ではないものもあります。

FDA(米国食品医薬品局)も、この分野の扱いを見直し始めています。2026年4月には、推薦者が推薦を取り下げたことを受けて、BPC-157やTB-500などが「安全性に重大な懸念がある物質」のリストから外れました(ただし、調合が認められたわけではありません)。さらに7月には、FDAの諮問委員会が、BPC-157、TB-500、MOTS-cなど6種類のペプチドを、薬局での調合(compounding。医師の処方に基づき、薬局が患者ごとに薬を調合すること)に使える物質のリストに加えるよう、僅差で勧告しています。ただし、この勧告に拘束力はなく、FDAの科学スタッフは有効性と安全性のデータ不足を理由に反対しており、最終的な判断はまだ出ていません。

ここで重要なのは、「ペプチド療法が効くかどうか」という話と、「すでに存在する巨大なグレーマーケット(正規の医療の外側で取引されている市場)を、どう安全な医療制度の中に取り込むか」という話は別だという点です。後者については、いずれ何らかの制度整備が必要になると私は考えています。

Himsが狙う「ペプチド」市場

そして、この動きを非常に熱心に追っている会社がHimsなのです。Himsは2025年に米カリフォルニア州のペプチド製造施設を買収し、2026年6月には、longevity medicine(長寿医療。老化を遅らせ、健康でいられる期間を延ばすことを目指す医療)の専門家であるAnant Vinjamoori医師を、HimsブランドのCMO(最高医療責任者)に任命しました。会社自身が、同氏の担当領域として「longevity medicine and peptide therapy」を明記しています。また、FDAがペプチドの規制を明確化する方針を打ち出した際には、「ペプチド療法をグレーマーケットから、信頼できる医療の場へと移す重要な一歩」として歓迎する声明を出しています。つまり、Himsはかなり明確にこの市場を狙っているのです。

これは、Himsのビジネスモデルと非常に相性が良いと思います。たとえば将来、あるペプチドが一定の条件のもとで、医師による処方や薬局での調合を認められたとします。利用者はHimsのアプリから相談し、医師の診察を受け、必要なら血液検査をします。医師は、その人の年齢、体重、血糖値、ホルモン、服用中の薬などを考慮した上で、適切な治療を選択します。薬は品質管理された施設で調合されて自宅に届き、治療開始後も、体重、血液検査、ウェアラブル端末などから得られるデータを継続的に追跡します。つまり、「診察 → 検査 → 処方 → 薬の調合 → 配送 → モニタリング」というループを、すべてHimsの中で完結できるのです。

ここでAIが非常に重要になります。Himsが最近強調しているのは、単なるAIチャットボットではなく、「doctor-led AI clinical engine(医師が主導するAI診療エンジン)」という考え方です。患者の過去の検査結果、薬、体重の変化、副作用などをAIが継続的に把握し、必要なときに医師につなぐ仕組みです。ペプチド療法のように、一度処方して終わりではなく、継続的な観察と調整が必要な治療ほど、このモデルとの相性が良いのです。

新薬開発のリスクを負わない強み

さらに興味深いのは、Hims自身が新薬を開発する必要がない点です。創薬会社は、一つの分子を発見し、動物実験を行い、Phase I、II、IIIの臨床試験を経て、FDAの承認を取らなければなりません。莫大なお金と時間がかかり、失敗する確率も非常に高いビジネスです。Himsはそのリスクを取る必要がなく、Novo NordiskやEli Lilly、あるいは新興のバイオテック企業が優れた薬を開発すれば、それを自社のプラットフォームに載せれば良いのです。一方で、法律上調合が認められた治療については、自社の製造能力を活かすこともできます。つまりHimsは、「どのペプチドが勝つか」に賭ける必要がなく、安全性と有効性が確認され、規制当局が認めた治療法を次々とプラットフォームに追加していけば良いのです。

私はここにHimsの面白さを感じています。今のHimsを「ED薬や薄毛薬をネットで売る会社」と見ると、その将来性を大きく見誤る可能性があります。彼らが作ろうとしているのは、消費者と医療を直接つなぐプラットフォームです。その上にはGLP-1も、ホルモン療法も、血液検査も載るし、規制と医学的なエビデンスが整えば、さまざまなペプチド療法も載ってくるでしょう。

特にlongevityの世界では、「病気になったから病院に行く」という従来型の医療とは違い、「健康な状態をできるだけ長く維持するために、継続的に測定し、介入する」という医療が増えていく可能性があります。そうなれば、一回ごとの診療よりも、サブスクリプション(定額課金)との相性が良くなります。Himsにとって重要なのは、ペプチドそのものを売ることではなく、検査、医師、薬、AI、データをまとめた「longevityのサブスクリプション」を作れるかどうかなのです。

GLP-1が肥満治療の巨大な市場を作ったように、ペプチド療法がlongevity medicineの大きなカテゴリーへと育つ可能性があります。そしてもしそうなったとき、Himsはかなり良い場所に立っているように私には見えます。

【参考資料】
Hims & Hers Acquires US-based Peptide Facility
Hims & Hers Names Dr. Anant Vinjamoori as Chief Medical Officer of Hims
Applauding FDA’s Move Towards Regulatory Clarity on Peptide Therapy
FDA Panel Backs 6 Peptides for Compounding

※有料メルマガ『週刊 Life is beautiful』より一部抜粋。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月分すべて無料のお試し購読をどうぞ。

この記事の著者・中島聡さんのメルマガ好評配信中!

初月無料お試し購読OK!有料メルマガ好評配信中

週刊 Life is beautiful

[月額880円(税込) 毎週火曜日(年末年始を除く)]
「エンジニアのための経営学講座」を中心としたゼミ形式のメルマガ。世界に通用するエンジニアになるためには、今、何を勉強すべきか、どんな時間の過ごし方をすべきか。毎週火曜日発行。連載:菅首相に会って来た/米国で起業する時に知っておかねばならないこと。

シェアランキング

編集部のオススメ記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
MONEY VOICEの最新情報をお届けします。