「私が全てを決定する」の独裁発言の真意
選挙運動中に、アウンサンスーチー女史が「私が全てを決定する」と言っていたのに対して、日本のジャーナリスト達は、独裁発言とか、権力集中というように、ドキッとしたものだ。これは、メルマガの読者でも、「え?」と驚いたはずである。即ち、民主化を進めているはずの、民主化のアイコン・象徴であるはずの、スーチーさんが、民主化とは、全く逆のことを発言して、国民から反発をかわないのかという疑問を持つのはあたりまえである。
これは、民主化を否定しているのではなく、軍が彼女が大統領になれないように規定した憲法がおかしいことから起こる誤解である。彼女は独裁者になると言っているのではなく、75%の議員しか改選にならなく、25%は自動的に軍の司令官が持つという憲法がおかしいため、国民の80%近くが、彼女に大統領になってほしいが、技術的に、大統領になることが不可能である。だからと言って、彼女に大統領としての権限を持ってほしいと思っている国民がNLDに投票することで、その意思を表現できるのであるから、過半数の議席を取った党の党首として、自分が、重要な意思決定をするから、大統領になるかどうかの話は、気にせずに投票して欲しいという意味なのである。結果、彼女の読み通り、ミャンマー国民は、大統領にならなくても大丈夫なのだと安心をして、少数民族が多い地域でも、NLDが圧勝することになったのである。
ちなみに、この彼女の発言は、現地にいれば、何の問題も感じない、当たり前の発言で、日本のメデイアは、いまだに、現地の人々との感情とは、ずれが生じている。これは、日本の記者の主な情報源が、これから辞めていく、テインセイン政権に偏っていたからではないかと思う。
精米所を地方に作ろうとしている私たちは、正に、少数民族を含めた普通のミャンマー国民が、スーチー女史をダライラマ以上に尊敬しているのを肌で感じるのである。
image by: Nadezda Murmakova / Shutterstock.com
『房広治の「Nothing to lose! 失う物は何も無い。」』より一部抜粋
著者/房広治
世界の金融市場・投資業界で活躍する日本人投資家、房広治による、ブログには書けないお金儲けの話や資本市場に通用するビジネスマン・社長のあるべき姿などを、余すことなく書きます。
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