【書評】Apple Watchブームの前に読みたい、もう一人のスティーブ伝

 

最近Apple Watchがよく話題になりますね。Appleといえば、スティーブ・ジョブズ。これは誰でも思い浮かぶと思います。でも、もう一人のスティーブを知っていますか? ソニーで、言えば、森田と井深の関係にある2人のスティーブ。無料メルマガ『おやじのための自炊講座』の中で、著者のジミヘンさんが、もう一人のスティーブについて書かれた書籍を紹介しています。

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「アップルを創った怪物 ~もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝」

こんなにもワクワクしながら読み進めた本はない

皆さん、お元気ですか。ジミヘンです。

確かにS.ジョブスは、天才的なひらめきで素晴らしい商品開発に才能を見せたが、彼ひとりでアップル社を立ち上げることができた訳ではない。

「アップルを創った怪物 ~もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝」という450ページにも及ぶ分厚い伝記を読了した。

こんなにもワクワクしながら読み進んだ本は近年あるまい。ウォズ(以下こう呼ぶ)が語った自らの生い立ちを口述筆記したと思われるこの本は読み易く、むさぼるようにページを繰った。

1977年にアップルコンピューター社は、産声を上げた。実質的な創業者は、スティーブ・ジョブスとスティーブ・ウォズニアックの2人。2人のスティーブが、この偉大なる会社を創った。積極的な性格のジョブスは部品調達の交渉や営業を受け持ち、パソコン製作に関わる技術面のほとんどを、(内気な性格の)ウォズが担当した。2人に共通していたのは、新しいテクノロジーに興味があり、いたずらをするのが大好きだったところ。この2人が相互に助け合って“すごい事”を成し遂げた。

丁度、わが国初の国産ウイスキーを作り出した“鳥井信治郎”と、マッサンこと”竹鶴政孝”の関係に似ている。経営・営業・宣伝に長けた鳥井と、製造技術・品質管理に自信を持つ竹鶴。2人の存在がなくては、日本の洋酒の発展はなかった。ただ、竹鶴とウォズの違いは、竹鶴は後に“ニッカウヰスキー社”を興したが、ウォズはあくまでも一エンジニアにこだわった。

世界初のパソコンと言ってよいであろう「Apple I」と、後に大ヒットを記録し、巨人IBM社をも震撼させた「Apple II」はウォズが一人で設計し、作り上げた。当時、HP(ヒューレッド・パッカード)社で電卓の設計に携わっていたウォズはコンピュータの何たるかをおぼろげに理解し、またテレビ技術を習得していた。一方、ゲーム機メーカー“アタリ”社にいたジョブスは、ピンポンゲームや、ブロック崩しゲームに未来を見ていた。

ウォズは安価なコンピュータを作り、BASIC言語を搭載すれば、色んな面白いことができる筈だと夢想する。彼は小さなコンピュータに、テレビとキーボードを付けることを思いつく。それまでのコンピュータはスイッチとランプが点滅するだけの(素人には不可解な)代物であった。

私は1985年、パソコンの最新動向を探る企業グループ使節団の一員として米国・西海岸を訪れた。当時、IBM社が5550というビジネスパソコンを発売し、わが社では富士通9450というパソコンを活用しようとしていた。W.C.C.F.というパソコンのフェアを見学した後、私たち一行はシリコンバレーにあるアップル社を訪れた。

その前年、アップルはマッキントッシュと云う画期的なパソコンを発表していた。オペレーションのほとんどをマウスという入力装置で行うシンプルな発想は、多分ジョブスの美意識から生み出されたのであろう。しかし、同じシリコンバレーにあるゼロックス社のパロアルト研究所でデモを見せてもらったとき、愕然とした。ビットマップディスプレーや、マウスオペレーションといったマッキントッシュの基本機能はすべてゼロックス社が開発した技術だったのだ。

つまり、こういうことだ。

世界中の有能なエンジニアが、革新的な技術を開発する。しかし、それを組み合わせ、大衆が触れるものにしなくては何の意味もない。ジョブスは、その飽くなき執念と独善性でマッキントッシュを完成させ、そして更に小さなデバイスに強力なプロセッサーとマルチタッチパネルを組み込み、極小のモーターやカメラレンズを取りつけて”iPhone”という画期的な製品を作り上げた。この素晴らしいデバイス(手のひらパソコン)を創ったのは、個々の技術を考えついた技術者ではなく、それらをアセンブルし、消費者の手許へ届けたジョブスなのだ。

一方のウォズと云えば、あくまでも金や出世に無頓着なテクノロジーオタクだった。彼が作り出した最高傑作=Apple IIは、家庭にあるカラーTVに接続でき、フロッピーディスク装置が使え、そして表計算ソフト「ヴィジカルク」が動く(未来のパソコンの姿を指し示す)夢のマシンだった。

彼はその後、Apple II GSなどのプロジェクトを率いるが、同時に開発が進んでいたマッキントッシュに勝つことは叶わなかった。管理職になることを最後まで拒んだ彼は、(いろんな家電製品をまとめてコントロールできる)夢のリモコンを作りたいとして、アップル社を去った。

多くの人は、成功したジョブスの伝記を読むが、(へそ曲がりの)私は彼を支えた技術屋・ウォズの伝記をどうしても読みたかった。彼の人生のピークはApple IIを作り出し、世の中に認められた日であったろう。若くして100億円以上のマネーを手にした彼は、途方に暮れた。友人のために映画館を購入し、ウッドストックのような音楽フェスをやったが、負債が膨らむばかりで、彼の心を満たすことはなかった。

彼はこう書いている。

『なぜ、エンジニアはアーティストに似ていると思うのかって? エンジニアは自分で想像もしていなかったほど完璧なものを作ろうとすることが多いからさ。部品の一つひとつ、配線の一本一本、すべてに意味があるんだ。』

アーティストを自認した彼は、いつまでもApple IIに留まり、一方鋭い眼力で未来を見つめ続けたもう一人のスティーブが、(皮肉にも)偉大なるアーティストとしてデジタル世界を切り拓いた。

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