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忍び寄る軍靴の足音。世界は第二次世界大戦前夜に酷似してきた

米国株式市場大暴落に端を発した世界恐慌から10年、1939年勃発した第2次世界大戦。一方、未だ世界経済に大打撃を与え続けるリーマンショックが起きたのは、2008年。それ以降の各国の動きは、第2次大戦へと突き進んだ状況とよく似ていると『国際戦略コラム有料版』の著者・津田慶治さんは指摘します。歴史は繰り返してしまうのでしょうか。

歴史は繰り返すが現象は違う

現状は2008年から始まる大恐慌が大戦争に向かう時代である。まるで1929年の大恐慌から第2次世界大戦に向かう時期と同じである。歴史は繰り返し、しかし、その現象は違うという格言の通りになってきた。その検討。

第1次世界大戦から第2次世界大戦への歴史

第1次世界大戦により各国政府とも金本位制を中断し、管理通貨制度に移行したが、1925年に復興したイギリスは、ポンド安定のために、第1次大戦前の旧平価で金本位制に復帰した。この当時の非伝統的な金融政策を英国は取ったことになる。

1929年10月29日、ニューヨーク株式市場で株価が大暴落したことに端を発した世界規模の恐慌が起こる。1週間で300億ドルが失われ、これは当時の米国連邦年間予算の10倍に相当し、米国が第1次世界大戦に費やした総戦費をも遥かに上回った。

投資家はパニックに陥り、株の損失を埋めるため様々な地域・分野から資金を引き上げた。この資金の引上げで、米国経済への依存を深めていた脆弱な各国経済も連鎖的に破綻することになった。

1930年の上半期には景気は自立反転して回復に向かった。しかし、中期から再び急速に悪化した。30年暮れに投資銀行と普通銀行が倒産。29年秋には農産物価格が下落して、33年には半分程度の価格まで下がることになる。工業製品も同様に価格が下がった。このように深刻なデフレになり、各国は保護貿易主義的な対応を取り始めた。ここで、関税引き上げ法であるスムート・ホーリー関税法が30年に成立する。各国が報復関税を掛けたために、世界の貿易量は1/3にまで落ち込んだ。

これと、29年までは、米国から世界に大量の短期資金が供給されていたが、29年のニューヨーク株式市場の大暴落で資金の引き上げを起こし、経済運営が行き詰ることになる。31年1月にボリビアが債務不履行になり、ラテン・アメリカ諸国も同様になった。5月にはオーストリアで最大の銀行が破綻した。金融市場の混乱で欧州各国はポンド売り、金に換える行為に出た。1931年英国はポンドを支えきれずに、金本位制から離脱。32年末には32ケ国が金本位制を破棄した。そして、通貨切り下げ競争が起こる。このため、国際金融のシステムが完全に秩序を失うことになった。

それと平行して、英国は植民地をウェストミンスター憲章により自治領と対等な関係にして、新たに英国連邦を形成し、ブロック経済(スターリングブロック)を推し進めていくことになる。同様にオランダ、ベルギー、フランス、スペイン等も関税報復措置を招き、1930年代に各国がブロック経済圏をつくることになる。

米国は、閉鎖された銀行が1万行に及び、1933年2月にはとうとう全銀行が業務を停止した。1932年グラス・スティーガル法で破綻を防止する意味で、銀行から証券を分離した。投機した株式が下落することで銀行が破綻することが分かり、預金者を保護する必要から銀行が株式投資をできないようにした。しかし、この法は1999年に廃止になる。

1933年にフランクリン・ルーズベルトが大統領になり、公約通りテネシー川流域開発公社を設立、更に農業調整法や全国産業復興法を制定したが、ニューディール政策は1930年代後半の景気回復を前に規模が縮小されたため、1930年代後半には再び危機的な状況となった。最終的には景気回復は戦争特需を待たないと解決しなかった。

どうも、この歴史を現在、繰り返しているようである。

ドイツの動きは

一方、32年にはドイツも戦時賠償のデフォルト、支払い停止を宣言したが、大手銀行の破綻で、ドイツは金融恐慌になる。33年ヒトラー首相任命、34年には総統、35年にはヴェルサイユ条約の破棄と再軍備を宣言。ヒトラーは軍備拡充とアウトバーンなどの公共事業に力を入れ、壊滅状態にあったドイツ経済を立直し、36年ラインラント進駐、38年オーストリア併合、39年チェコスロバキア進軍、ポーランド侵攻で英仏は参戦した。ここで第2次大戦が始まる

1939年9月1日に第2次世界大戦開始し、1945年8月15日に終わる。

2008年からの動き

2008年リーマンショクで、世界的な金融混乱が起こり、中国が50兆円に及ぶ公共事業と軍備拡充を行う。このため、中国への資源輸出や機械などの資本財輸出を通じて世界的な景気の下支えした。しかし、2015年から中国の景気後退で、その資本財、資源などの輸出ができなくなり、世界的な景気後退になってきた。

世界的な荷物の動きを示すバルチック指数も大幅に下がり、現時点300程度で、2015年8月には1,200以上もあった指数が1/4程度までに下落している。世界的な荷動きが低下している。このため、世界的な景気が下落することは間違いないのである。

よって、資源価格の下落、原油の下落も起こっているのである。世界的なデフレにもなっている。

このため、内需拡大と外需取り込みを各国が行い始めたのが現時点である。内需拡大としては移民流入を歓迎して人口を増やすことが必要であるが、欧州ではイスラム教徒の難民・移民であり、テロリストを流入させることになり、危険とできないことになってきた。

このため、世界的に通貨安競争で外需取り込みに動き始めている。しかし、ECBはドイツの量的緩和反対で、早くからマイナス金利政策を取ってきたのである。量的緩和ができないのでマイナス金利政策にしたのだ。

一方、日本は当初、量的緩和で円安を得ようとしてきたが、量的緩和の限界に来てマイナス金利を導入した。この意味は、円安を維持して、外需取り込みを持続させることである。

この意味を英紙フィナンシャル・タイムズは「日本がマイナス金利『クラブ』に加入」と、欧州やスイスなど先行例を念頭に皮肉まじりの見出しで報じた「ユーロと円は既に金融政策で押し下げられており、予想外の日本の動きは(さらなる円安を促して)、新たな通貨安競争の懸念を引き起こすかもしれない」としている。

米利上げ政策は大失敗の可能性

現在、経済大国に植民地がなく経済ブロックができないので、通貨安戦争に世界は突入したのである。こうなると、ドル・リンクしている国は不利になる。米国は利上げ方向であり、通貨が相対的に高くなるためで、ドル・リンクから離脱する動きになる。

まずは、人民元のドル・リンクからの離脱が必要であるが、資本流入があることで、中国の近代化・工業化が進んできたので、資本流出に神経を尖らす必要がある。

サウジアラビアもドル・リンクであり、ドル決済で石油を売ってきたが、米国の中東政策に不満を持ち、ドルリンクから人民元決済にして、人民元リンクとなる可能性がある。この方向を推進するため、中国はサウジに近づき始めた。パキスタンとともに原爆製造や水爆製造技術をサウジに売る可能性も指摘されている。

これは取りも直さず、ドル基軸通貨体制の崩壊につながることになる。

このような世界の動きは、1929年から始まる金融経済政策とよく似た動きであるが、その現象面では大きく違うが、参考になる。

ドルの利上げは大失敗であると、サマーズ元財務長官は言っているが、どうもドル基軸体制を崩壊に導く、それは取りも直さず米国の覇権を崩壊に導く大失政である可能性が出てきた。

関税引き上げ法であるスムート・ホーリー関税法が30年に成立したが、これに匹敵する歴史的な政策の失敗であるような気がする。

世界を大不況に追いやる失政であった可能性が高い。

さあ、どうなりますか?

image by: Shutterstock

 

国際戦略コラム有料版』より一部抜粋

著者/津田慶治
国際的、国内的な動向をリアリスト(現実主義)の観点から、予測したり、評論したりする。読者の疑問点にもお答えする。日本文化を掘り下げて解析して、今後企業が海外に出て行くときの助けになることができればと思う。
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