京都を1200年守り続ける4匹の動物と、清水寺の片隅にある悲しい物語

 

鬼門は奈良時代、天武天皇の時代頃から意識されていて、陰陽寮(おんみょうつかさ)という国の研究施設が設けられていたほどです。このような思想を国家鎮護のために一番重んじる時代だったので、京都御所の北東の塀の角などは内側にえぐるようにして造営されています(今もです。ちなみに皇居のお堀の北東、和気清麻呂の像が立つ角も鬼門封じのため、石垣がえぐられた形に造営されています)。

このような「欠け」を意味し、消極性や拒否を表わしていて鬼の進入を拒否することを示しています。御所の北東のえぐれた塀の角は「猿が辻」と呼ばれ魔除けの意味を持ちます。そこには烏帽子をかぶり御幣をかついだ猿の彫刻が北東を向いて安置されているのです。京都御所の鬼門の方角を比叡山まで一直線に辿った場所にはさらに2匹の猿がいます。

そのうちの1ヶ所は幸神社(さいのかみのやしろ)です。出町柳駅から徒歩5分ほどの場所にある桝形ますがた商店街の裏手にひっそりと佇む古社です。ここには御所の「猿が辻」の猿と瓜二つの猿の像が安置されています。

ちなみに、桝形商店街の出町ふたばという和菓子屋さんの「水無月みなづき)」と満寿形屋(ますがたや)の鯖寿司はとても美味しいのでオススメです。水無月は、通常京都では6月の終わりに食べる習慣のある和菓子です。下が氷をイメージしたういろうで、その上に粒あんがのっている三角形の和菓子です。

旧暦の6月は初夏で上半期の邪気払いと暑気払いとして皇室では、平安時代から6月16日に「嘉祥菓子」(かじょうがし)という16種類の菓子を食べる儀式があったそうです。それが後に都に住む庶民にも伝わったのでしょう。これに由来して、今では6月16日は和菓子の日」と定められています。

さて、もう1匹は赤山禅院(せきざんぜんいん)にいる猿です。ここは比叡山の麓で叡山電鉄の修学院駅から歩いて20分ほどのところです。

修学院は下鴨神社があり、賀茂川と高野川が合流して鴨川になる三角州近くの出町柳駅から4つ目の駅で、間にある一乗寺駅や茶山駅といったエリアは沢山の京大生や京都造形芸術大の学生が住む場所でラーメン激戦区です。半径1キロほどのエリアに数十ものラーメン屋がひしめき合っています。

天下一品は全国区ですが、新福菜館、魁力屋、つるかめ、天天有などその他地元では知らない人はいないようなラーメン屋が沢山あり、その多くはこのエリアに本店を構えます。京都で人気の食べ物はどちらかというとコッテリやガッツリです。意外かも知れませんが、学生の割合が日本一多いことや、日本屈指の花街があるので昔から「肉食系男子」が多い(?)ことなどから肉や油モノ、コッテリ系を好む食文化が京都には確実に存在します。

修学院はまた、元外務大臣の前原誠司民主党議員のお膝元で、駅前の通りを修学院道に向かう途中に選挙事務所があります。

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