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5000万人も人口が減っていた。本当にあった怖い三国志

三国志といえば、中国史上最大の動乱時期。大軍同士の合戦で、この時期には中国の人口が破滅的に減少したとも言われています。今でこそ10億人を超える中国ですが、三国志時代はどれくらいの人口だったのでしょうか? 無料メルマガ『『1日1粒! 「幸せのタネ」』の著者で塾でも教鞭をとる須田將昭さんが解説しています。

国の基本は民にあり

みなさま こんにちは
マインドマップインストラクターの須田です

吉川英治の『三国志』をあらためて読み直してみて、かつて抱いた疑問がまたまたおきてきました。

この時代(後漢~三国時代)に、中国にどれぐらいの人が住んでいたんだろう?

一口に「中国」と言っても漠然としていますが、とりあえず主役となっている「漢民族」の居住エリア、としておきます。

というのも、物語の中で頻繁に「曹操軍100万」などの数字が出てくるのですが、これが本当の数字か、誇張した数字なのか、ということが気になるのです。

古来「白髪三千丈」など、数字に関する誇張表現はよくある話です。

「50万の大軍」だとか「5万の軍勢を焼き滅ぼした」と出てきても、「ほんまかいな?」と。

ちなみに日本における一大決戦の「関ヶ原の戦い」では、東西両軍合わせて15万から20万ほどです。

いくら中国が広いとはいえ、1000年以上前に、その10倍以上の軍隊が動くなんてことがあるのだろうか? などと思っていました。

今は本当に便利になりましたね。疑問に思ってネット検索をしてみると、そういうことをきちんと調べて書いてあるサイトに行き当たりました。

明治大学法学部の加藤徹教授のサイトで、いろいろなデータをもとに時代ごとの中国の人口をまとめていらっしゃいます。

>>次ページ 三国志時代に中国の人口は激減していた

後漢から三国時代だと、戸籍という非常に有力な根拠があります。それによれば後漢末(西暦157年)に約5600万人だそうです。

なんとすごい数字です。

当時の中国では耕作面積などなどからおおよそ6000万人ぐらいの人口は養える状況だったとのことです。

後漢が滅亡して、三国時代に突入した頃の戸籍登録人口では

魏 4,432,881人(西暦263年)
呉 2,300,000人(西暦280年)
蜀  940,000人(西暦263年)

となっているそうです。

なんと三国合わせて780万人ほどしかいません。激減もいいところです。

中国の王朝の興隆・滅亡の繰り返しでは,滅亡間近の頃に、人口の激減が見られるとも書かれていました。

食料供給不安から政治不安、それによる動乱などで、人口が激減するようですが,100年ほどの間に5600万人から780万人とは恐ろしいほどの激減ぶりです。

この激減がまさに当時の不安や動乱を表していると感じました。三国志はまさに激動、動乱の時なのです。国の基本は民にあり、と言います。

大勢の人が安心して暮らしていけることこそ、国の繁栄だというのを実感します。

※人口の差からも,蜀が魏にはなかなか勝てない、というのがよくわかります。

image by: Shutterstock 

 

メルマガ『1日1粒! 「幸せのタネ」』より転載

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